目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

カール・マルクスの思想を読み解くー参 マルクスの物質代謝論Ⅰ

アメリカは東京五輪をどう総括したか。主要メディアはIOCを「非民主的」「詐欺以上」と批判

 

其の日本人は頭だけは平均的に出来が良い訳ですが反面感情面に傾く意思決定をする民族でいや其れしか出来ない封建的思考論理の持ち主ですので概ね批判力には欠け全体の雰囲気には流され易くまたさうしてみんなでやったことに関しては善悪の区別は無しに其れを由とする傾向が強くあります。

 

なのでオリムピックもまた日本人にとっては大成功だったのです。

尤も批判力が少しはある左翼の面々がそんなもん止めとけとずっと言って来て居た訳ですが其の左翼も最終的にはそんな日本の國としての論理に擦り寄りまあやっても仕方が無かったのかな?と思いつつさうしてズルズルと引き摺られて行きます。

 

其の批判力が無いと云うことは實は大問題であり其れは理性が無いと云うことにも等しい訳なのですが誰しもがそんな潔癖で難しいことを言って居たら今日と云う日が回りませんのであえてソコには蓋をしてつまりは「無かった」ことにしバカバカしくも其の悪としての日常を回して行く訳です。

 

でも其の日常こそが大事なのでせう?

確かに大事ですがより正確には其れは未来へ繋がる価値観としての日常を築く為の今日で無ければ其れは無意味です。

 

あくまで社會的にはさうだと云うことです。

ですが今の社會には其れを為し遂げるだけの力が無い。

 

 

だから私は社會を見捨てたのだ。

或は無視することと致しました。

 

うーん、IQが150以上ある人などは好んでそんな世捨て人となり社會には貢献しない人が實は多いのださうですがアナタももしやそんな人なのですか?

いや僕のIQは百もあればエエトコでせう。

 

確かに僕は頭がイイですが其れがちょっと違う頭の良さですので其れをIQでもって指し示すことなど出来ません。

あえて申しますと例えばEQー心の知能指数ーの高さだとかお釈迦様やキリスト様に頭を撫でて頂けるやうなタイプでの頭の良さです。

 

ですが私は自分が馬鹿なんじゃないかと實は常に疑っても居ます。

其の反省力と申しますか懐疑の姿勢こそが私の知性力を何より指し示して居ることかと思う。

 

 

最近のアナタの話は内容が如何にも堅かった昔と違い面白いのですが其れはワザとさうして書いて居るのですか?

さうでは無く何故かそんなんなって仕舞ったのです。

 

謂わば自然にボケが混入して来てアホなんだか利口なんだかじぶんでもまるで分からなくもなって来て居ます。

 

其れではそんなアナタに是非質問させて頂きます。

ズバリ人類は近く滅亡しますか?

 

 

まあさうなることでせうがそんなことよりも誰しも「今」を生きることの方が大事だと言うか「今」以外にやれることがありません。

エッ?

「過去から學び生きよ」とか何とかいつもさう言って居たではないか?

 

過去に価値はありますが其の過去はすでに変えやうが無い。

また今を過去化することは實は出来ず我我には其の変革が可能な今と云う未来が残されて居るのみだ。

 

では未来は変革することでしかやって来ないと云うのか?

じゃあ人類は此の侭の価値を押し通さうとすると滅亡に至るのですね?

 

尤も其の「今」の構築に拘っても良いのは個のレヴェルに於いてでのことです。

個はさうして範囲の小さい他己との構築物ですので要するに社會的にはあくまで小さき者です。

 

其の小さき者の迷いは大きくは問題とはならない。

ですが社會の過ちはまさに怖ろしい結果を生じて仕舞う。

 

 

ですから社會の変革こそが急務のこととなりませう。

何やらまるで昔の暴力革命派の論理のやうですが…。

 

いやさうでは無いですね。

其のマルクス主義もまた選択肢の壱つとして是非考慮して置くべきものであると云うことだ。

 

事實マルクス関連の書籍が今可成に読まれて来て居るらしい。

例えば米國にせよ若者を中心に左派思想の流れが広まって来て居るやうだ。

 

あくまで問題は資本主義での論理の流れが限界に近付いて来て居ることなのだと思う。

 

 

そんな無理だの無駄だのが兎に角多い資本の論理が支配する世界をどう理性的に今変革して行くかと云う部分に尽きて居ることかと思う。

 

さうして資本は∞に増殖する悪ー利己主義ーの論理であり其れに与して居れば必然として諸の破壊が引き起こされやう。

まさに其れは資本の自己矛盾によるものである。

 

最終的には資本は自己である資本其れ自体を破壊するに至る。

其れを具体的に示せば労働者の破壊であり人間の破壊であり精神の破壊である。

 

さうした内面の破壊に止まらず外部としての環境をも徹底的に破壊する。

だからこんな温暖化や種の絶滅がまさに「今」起きて居るのです。

 

 

さうした観点からつまりはエコロジーや人権の保護の視点から左翼思想は体制側に対し大きな問いを突き付けて来て居る。

 

ですからとりあえずは其れは正しい問いでもまたある訳だ。

其処を見て見ぬフリをして今の「豊かで平和」な体制を維持しやうなんてのはまさしく其れは悪人のやることです。

 

其のやうに保守思想には「偽善者」としての価値観が多分に畳み込まれて居る。

私は其れを「保守の馬鹿」として表現して来た訳ですが丁度其れはかの高校野球などでチームのみんなが郷土や学校の為に壱丸となり闘う様とまるで同じことです。

 

最終的には彼等はまさに其の価値の為に特攻することさえ厭わぬ筈だ。

「今すぐに特攻し学校の為また郷土の為に死んで来い!」

 

サアーそれじゃあー行くぞー!死なばもろともー。

 

 

つまり其れは野球じゃ無いんです。

日本の野球とはさうして所詮軍國主義なのだ。

 

でもアンタも確か三島先生と共に特攻するとさう言って居たではないか。

 

いやそりゃ単なる文學上の比喩だ、比喩。

おまえは其の文學のことも分からんのか。

 

其れはあくまで文學であって現實としての特攻の御話では無い。

現實としての特攻とはまさに其の高校野球なのだからして。

 

 

其の特攻が何で馬鹿ー非理性的ーなのかと申せばまさに其れは感情ー周りとの関係に於いて発生する情動ーで動いて居て自らの理性を微塵も使って居ないからなのだ。

要するにまるで自分の頭でもって考えて居らぬ。

 

では詩人さんがもしも戦時中に特攻したのだとしたら壱体どうしたのですか?

まず君の問いのオカシイ点は「過去は変えられぬ」と云う点を無視しさうして私を戦時中へと飛ばして居る事だ。-つまりはタイムマシンをじぶんでもって創って仕舞って居る-

 

だがもしも其れが可能なのだと仮定したのならば、さうして私はゼロ戦を操縦しながら何処か降りられさうな草地をまず探すことであらう。

でもって徐に其処へ降りる。

尤も着陸に失敗し死ぬる可能性もまた高くある訳だが生き延びた場合にはまさに其処からサヴァイヴァル生活を開始するのだ。

 

其れってもしやアノ横井さんや小野田さんのやうな耐乏生活のことなのですか?

 

無論のことさうだ。

 

ところがこんな弱い詩人が耐乏生活に入ったのですぐに猛獣共やら悪い病気やらが寄ってたかって其の詩人の弱い體をいたぶり詩人はたった参日で天に召されて仕舞う。

 

其れは其れはお可哀想に…。

 

さう可哀想だ。

だが何より其れは世界にとっての理性の損失だった。

 

ですが如何にも逞しい其の横井 庄一軍曹と小野田 寛郎少尉はそんな壱詩人の死とは無関係に生き延び世間に対し軍人の根性の強さを示したのであった。

 

 

ーこのような現状に対し、岩佐氏はマルクスの思想は本質的にエコロジーの思想であるとし、その理由にマルクスは人間と自然の物質代謝を理論構築の基礎に据えているからであるとした。ー

物質代謝とは「人間が外的自然を生体内に摂取して消化・血肉化し(同化)、排泄(異化)する過程」のことだが、環境が汚染され破壊され、有害なものを摂取することで人間の健康は損なわれる。このことを物質代謝の攪乱と呼ぶ。
物質代謝の攪乱は、環境汚染物質や大量生産・大量消費・大量廃棄、自然の大規模な乱開発、有害な人口化学物質の摂取などによって引き起こされる。
とりわけ、新しい産業技術が実用化されるときには物質代謝の攪乱が発生しやすい。その理由としては(1)その技術が生態系にどのような影響を与えるか、そのことについての科学的知見の不十分さによるもの、(2)利潤を最大化しようとする資本の論理によるものである。資本の論理は、性能の良い商品を生産する産業技術に関心を集中させるが、その技術が環境に与える負荷には無関心であるからである。

公害は、資本主義的生産関係によってではなく、その関係を担っている一方の、しかも支配的な極である資本の論理によって引き起こされるからである。

 

環境保護を主張するのは、資本の論理との対抗でいえば、生命や健康を守ろうとする生活の論理といえよう。生活の論理とは「安全で快適な生活環境のなかで良く生きるために自らの生活を他者とともに大切にし、他者の生活を自らの生活と同じように尊重しながら、労働生活を含めて、生活を享受する価値的態度」のことだ。

工業化は資本の論理によって疎外化されているので、労働者を略奪するだけでなく、自然から大規模に略奪し、環境汚染を不可避に伴ってきた。工業化は、疎外された形態で一面的にいびつに展開されてきたのである。

近代以降の農業は、工業化の進捗に伴い、機械化が進み、化学肥料や農薬が用いられるようになった。このような農業は農作物の収穫量を増大させたが、農薬を用いると害虫だけでなく、生命あるものを殺傷する。化学肥料の多用によって、土壌からミミズなどの虫や微生物が減少し、土壌の有機質が失われ、砂漠の土のように固くなり、劣化してしまう。「マルクスのエコロジー論の意義と射程-物質代謝論から」のメモ|エコロジーノートより

 

尚以前から私は「全体主義」と云う概念に就き屡論じて来て居ります。

其の「全体主義」とは、悪が悪を行う行為では基本的に無くむしろ善が悪を結果的に行って仕舞う行為である訳だ。

 

即ち其れが価値の自己矛盾だと云うことです。

さうして國家にとっての「善」を行う全体主義がまさしく悪の行いへと転化して仕舞う訳です。

 

然し其の全体主義は戦争に負けた枢軸國側の問題であるに止まりません。

全体主義は戦勝國にとって其の後より強くより深く履行されるに至った近代的な価値としての推進でした。

 

要するに其の資本の論理による全体主義としての「豊か」で「平和」な社會の實現が實は他方で自然をも傷付け其れも次第に深手を負わせて行くに及んだのでした。

左様に「資本の論理」による人類にとっての理想郷の實現と云う構図は現實には挫折寸前のところにまで来て居ります。

 

故に今我我が気付かねばならぬこととは、社會的に齎されるイデオロギー対立を超克した立場でのエコロジーであり文明の持続可能性の堅持なのです。

 

ところが今我我は其れを「感度」=「感情」にて捉え其れが何とかなるとまさにタカを括り考えて居る訳だ。

ですが眞理乃至は大自然の摂理は其のやうな感性的な関与を許さずダメなものはダメと厳しく裁定を下して行くことでせう。

 

 

日本人は特に其の感情的生物です。

ですが理性的な人程實は論理にて自らの立場を選んで居るものだ。

 

また其の如何にも善としてある「生活の論理」にも落とし穴が築かれて居ます。

我我はかうして無限に欲し便利であること、さうして豊かであることに安住しやうとする。

 

ですが其の自然な欲望の噴出に対し何処かで制限を加えぬと其れは積もり積もって歯止め無き破壊の連鎖を生み出して行くことだらう。


でも「マルクスは人間と自然の物質代謝を理論構築の基礎に据えている」訳です。



其の物質代謝とは「人間が外的自然を生体内に摂取して消化・血肉化し(同化)、排泄(異化)する過程」のことである。

動物達はあくまで自然の枠内で其れを行うが人間の場合はさうでは無くさうして自然を客体視して捉え其れを加工し利用しつつ生きて居る。



であるからこそ極めて危険な状態にこそある。

其の危険な状態であることを理知的な人々はすでに知って居ます。


ですが其れは所詮大衆の認識とは重ならぬ訳だ。


まさに其処が問題なのでもあることだらう。

一部の知性にしか其れが見えて居ないと云うことこそが。



私はと申しますと中学生位の頃から此の文明のシステムでは早晩限界が訪れる筈だと云う強い危機感が御座りました。

其の危機感こそが私がこんなものを書き始めた契機ともなるものでした。


資本の論理ひいては近代的原理はさうして常に自然に対し大きな負荷をかけ続けて来て居る。

何故さうなるのかと申せば其れは我我が「豊かで平和」に暮らす故にこそさうなるのだ。


其の「豊かで平和」に暮らすことは善の価値と見られて居やうが今の私にとり其れはさうでは無い。


人間はもっともっと慎み深くより謙虚にまたより現世利益に拘らず生きて居らねばならぬ存在である。

まさに其のことこそが私がかうして長年に亘る理性的闘争を経て得た結論なのだ。



物質代謝とはさうして食って出すことです。


食って出すことこそが我我人間にとっての基本です。

さうして勿論動植物にとっての基本なのでもある。


ですが植物は酸素を出すだけのことであり、また動物はさうしてウンコとオシッコを地に振り撒いて居るだけのことです。

でも人間だけが変なものをさうして地球上に撒き散らします。



さうか、困ったもんだなあ。

まあ其の変なものを出したがる文明が腐って居るんとちゃいますか?


だから文明とは距離を取り是非沈思黙考して其れを批判したりませう。

だっておまえらは馬鹿だとかアホだとか能足りんだとかクソ垂れだとか幾らでも罵倒の言葉は用意されて居ることでせうから。


尚夏休みの宿題を出しておきますから此処の読者は必ずや其れを読みまた其れに基づく見解をレポート化して私の住所へ送って下さい。


でも社會の先生、先生の住所が何処を調べても出て来ません。


其れは念力でもって是非調べ上げて下され。


兎に角夏休みの自由研究こそが小中学生にとっては壱番大事なことなのですよ。


先生は昔とは違いすでに御爺さんになっていますからちゃんとした大きな字で確りと書いて下さいね。


宿題壱

形態変化と物質代謝


宿題弐

資本論の社会的分業と物質代謝


宿題参

自然と労働の物質代謝


です。


みんな夏休みはエアコンの効いた部屋で是非マルクスの小難しい理論と格闘してみて下さい。

まさか先生は読まないの?


先生は読んでもイマイチ分かり辛かったからコレから筆記具と戯れるところです。

尚、此の物質代謝論はまた次回も取り上げますので予習して置けばより理解が深まる筈です。