ついにオリムピックが開幕したやうで、開会式を視ましたが決して悪くはなかったです。
其の演出などからして東京には流石に文化力があるとさう思わされました。
特に地球らしきものが東京上空に浮かび上がるところが面白かったです。
此の開会式を規定するところでの力とはさうした文化の力、藝術の力であり表現の力です。
ですので其れはさうした力を其れも一級の力を🗾と云う國が有して居ることのまさに証左なのでもある。
ー「これまでの五輪開会式より簡素だが、詩的、文化的側面は劣っていない」ー五輪開会式 仏メディア「簡素だが感動的だった」より
「クールだったよ」賛否の開会式、米国記者は興奮「ノリノリではなかったが今の状況下では素晴らしい」【東京五輪・記者コラム】 (msn.com)
全く其の通りで詩的で文化的な側面が色濃く感じられる何処か感動的な開会式だったのだと思う。
ところが、イザ個別に競技が始まれば其処に繰り広げられるのは肉体力であり個が壱番に成らうとする獣力其のものです。
などと老荘思想だの左翼平等思想だのに軸足を置き述べればオリムピックなんてそも意義が無いことともまたなるのであります。
實際オリムピックは可成にバカバカしいことです。
其れも理性的に考えれば考える程可成にバカバカしいことである。
特に近代オリムピックは古代オリンピックとは別物となって居る可能性が高い。
ー古代ギリシアにおいて信じられた直接の起源は、次のようなものである。伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスがアポローン神殿で伺いを立ててみたところ、争いをやめ、競技会を復活せよ、という啓示を得た。イーピトスはこのとおり競技会を復活させることにし、仲の悪かったスパルタ王・リュクールゴスと協定を結んだ。オリュンピアの地に武力を使って入る者は神にそむくものである、というもので、この文字が彫られた金属製の円盤がヘーラーの神殿に捧げられた。この円盤はのちに発見された。ただし円盤は現存しないことと、協定を結んだとされるリュクールゴス王が実在したかどうか不明のため、この由来には疑問視する声もある[要出典]。ー古代オリンピックより
なる程、確かに元々オリムピックは平和の為の祭典だったのだった。
ーしかし、この祖国での優勝者への過剰な褒章が、逆に大祭の腐敗を生んだ。祖国が優勝者に支払う報奨金は跳ね上がり、褒章欲しさに、不正を働くもの、審判を買収するものが出て、オリュンピア大祭は腐敗した。買収を行ったものと応じたものは多額の罰金が科せられただけでなく、その不正の深刻さに応じて肉体的懲罰や大会追放が言い渡された。この罰金を元に、オリュンピアに「ザーネス」と呼ばれる不正を象徴する見せしめのゼウス像が作られた[5][6] が、ゼウス像の数は増える一方だったという。記録によれば最終的には16体までザーネスが建てられたとされるが、今日のオリュンピアに残されているのはその基部のみとなっている。
ローマがギリシア全土を征服し、属州に編入した後もオリュンピア祭は続けられたが、暴君として知られるローマ皇帝ネロは、自分が出場して勝者となるために第211回オリュンピア競技会の日程を本来行うべき65年から無理やり67年にずらしたのみならず、たとえ競技に敗れても優勝扱いにさえなっている。ネロの権力の濫用と不正に対する批判は強く、この祭時を変えさせてまで開催を強行した大祭は後に正式な大祭とされず、ネロの死後公式記録から抹消された。しかし変更された祭時は戻される事なくそのままで、最後の第293回大祭までこれは変わっていない。
また、自分の歌を披露するため、音楽競技を追加した。ネロは7種目で優勝したとされるが、その競技内容は悲惨で、特に音楽競技は聴くに堪えない劣悪なものだったという。
ネロの死後、この大会の存在そのものがエーリスの公式記録から抹殺された。このため、この大会をオリュンピア大会と認めない研究者もいる。
最末期、キリスト教が広まるにつれ、異教ローマ神の祭典であるオリュンピアは、しだいに廃れていった。313年、ローマはキリスト教を認め、392年、国教とした。この時キリスト教以外の宗教は禁じられた事によりオリュンピア大祭も禁じられる事になった。ー古代オリンピックより
結局其の褒賞と云うもの、栄誉だの名誉だのと云う部分が人間の欲望と結び付き不正の蓄積を生みやがて腐敗へと繋がって行く訳だ。
また暴君ネロはさうして権力の濫用と不正を行いしかも其れを押し通した訳だった。
さらに下手糞な歌まで歌いじぶんは藝術にも秀でた優れた権力者であることを民衆に対し示さうとした。
其のじぶんが偉いと云う考えは然し本来理性的なものでは無い筈だ。
だから其れこそ理性的なキリスト教の力により壱度は其れが廃れた形となった訳だ。
では其のクーベルタンと云う人物のことを調べてみやう。
ー彼は社会進化論の信奉者であり、優れた人種は劣等人種に社会的恩典を与えなくてもよいと考えていたことである。またナチス・ドイツが1936年のベルリン・オリンピックで示した熱意に非常に喜んだ。クーベルタンはヒットラーの強さと規律に照らされたベルリン大会を、後続の大会は規範にするべきだ」と考えた[1][信頼性要検証]。また。クーベルタンの後継者であったアベリー・ブランデージや、フアン・アントニオ・サマランチ(フランコのファランヘ党員)も右派思想の持主であった。[独自研究?]
ー また、クーベルタン男爵はこの席で「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」とも語っているが、こちらは本人が考え出したセリフである。
一方、「女性をオリンピックに参加させることは、実際的でなく、面白くなく、不快で、間違っている」「女性の誇りは、産む子供の数とクオリティーを通してはっきりと表に現れる。そしてスポーツについて言えば、女性の素晴らしい偉業は、自分の記録を出すことではなく、息子たちを勝利に向けて励ますことだ」という発言もある。1896年のアテネで、第一回オリンピックが開催された時は、女性には参政権が無かった時代で、オリンピックは男性のためにあるスポーツの祭典とされた。現代ではあからさまな女性差別発言だが、当時はこの発言に違和感を覚える人はあまりいなかったのである[2][信頼性要検証]。ーピエール・ド・クーベルタンより
エッ、其のクーベルタン氏とはそんなまるで極右のやうな考えの持ち主だったのか?
まあ其の👩の誇りの部分は分からなくも無いのだし👩がムキムキになり何でまた重量挙げだのレスリングだのをやるのかと云うことも確かに理解し難いことである。
ですが、とらあえずは「理性的な」左の思想へと軸足を移すのであればかうした女性蔑視発言は無論のこと許されぬ筈だ。
第一アノ森の爺様がつい先日其処を失敗したばかりのことではないか。
また此処まで理性的な我も時に👩を貶すことが多いが故に實は其処こそがウイークポイントとなって居り其れでもって大抵は👩に無視されるやうになり観念もろとも其の女共に撃沈されておる訳だ。ー實はこれまでに何度も撃沈されておるー
ですが理性的なこと=👩を持ち上げると云うことでは實は無いのである。
かのキリストはむしろ女性には冷淡であったフシさえもがあり、また佛陀は佛陀でむしろ其れ以上に女性には冷淡であった。
むしろ佛陀は若い頃もう物凄い👩嫌いでもあった可能性が高い。
兎に角体育會系の暴走はさうして強権による圧迫や権力の濫用、またまるで何も考えず突っ走って仕舞う傾向があり少なくとも其れは理性的な場では無いことだらう。
だから其のオリムピック其れ自体もまた冷静に見詰めて置く必要があらう。
ところが人間の本性、其れも集団心理の中にはかうして皆で集まりまさに国威発揚だの不可能への挑戦だのさうした非理性的な高揚感に対しむしろ酔い痴れるものなのだ。
だが決して群れぬ文人はさうして独り静かに「カリカリカリ」と何かを書きつつそんなバカバカしい様を冷ややかに眺めても御座る。
但し私は球技には熱中する。
例えばソフトボール。
コレは其の👩がやるものだがまさしく戦闘其のもののやうなことだ。
本日はカナダ戦をTV観戦したが其れはまさに死闘であり素晴らしい試合であった。
日本人はどうもかうした団体競技が得意なやうである。
さうして視て居て一番ドラマックに楽しめるのは矢張り球技である。
但し午前中はずっとスケートボードの方を視て居た。
スケボーだのスノボーだのは爺にとり一番分かりにくい競技かと思うのだが私に限り其れを大変面白く視ても居た。
但し大層危険な競技である。
以前に私は死に直結するやうなことをあえてやり其れを撮影しユーチューブにUPする若い奴等を大馬鹿だと述べたのだが少し此れ等にも其れに近い部分さえもがある。
然し決勝を視ようと思って居つつ家事をやりながらTVを視て居たのでつい大坂なおみの試合を視て仕舞い日本人選手が優勝するのを見逃して仕舞った。
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其の堀米氏は眞面目な感じの好青年であり多くの此の手の選手のやうに刺青を入れたりはして居ないから今回よりファンになって仕舞った。
また例えば野球。
其の🗾代表監督の稲葉 篤紀は元中京高校の四番バッターでイチローと同じ豊山町のバッティングセンターへ通い其のイチローが放つ凄い打球も見て居たのださうだ。
其れにかの大投手の金田 正一は稲沢の人である。
槙原 寛己 、工藤 公康 と山﨑 武司もまた愛知県人である。
特に家の区の隣の昭和区の出身の工藤は小学生の頃よりバッティングセンターにも通って居たさうだから当時私とも何処かで鉢合わせして居た可能性が高くある。ーさうして私は二十歳位までバッティングセンターへ週に弐、参度通い打撃技術を磨くことが肉体の上での最大の趣味であったー
左様に野球界は愛知県人により築き上げられてもまた居るのだ。
であるからなのか愛知は野球が盛んなところなのでもまたある。
でも私は根が文人なので野球の所謂根性物が實は余り好きでは無い。
ハッキリ申せば野球部のアノシゴキのやうなものが大嫌いである。
なのだけれども野球は観て居てとても面白いスポーツなのだ。
だからオリムピックでも其の野球をこそ視なければならぬ。
さらにゴルフもある。
さうかアノ松山も出場するのか。
一時期ゴルフは命を懸けてやって居たがもう面倒臭くなり止めて仕舞った。
其れも準プロ級での追求までやってみたのだがおそらくはもうまるで球は飛びません。
さうだ、大掃除でもって苦労させられるのが其のゴルフクラブの整理である。
まず五拾本程はクラブが出て来るのであらう。
ゴルフのクラブをあれこれと改造すると万単位で金がかかるものだがボールペンの改造の場合はとりあえず家にある部品で済ませばかうして金がかからず零円である。
其のゴルフの練習なども壱回で参千円程もかからう。
つまりは拾回行けば其れだけで参万もかかるのだ。
ゴルフは個による職人技の追求なので實は野球などよりも私には向いて居た。
私はさうして個的に追求するものに関しては強いのでまさしく其れが肉体的技量の為の追求の場となって居たのだ。
ゴルフの道具の追求も一時期は筆記具の追求と同じ位にしたものだった。
さうしてゴルフでは道具が大事となるのである。
我は兎に角凝り性なので其の道具は一般的なものは使わない。
参拾歳位の時に中嶋 常幸のプロモデルをすでに使って居たのだし五拾代の頃に最後の追求としてドライヴァーショットの飛距離を追い求めたのも長尺仕様のアマチュアではなかなか振り切れぬ代物を使ってのことだった。
其の折の飛距離は練習場に居合わせたツアープロにも認められた程だった。
但し其の時の飛距離はすでに失われた。
だが其の折の私の飛距離を記憶して居る人もまた居るのである。
ところが其の我の肉体での追求はどうやら終わりの時を迎えつつあるやうだ。
結局は體が爺となったのかあらゆる面で以前ほどのパワーが出ない。
其の代わりに観念の方がより研ぎ澄まされて来て居り要するに今勝負すべきこととは筋力では無く観念力の方なのだ。
其の観念力は衰えることが無い。
観念は衰えずむしろ蓄積されて行くのである。
但し肉体が衰えれば其れに伴い限定されることだらう。
だが基本的に観念は肉体程限定されず其れはむしろ∞のものである。
観念の力は∞なので實際どんなことでも考えられやう。
であるからこそ實は危うい。
其れは観念がそも自然物では無いことを意味して居る。
其のやうに限定されし自然のものでは無いのである。
さうしてとどのつまりはスポーツ=肉体の力と観念とが結び付くとむしろロクなこととはならぬのだ。
だからスポーツは只観て樂しんでおくべきものなのだらう。
さうして肉体の価値と云うのは所詮飲んだり食ったりすることと同じで其の場限りでの価値です。
其の其の場限りでの価値を余り持ち上げぬ方が良い訳だ。
ですが其の「限界への挑戦、不可能への挑戦」と云うスローガン其れ自体が實は観念的な価値です。
だから其れは変なところー肉体の改変ーに人間の観念が夢見て居るのでありまずはそれがオカシイ、変だと云うことを述べて居るのです。
もしも夢見るのであれば例えばこんな矛盾に満ちた社會を根本から変えたいだの醜い人間の心の浄化の方をこそ望むべきですのにそんな壱メートル高く跳んだり百分の壱秒早く走ったりすることで本質的に人間が良くならう筈も無い。
でないと大谷 翔平氏のやうに疲れて仕舞うのではないか。
尚彼は7月生まれの天才肌の人ですので元々危ないのです。
7、8月生まれにはさうして天才肌の人が多くさうした人は崩れる時は一気に壊れます。
いつしかさうしてスポーツ其れ自体が近代イデオロギーの實現の場とされて仕舞って居るがどうも其処が納得出来ぬ。
だから球技はただ白球と戯れて居るのが良いのです。
スポーツの世界はさうしてペンの世界とはまるで違う。
スポーツの世界は本来星々の世界や地球の自然の世界に近いものです。
要するにほぼ本能的な世界なのだから、只黙って球と戯れて居ることこそが良い訳だ。