まあさうして其の資本主義に大きく疑義を呈して置きながら他方では資本主義の齎す多様な物の世界にドップリ浸かると云うまさに素晴らしく矛盾的な暮らしをもう長く続けて来て居ります。
ですが其れは皆様も同様のことで、さうしたモノの世界にせよ色恋の世界にせよまた酒だ薬だ煙草だにせよ何でも分かっちゃ居るけど止められぬのが所詮は人間の本性だと云うことです。
此の本性と闘うのが理性ですが、其の理性も過ぎますとかっての文豪達のやうにまたキチ外画家の如くに或はキチ外音樂家達の如くに早死にしたり気が狂ったりどうしてもするのです。
だから馬鹿であることの方がむしろ幸福だと云うことだ。
命を縮めかねぬ其の本質への遡及の世界など捨て是非馬鹿にならうではないか。
どだいこんなクソ暑い夏に御勉強などして居るのは如何にも頭のおかしい人のやることだ。
其れもよりにより其の印度哲學をカレーを食いながらやって居る人の気が知れぬ。
カレーを食いながら?
勿論其れはレトルトカレーのことだな。
いや其れも以前はカレーを煮て作っても居たのでしたがもはや其れが面倒でならぬのだ。
さう食に関する活動の其の全てが面倒なのでなるべく簡単にして仕舞いたくなる。
御飯を炊くのも面倒なのでパック御飯又はスーパーの饂飩、或は仏蘭西パンで其れを食せば良い。
さすれば余った時間を思考に費やすことが可能だ。
また家は壱年程前から宅配🍱をとって居たのだが其れが年寄り向きのものだった故今後我の分はガストでとることとした。
ガストの「若鶏の唐揚げ弁当」は大体四百円以下だが安くて美味い。
尤も此ればかりだと飽きるので「ハンバーグ&若鶏の唐揚げ弁当」を少しだけ其処へ混ぜる。
其れにグリーンサラダを二つばかり頼み、其れを「若鶏の唐揚げ弁当」と「ハンバーグ&若鶏の唐揚げ弁当」へと混ぜ込み同時にレモンを弁当から引き抜く。
其のレモンで檸檬水も出来れば檸檬シャーベットなどをつくることも可能だ。
かうして五千円以下で我の一週間分の飯が用意出来るのである。
尤も其れとは別に「若鶏の唐揚げ」×弐も頼むのだが此れは🐈が食う分である。
其の鶏肉食はどうも體には良いやうだ。
だが個人的に何故かチキンカレーは食わぬのである。
カレーは色んなレトルトカレーが何故かいつの間にか家に集まって来て東南亜細亜の缶入りスパイシーカレーなどが参缶もあったので食ってみたところ其れが至極美味かった。
またいつもカリー屋カレーだと飽きるのでたまに安売りされたジャワカレーのレトルトを買って来るが其れもまた美味い。
ちなみにジャワカレーのレトルトで激辛と云うものがあるがなかなか売って居らず今回其れを始めて手に入れたのであるがまだ食っては居ない。
何故なら激辛カレー物は気を付けて食わぬと胃の方をやられて仕舞うのである。
以前に何度か酷い目にも遭って居り一旦胃がやられると壱週間程も体調が悪い。
中村屋のレトルト印度カリーも美味いが但し此のシリーズのものは食したことが無い。
左様にレトルトカレーは今や膨大な種類が世に出されて居り其れをチェックし順番に食って行くだけで大変な労力を要する訳だ。
飛騨牛カレーの方が或は一番美味いのやもしれぬが此のポークカレーこそがまさに絶品である。
高山出身の従弟の嫁が何故か時折家へ持って来て呉れる。
ちなみに飛騨牛カレーを食ったことは無く其れが今後の課題である。
但し飛騨牛カレーは何せ高いのでまさに其処にこそ反発するのだ。
さうしたブランド化されたものの価値がひねくれ者の私にはどうにも気に障るのである。
此の男のカレーが結局一番美味い。
だが其れを知って居る人はおそらく少ないことだらう。
かくして私はカルト人間なので人のやらぬことをあえてやり知らぬことをあえて知りまた言わんでも良いことを言い皆が食わぬものを食いたがる。
我我にとってカレーと言えば此のオリエンタルのしかも此の印度人のコックさんの顔が付いたパッケージのものでなくてはならぬ。
つまり他のものは實はカレーでは無い。
此の「即席カレー」のカレー粉は今味わえば決して美味いものでは無いのだが其れは我我が小学生の頃に食わされた謂わばソウルフードであり此処以外には世界中の何処にも無いものなのだ。
ーオリエンタルの由来は、東洋食品の東洋を「東洋風の」カレーの意味合いも含めて英語読みにしたものである。因みに東洋食品は1922年(大正11年)に「東洋商会」への社名変更を経て、カレーのオリエンタルに遅れる事20年後の1965年(昭和40年)にオリエンタルコーヒー商となり、コーヒー豆焙煎などの輸入食品商社と不動産業として現在に至る。
個人創業の時代は妻と2人で商品をリヤカーに積み、チンドン屋先導で売り歩く商法を取った。あんパンが1個5円の時代に、5皿分1個35円と高価ながらも飛ぶように売れたという。法人化後の1953年(昭和28年)からは、踊りや大道芸など様々な芸人を宣伝カーに乗せ、興行とカレーの試食会を兼ねた斬新な宣伝活動で、オリエンタル坊やのキャラクターのスプーンや風船を配るなど、全国各地を巡り、テレビやラジオの提供(がっちり買いまショウなど)やCMソングなどの広告宣伝で知名度を上げ、1961年(昭和36年)に販売部門を分離した株式会社オリエンタル洋行を設立して、全国各地へ販売網を拡大。個人創業から工場化後も、職人による添加物が少ない自然なカレー作りに一貫してこだわり続け、1966年(昭和41年)に稲沢市へ工場移転後も受け継がれた。
1962年(昭和37年)には、インスタントカレー第二弾である容器入りのチャツネを付けたオリエンタルマースカレーを発売。稲沢市の新工場のレトルト設備完成に伴い、1969年(昭和44年)にスナックカレーを発売(5年後に販売終了)。南利明出演のスナックカレーCMの「ハヤシもあるでよ〜」の名古屋弁フレーズは当時の流行語になった[1]。1973年(昭和48年)に清涼飲料事業に進出。グァバドリンクや炭酸飲料などを各地のオリエンタル洋行を通じて主に自動販売機などで販売された。ーオリエンタル (食品メーカー) より
オリエンタル会社のマスコットキャラクター「オリエンタル坊や」
此の印度人の顔の黑い坊やこそが何よりカレーの美味さを引き立てるのだ。
尚私の自慢はオリエンタルの金のスプーンを持って居ることなのである。
しかも其れを五年程前オリエンタルのカレーを買った時に当てたのである。
こちらにも其の金のスプーンが載って居る。
当選確率がハンパない懸賞の特賞? - オリエンタル オリジナルゴールドスプーンのレビュー
此のやうに何と純金張りが施されたスプーンなのだ。
だが勿体無いのでたとえ当たったにせよ決して使えぬスプーンなのだ。
だから私は通常オリエンタルの普通の銀色のスプーンーステンレス製のーでもってカレーを食って居る。
しかしながら其のスプーンの柄の部分にはちゃんとオリエンタル坊やの意匠が付いて居るのである。
其の印度人の坊やの意匠がスプーンに付いて居ると何故かどんなカレーも美味しく食べられるのである。
尚、其のステンレス製のオリエンタルの普通の銀色のスプーンは確か高校へ行って居た頃にすでに使って居た気がするのである。
であるとすればすでに五拾年近くも使い込んで来た訳だ。
かき氷。
其れは此の蒸し暑い日本の夏を乗り切る為の必需品である。
だが、店のかき氷は値段が高い場合が多い。
また安いガリガリ君商品情報|赤城乳業株式会社ならば良いかともまた思うのだが最近は其れを買うのもまた億劫になって来た。
其れで自分でもって何かを凍らせてみることを考えてみた。
其れも只の氷では不味いので砂糖水とか其のやうなものをつくり其れを凍らせて行くべきだ。
試しにチェリオの自販機で「レモネード」と「ゆずスパークリング」を購入し其処へ水を混ぜ凍らせてみたところ結構美味い氷が出来たのだが半分水を混ぜて居るが故に何ぶん固い訳だ。商品一覧 < チェリオ オンラインショップ
其の半分水を混ぜるのは甘過ぎるからなのだ。
市販の清涼飲料水は左様に甘過ぎるから私の場合は其れを倍に薄めて飲んだり凍らせたりする。
只有望株なのは「ミルク紅茶」や「カフェオレ」を其のままに凍らせてみることだらう。
おそらくは其れは大変美味くなることだらう。
ちなみに昨年の夏に私はとある洒落た喫茶店で紅茶かき氷なるものを初めて食したのであったが其れがまた絶品だったのである。
さうか、抹茶かき氷があれば紅茶かき氷があるのはむしろ当たり前のことなのでありまた我は元々紅茶派なのでまずは自販機にて其の「ミルク紅茶」を買って来まずは最初につくってみるべきだったのだ!
次に凍らせてみたのがスジャータの百%ジュースである。
うわあ、然しいつの間にやらこんなに種類が増えて居たのか。
但し百%ジュースで無いと其れこそ水分が氷となり固くなって仕舞うことだらう。
私は其の百%ジュースとしてのフルーツフェスタのオレンジでもって試してみたが其れがまさに成功したのであった。
其の凍ったものを弐、参拾分外に出し解凍する。
するとスプーンにて崩せる位となり其れを盛れば程良いかき氷状態に!
其れを食ってみよ。
ジャリジャリ。
さう、まさかかき氷程やわらかい氷とは決してならぬのだがいやあむしろこちらの方が氷としては豪快でしかもサッパリして居るぞ。
其のサッパリして居るのは市販のかき氷製品の如くに余分な糖分が入って居らぬからなのだ。
其れに量の方もある。
其のフルーツフェスタのオレンジ壱本を丸ごと凍らせると弐、参日はかき氷を連続して食って居られることともなる。
おまけにスギ薬局ですと百円程で売られて居るのである、其のフルーツフェスタ壱本が。
おお何と!
一番美味そうな氷となりさうなのがまさに此れである。
さらに此れ等もまた如何にもイケさうだ。
要するに此のスジャータさえあればコンビニでかき氷を買う必要などは無いのである。
尚スジャータでお馴染のめいらくグループスジャータめいらく株式会社は家から自転車でもって拾分程のところに本社がある。
此のやうにむしろ自分でもって工夫してみること、常識的な発想に留まらずチャレンジしてみることでむしろより良くなる、即ちより自分的に納得出来豊かにさえなれる可能性すらもが我我には常に選択肢として残されて居るのだ。
ちなみに本日私はNHKでもって大谷 翔平が活躍する大リーグ中継を視て居た。
総合TVでの大リーグ中継などは滅多に無いことなのでまさにTVに齧りつき其れを視て居た。
謂わば彼は異次元の天才なのでさうして超人的な活躍が出来るのであらう。
また彼のバッティングでのアノ打ち方、アレはどう見てもホームラン狙いのすくい打ちで普通ならコーチなどが直して仕舞うものなのだらう。
だが彼はやってるじゃないか。
其のオンリーワンの世界でもって彼は自らを発揮して居るだけのことなのだ。
自己へのチャレンジとはまさにさうしたことなのではないか。
自己實現の為に己を貫くこと、まさに其れが思想であり反抗で無くて何なのであらう。
で、傍から見てどんなにバカバカしく見えやうが此の度の私の其のかき氷への挑戦、自分にとっての美味しいかき氷の完成に向けての努力こそがまさに我にとっての思想であり反抗其のものなのだ。
其れもな、オリエンタルの👨のカレーを食ってからスジャータでつくったかき氷を連続して食うことこそが今の私にとっての一番の夢なのだ。
しかもな、其の特別なカレーを食う時のスプーンは必ずやオリエンタルの純金張りのスプーンでなくてはならない。
拘りとはかうして様々な部分に持ち得るものである。
其れがどんなものであれ、其処には常にストーリーがあり何より實存としての必然性のあるものなのだ。