其のWANCHERさんからまた「OHTO/オート 廃版モデル Dude / デュード メタリック 6角軸万年筆 ブラック」と云うのを落札し其れが昨日届いたばかりですが非常に個性的な廉価万年筆でした。-本体は大体千五百円程-
おまえは一体何をやって居るのだとさう皆様はお思いなのやもしれぬがこんなものは筆記具愛好家ならばむしろ当たり前のことなのです。
酷い時は最近でもー参年程前にー壱度に拾弐、参萬使ったことさえもがありました。
其のやうに我は如何にも業の深い筆記具愛好者ですので子供の教育資金だの孫へのお年玉だのそんなものには金輪際金を使わず概ね筆記具へと金が吸い込まれて行くのです。
いや其ればかりでは無く本代と筆記具代、と正直これだけでもう結構大変ですのでむしろ食うものをなるべく切り詰めまた服や靴はなるべく買わずに其の分を本や筆記具へと投入して居ると云う訳だ。
私はそんな筆記具愛好家の中でも筋金入りの方で、かっては某万年筆掲示板でもって万年筆と文化を語る掲示板の主筆を務めて居りました。ー弐千弐、参年頃から13年にも亘りー
要するに普通では無いのです、文房具に関してまるで普通では無い。
其れで稀に文房具通などがTV番組に出たりもするのですが彼等ともまた違い私の場合は筆記具のみを深く追及すると云うより一途なタイプです。
ですので此の分野こそがむしろ我の趣味としての本職の方なのだ。
対して鉱物の方は決して専門的にやって居る訳では無く謂わば自然愛好の一環としてやって居るだけのことだ。
されどこと癒されるか否かと云う部分では筆記具よりは石の方がより本質的に癒されませう。
文房具の世界は極めて人間的な世界のものでありつまりはチマチマしても居り社會性のやうなものさえ出て参りますので其処が鬱陶しいと言えば鬱陶しい訳だ。
只、我我愛好家は良いペンと出遭ったり良いペンを自分で作ったりしますともう其れだけで至福の境地へと舞い上がって仕舞いますのです。
だからまさに其れが馬鹿なのだが私は生ものー生き物ーにはなるべく興味を持たぬやうにして居る手前、其の筆記具やら石やらへの愛を抜きにしては此の世を生き抜いては行けません。
其れと筆記具とは結局は文明其のものの利器のことです。
即ち人間の技術力の賜物でもまたある訳だ。
なのですが、其の範囲が狭いとでも言うか要するに机上に限定されて使われるものですので🚗だの✈だの🚢だののやうに人間が活動する為のものでは無い。
むしろ沈思黙考し意思決定する為のものである訳だ。
ペンは剣よりも強いなどとも言われますが要するに其れは観念の為の表現の道具なのであり従って其れは常に観念的営為と密接に連なって居ります。
つまりは其の観念的営為の為の武器こそが筆記具なのだ。
また其れは武力行使の世界とはまさに正反対のもので、其処では所謂力の論理が通用せぬことだらう理性的な武器なのだ。
だからどんな藝術家もペンを使いまた絵筆を用い作品を創ります。
要するに其の表現の世界とも密接に結び付いたものなのだ。
左様に平和裏なうちに終始する筆記具の世界ですが、其のペンの世界の全てが平和な白い鳩のやうなものなのかどうか、其れは人類の歴史が終わってみないと何とも言い難いものです。
其れが逆に眞っ黒な魔境だったのかもしれぬ訳で、だから私は其れがそんなに高尚な趣味だとは實は余り思いたくは無いのである。
あくまで哲學的に申せば観念とはさうした一種哀しいものですのでそんなものをやりつつ威張って居るのは逆に理性の無い奴がすることです。
さて、其のOHTOと云う會社ですが、一言で申せば其れは特に個性的な筆記具メーカーです。
左様に筆記具の分野でのパイオニア的な存在なのですがメジャーなメーカーでは無いのでおそらくは知らない人々も居られることでせう。
尚私がOHTOの筆記具に惹かれたのは拾年位前からでむしろ最近のことです。
私には大きな文具店を回ると云う趣味がかってあり要するに其処にて最新の筆記具などを探査して来るのです。
尤も万年筆コレクターとしての私の本質とはむしろ過去に遡り特にアンティークの萬年筆を正当に評価することでもまたあった訳だ。
其れを論理的にやった人が居なかったのでなるべく理論的にやらうかとさう思いました。
ですのでほんたうはむしろ今の文具店には興味は無くむしろ百年前の丸善へでもタイムマシンに乗り是非行ってみたい訳です。
ですが其れは無理ですので米國や英國のアンティーク・ペン屋と常に懇意にしておき其処に良いモノが出たりまたは世界オークションで良いものが出れば其れに飛び付きさらにヤフオクの方もチェックするわでもう何だか知りませんがむしろ仕事の方よりもソチラの方が忙しくおまけに掲示板の方で万年筆物語を連載もするわでほんたうに良くぞソコまで徹底してやって居たものだった。
其の戦前の萬年筆、其れもアンティーク・ペンに手を出す愛好家は日本にはまず存在して居りません。
海外には其れこそツワモノのコレクターさん方が居られますが日本人で其れをやられた方はほんの一握りの方々でしかも裕福な方々だったのだらうと思います。
其処へもって何で我のやうな貧乏詩人が入り込んで行ったのか其れが自分でも不思議で御座りますが兎に角私は其のアンティーク・ペンの魅力に就きとりあえず理論的に筋道を立てて述べてみたつもりです。
だから私はね、其処いらに居る愛好家とは正直申しまして別格なのです。
また威張ったな。
だって威張らぬと眞實が皆様に伝わらぬではないか。
金輪際私はウソなどこいては居ない。
私はね、正直者だからかうしてほんたうのことしか言えぬのだよ。
で、其のOHTOの筆記具に惹かれたのは「ニードルポイント」を持つボールペンに惹かれたのでした。OHTO ball pen NO.600 - オート (文具)
其れが確か拾数年前に天白区の有名な文具ショップに置いてあり其れを壱本買ってみたのであります。
【ボールペン2色+シャープペンシル】オート マルチA 複合筆記具
其れが此れの赤ですが、後に黒の方も求めて居ます。
此れが恐ろしく個性的な複合筆記具で、値段が高めで金属軸でもって重いものです。
逆に私は軽い筆記具の方を常に好みますが、其の軸の重い軽いよりも何よりも個性的なデザインやコンセプトの面白さなどの方をより重視して筆記具をまずは選ぶ。
要するに主張のあるものの方が無難に纏められたものよりも好きなのだ。
人間などもさうで、主張のある人間の方が私は好きだ。
だが私自身にも主張がまたあり過ぎる訳なので其処でもって大抵は喧嘩別れすることになるから人付き合い自体が實は嫌いである。
ところが私は見た感じでむしろ主張の無い如何にも無難な人に見られ易いのです。
だから其処にギャップがある訳で私がかうして掲示板だのブログなどで主張を繰り返すのはむしろ其のギャップの部分を埋める為に行うことなのだらう。
兎に角此の赤いOHTOのインパクトたるやまさに横綱級のものでした。
何やらコイツにスッカリやられて仕舞い其れでもって實はそんなに使用しては居りませんがつい先日掃除して居たところ赤も黑も出て参りましたところです。
次に其のOHTOにやられましたのは今から五年程前のことでした。
Amazon | オート ニードルポイント油性ボールペン0.7 ラジアル NBP-707RDシルバー
其れがまさにコイツです。
コレのシャープ版を初め手に入れ余りの個性の強さにしてやられすぐさま追加で弐本ばかりを求めて置きました。
またボールペンの方もあると分かり其れも弐本求め兎に角凄いとさう思って居たのです。
ですがコレもまた行方不明となりつい先日部屋の掃除中に発見されたのでした。
何故そんなに行方不明となり易いのか、其処が皆様には分からぬことでせうが其れは部屋が汚かったばかりでは無くまさに持って居る筆記具の数が多いからなのだ。
おそらくは千本単位であることかと存ずる。
但し万年筆の数を多く持って居る訳では無くボールペンやシャープペンシルなどがまた多いのです。
万年筆の方は随分減ったとは言え弐百本位はある筈です。
ですが其処にボールペンやシャープペンシルを入れるとすぐに千本位になって仕舞う訳だ。
其の万年筆の方はなかなか無くなりませんがボールペンやシャープペンシルはすぐに何処かへ入り込んで行ったりするものなのだ。
RADIALのシャープペンシルの方を今左手に握って居りますが矢張り金属軸で重めですが物凄く書き易いものです。
ですが出て来た此れのボールペンの方は實はニードルポイントではありませんでした。
なのだがニードルポイントに惚れ込んで居る私は此れこそが欲しい訳だ。
ですがかうして今や何処でも買えぬやうだ。
いや何処かに残って居るのやもしれぬ。
諦めずに探すべきだ。
などとコレクターとはさうして結局欲望を煽られる世界のことですのでむしろ解脱とは正反対での心の領域でのことです。
ですが生ものでは無いものへの執着は我としては容認されるものなのです。
また其れは爆弾をつくる訳でも無くまたテロをやる訳でも無く平和裏に考え文明を反省し理性を磨いて行く為に使用されるべきものなのです。
其の筆記具を「探す」ことがまた面白いのであるが其れを幾ら熱心にしたにせよ全ての欲しいモノが得られる訳では無く結局は縁のあるモノだけが何故か手元に吸い寄せられて来るのです。
ですが其れもまた私は一応やり切って来ては居るのです。
其のやり方が半端なものではなかったが故にさうして「万年筆物語」さえもが書けたのでした。
其のニードルポイントを銘木の軸に組み込んだものがありー改造してー其れを良く使います。
其の書き味は大変優れて居ます。
其れもJS芯ージェット・ストリーム芯ーと甲乙付け難い程に優れて居る。
なのでOHTOのニードルポイント付きのボールペンは私にとりまさに別格なのだ。
最終的に筆記具趣味は其の書き味追求、筆記感の追求の世界へと集約されて来るものです。
軸の方も勿論大事なのですが、ペン先の方が良くありませんと自然と其の筆記具からは遠のいて仕舞いがちである。
こちらは是非求めたく思う。
【ボールペン2色+シャープペンシル】オート マルチB 複合筆記具
さらにこんなものもまたある。
其のDudeはこちらでも求められるやうです。ー或は此処もWANCHERさんなのか?ー
Dudeは小振りでもって重めの金属軸の万年筆で其処が如何にもOHTOらしいコンセプトの下に作られて居るボールペンだ。
此の角軸と云うものが意外と筆記具には少なく例えば鉛筆以外ではなかなか得られぬものです。
私は最終的に其の角軸の万年筆やボールペン、またシャープペンシルが好きになりました。
角軸は筆記具の軸としては壱種のオールド・ファッションであり意外と探しにくい意匠なのです。
近年でもってあえて其れを発売ししかも売れたのがパイロットのカクノです。カクノ | 製品情報 | PILOT
とは言え私も最近は万年筆業界の事情に疎くなり此のペンを知りませんのでしたが数カ月前に早速壱本求めてみましたところまさに其れが最高の携帯万年筆でした。
廉価万年筆なのですが千円以上はするものなので確りと作られて居り書き心地の方もまずは宜しい。
で、筆記具を携帯して使うと大抵は何かトラブルが起こるものなのです。
其れも我我愛好家のやうに頻繁に筆記する人の場合は實際何が起こるか分かりません。
良くあるケースが机の上のペンを落としペン先を曲げて仕舞ったりすることです。
またボールペンでも床に落とせばペンポイントにダメージが生じ書けなくなったりもする訳だ。
だから大事な万年筆を携帯し外で使うなど其れはまさに自殺行為です。
故に私は廉価万年筆を携帯することがほとんどです。
とは言え自分の部屋の机から万年筆を落とすことが何故か最近増えて来て居るのは一体何故なのだらう?
ズバリ其れは筆記具の本数が多過ぎるからです。
今机上にあるだけでも五拾本近くの万年筆、ボールペンやシャープペンシル等が複数の筆立てなどに入れてあります。
そんなものはまともな人のやる世界のことでは無く要するに筆記具に対する異常者のやることだ。
此処五年程は其処に弐拾本程の改造手作りペンが入って来た訳です。
實は昨日もまた壱本凄い奴を制作して居ります。
角軸の萬年筆で至極残念だったのはかのL.E.Watermanの1920年代の萬年筆かとも思われますが其の角軸ー七角形の軸か?ーのものがかってイーベイ・オークションに出されて居たのでしたが其れを落札出来なかったことです。
さうした眞にレアーな品こそが實は壱期壱会なのです。
根性の据わったコレクター程まさにさうした千載一遇のチャンスを見逃さぬものなのだ。
だが私もまた其れを続けては来て居たのでありたまたまソコで頑張れ切れなかったと云うことなのだ。
ちなみに私は其の種の失敗と言いますか武勇談と申しますかさうした経験又は修羅場を兎に角色々と踏んで来ても居ります。
尚掃除中に腕時計もまた出て参りまして其れは私が使った数少ない瑞西の腕時計のひとつであるTISSOTの自動巻きです。
但し私はどちらかと言えばタグ・ホイヤーのファンです。
新品 タグホイヤー モナコ 銀座NJタイム CBL2113.BA0644 TAG HEUER 時計 (nj-time.com)
タグ・ホイヤーで欲しいのはズバリ此の四角腕時計としてのモナコです。
中古 タグホイヤー モナコ 銀座NJタイム WAW131A.FC6177 TAG HEUER 時計 (nj-time.com)
ですが相当に無理して何とか買えそうなのはコチラのレディースの方です。
ちなみに私は體はむしろゴツイのですが手首だけは細く實はレディースで丁度良い位なのだ。
ですがタグ・ホイヤーは九十年代に無理して買った限定腕時計をまだ使わずに保管して居ます。
だからもう要らないのです、腕時計は。
もしも腕時計へ行くとこんな穏やかな筆記具趣味が壊れて仕舞いますのですしまた使う金の桁が違っても参りませう。
でもみんなは腕時計の方が多分好きなのだよ。
さうか、まさに其れは大変だな。
酒を飲んだり腕時計を集めたりするとすぐに数千万単位で金を使って仕舞いさうだから我はさうした危険なものには決して手を出しません。
さて本日数カ月振りにイオンへ出向きましたところ、文具売り場でとんでもないボールペンを見つけて仕舞いました。
何とJS芯入りの面取り軸モデルです。
其れが兎に角素晴らしく恰好良かったのでしたが0.28モデルの方の黑が売り切れて居り結局またアマゾンの方で買う事になりさうです。
しかも此処での解説を読みますとポイントチップの形状を変え細くして居り要するに一種ニードルポイントに近づいたものとして居る訳だ。
なのでおそらくは此れ迄のJS芯付きボールペンとは書き味の方が大きく異なるのやもしれない。
で、其のことは一般の方々にはまさにどーでも宜しいやうなことなのでせうが我我筆記具マニアと致しましてはまさに壱大事なのです。
従って其の変化を直に体験してみるより他は無い。
そんな訳で其のどーでも宜しいやうなことに限りむしろしかと拘ると云う筆記具愛好家の業に就き述べさせて頂きました。
其処を逆に申せばみんなにとりむしろどーでも宜しいやうなことであるからこそ燃えるー萌えるーのです。
要するに筆記具が命、筆記こそが我が生涯、なのであります。
其れはお気に入りの筆記具があれば此の世で生きることの辛さもまた半減すると云うことでせう。
ですがあくまで其れは本質的救済では無いので悩みが深過ぎる場合には何の気休めにもなりません。
只愉しいだけだと云うことです。
特に私の場合などは孫など居てはむしろ苦しいだけでありかうして観念と戯れつつ筆記具に萌えて居ることだけが此の世での愉しみなのだ。
いやもうひとつがあった。
無論のこと其れは石です。
石と筆記具のどちらがより好きかと申されましてもどちらか壱方には決め切れぬ程に共に好きです。
ではおまえがもしも余命壱年であるとした場合に、其の読書と石とまた筆記具とではドレを最終的に選ぶのか。
まあ目が本に釘付けになりつつ右手にペンを握り左手で石を握って居る事かと存ずる。
さうか、全てを墓迄持って行くつもりだな。
いえ私は普通の墓には入りませんので。
しかも誰かが無理矢理入れたにせよ必ずや幽体離脱し此の世に舞い戻り相変らず小難しい本を読み筆記具や石で遊ぶかとさう思いますのでまあさうご心配なさらずに。
だから本も筆記具も石も残して置かないとダメでせう。
何処かに貸倉庫を借り其処に全部を保管して置くと良いのかもしれない。
ですがもはや我は筆記具のことをやり切って来た。
其の点では石よりもずっとやりましたものですからもはや思い残すことなどは無い。
また観念の方もほとんどをやり切って来て居りますが故にもはや思い残すことなどは無い。
思い残すことがあるのだとすれば其れはもっともっと自然と深く交わって居たかったと云うことのみ。
故に採集の方で其れも出来るのですからもはや完璧ですよ、完璧。
とのことで今年の参月、四月に私は地元の各地に出没し石を採りまくって居りました。
当時は今よりも涼しくまさに絶好の晴れの日が続いて居たものだった。
私は其処でも様々な発見を致しました。
ですが、其れも私にとっては重大事なのですが社會ーみんなーにとってはむしろどーでも宜しいやうなことなのです。
ですので結局私にはどーでも宜しいやうなことを一大事と捉えるやうな感度がある。
其の感度はまたあらゆる方面にも伸びて居りますが社會を対象として其の感度なり理性力を発揮するとたちまちに矛盾の側からやられて仕舞いかねません。
従ってかうして筆記具と戯れて居ることだけが社會の不合理や文明のリスクの面から顔をそむけて居られる貴重な時間でもまたある訳だ。
筆記具生活は左様に愉しい。
近頃は筆記具がまるで生きて居るかのやうに思われる。
無機的に命ー価値ーをしかと吹き込まれた我にとってのお気に入りの筆記具はむしろ其の全部が生きて居ます。
さう我と共にかうして今を生きて居るのです。