目覚めよ!

文明批判と心の探求と

『大乗仏教』を再読してー弐ー

さらに面白いことに此の本で氏は佛教の未来のことに就いても論じられて居ます。

ズバリ其れは未来に佛教はどうなりますかと云った部分でのことです。


例えば宗教は結局「こころ教」に一元化して行くなどとも述べられて居る。

但し其の一方でキリスト教や大乗佛教のやうに絶対性に縋るタイプの教えもまた生き残ることだらうなどとも述べられて居る。


さらに将来はむしろ曖昧な「こころ教主義者」と潔癖な「宗教原理主義者」に二極分化が起こることなども述べられて居る。


其の「こころ教」とは主に単なる気休めを目的とする精神的には非本質的な部分での宗教的営為のことです。

要するに現代人の多くは今むしろ宗教に対し大きく期待など抱いて居らぬのやもしれませんのでむしろ其のことは必然として齎される結果なのでせう。



其の辺りのことでの私の考えを述べますれば、其の宗教的営為による非本質的な一元化論にせよまた二極分化論にせよ流石に良く考え抜かれて居り其れもまた大いにあり得ることなのではないかと正直にさう思う。

キリスト教の場合にせよ大乗佛教の場合にせよまた他の宗教にせよ現代社會は宗教にとってはまさに窮屈な時代ですので今後に於いてかってのやうな力を保つことは事實上難しいことでせう。


尤もどちらかと言えば日本の大乗佛教はキリスト教よりもより追い詰められて行くことだらうとさうも見て居ります。


何故なら日本の大乗佛教には兎に角厳しさが無いのでー其れも所謂律が存在せずでもってー何だか知りませんが何時の間にか葬式佛教か又は供養の為の教えであり経典や教義等を崇拝させる形式佛教へと変わり果てて居るのですから。

しかも最近はコロナにてみんな金が無いですからそんな高額のお布施などはとても出来やしないのですよ。


其ればかりか日本のお葬式が高額なのはさても一体何故なのだらうか?



兎に角現在の私の宗教への認識では、


1.佛教のタイプを纏めることこそが佛法としての合理化にも繋がること。

2.他力救済は人間の本質的救済では無いが現象の救済としては大いに機能することだらうむしろ大事な教えであること。

3.もはや現代人は人間としての本質的救済を求めては居らず但し「今此処に現象する心としての痛み、悩み」をこそ是非軽減して欲しい筈。

4.大乗各宗派が今後担うべきことはむしろさうしたカウンセラー的な役割なのではないか。

5.兎に角かうして社會が悪いので宗教が此の世から無くなることなどは無い訳だが特に大乗各宗派は今後経済的に苦しくなって行くことだらう。


と言ったことが挙げられる。


1.に就いて

佐々木氏のやうな頭の良い佛教學者ー僧侶ーが大乗佛法に対し合理化ー整理整頓ーして頂けるとなると我我一般の佛道修行者には其れが極めて分かり易くなり本を読み進めて居るにつけ何だかスッキリするつまりは気分が良くなって来さえする。

と言う事は此れ迄佛教學者だの僧侶だのがまるで其の合理化をして来ては居ない事實のまさに其れが証拠ともなる訳だ。

いまだに我が國では政府にせよまた佛教界にせよ体制に胡坐をかき続けると云った部分がどうしてもありまさに其れが徳川幕藩体制による負の側面でもまたあった訳だ。


だが其の侭ではもはや通用せぬのではなからうか。

矢張りと言うべきか今後は是非其の体質を変えて行かねばならぬことだらう。


2.に就いて

但しキリスト教の場合はキリスト教の内部の方々がもしも我我こそが人間の本質的救済なのだとさう仰るのであれば私は其の考えを尊重しあえて批判は致しません。

だがあくまで私の考えの上ではどうしても上記のやうなこととなる。


キリスト教の場合でもあくまで現象としての救済でありつまりは現實的救済であり謂わば末梢的救済なのです。

また大乗佛法による救済もまた現象としての救済でありつまりは現實的救済であり謂わば末梢的救済なのです。



3.と4.に就いて

現代では金が解決する領域がまた増大して来ても居ります。

私の場合は今もしも一億円があれば後はもう田舎の別荘へでも引っ込み其れでもって老後はほぼパラダイスでせう。


でも其の金の代わりになる精神的な解決の方法がまたあることでせう。


特に戦後は例えば都市部に於いて大乗各宗派の僧侶による説法などの機会が極端に減り例えばこんなにいつも宗教して居る私などでも僧侶の方々とさうしたお話をしたことなどは此れまでに二度程あったきりです。

ひとつは曹洞宗の御住職に佛法上の疑問を幾つかワザワザ尋ねに行ったことで其の頃は私もまだ若く22歳位のことでした。


いまひとつは55歳位の頃家が檀家となって居る眞宗の御住職が家に読経されに来られた折に矢張り其の佛法上の疑問をひとつだけぶつけてみました。

弐ケースとも懇切丁寧に教えて頂きましたがむしろ私が佛法を學んだのは僧侶の方々の説法によるものでは無く其れこそ様々な書籍によるものです。


尚私は書籍もまた大事だとさう考えて居ます。

佛道修行はまさに知恵を磨き続けることこそが大事な要件です。

屡知恵と實践などともされては居ますがですが仏教系の新興宗教などで實践されるものは本質的にはおそらく佛法では無いことでせう。



佛法は矢張り僧侶の方々にこそ教えを請い兎に角なるべく多く寺へ出向き御坊様御自身に話しかけてみるべきなのではないだらうか。

ですが私の場合は所謂独覚的な性質の人間なのでまあ独りで居ても常に何かを考えて居りしかも其の八割程が宗教的か又は哲學的な課題ですので其れは其れで一つの宇宙として完結して其処にありあくまで其れは其れでもって宜しいのです。


兎に角御寺の方がもう少し我我にとり開かれたものとなるべき時に来て居るやうにも思う。

寺の維持の為の大金などもまたどうしても要ることでせうがむしろ一番大事なのは僧侶の方々が在家の仏道修行者に対しきちんと佛法の意義を伝えて行くことなのではなからうか。



5.に就いて

さうして大乗佛教も今後はまさに金次第なのだらう。

金が無いとお寺さんは存続出来ぬので必死になってやって行く他は無く最終的には僧侶の方々がボロボロの糞掃衣を着込み諸國を経巡り托鉢にて命を繋ぐ日々、だなんて云う物凄い光景が我が國に生じて来る可能性すらもがある。


つまりはもはや僧侶の方々も威張ってなどは居られません。

何故なら相も変わらず日本の社會は進歩思想の元に技術開発を推し進めて行くだけのことなのですから。


さらに与党は政権にしがみつくばかりにて特別に御寺の方を守って居かうなどとはまるで考えては居ません。

だからお寺さんもこれからは大変なことかとは思われますが僕等庶民は今もっと大変でもう生きるか死ぬかの状態へといつの間にか追い込まれても居るのです。


其のけなげなる庶民を是非精神的に御救い下され。


其れは神社でも寺でも教会でもむしろ何でも良いのだ。

邪教以外ならば此の際其れは何でも良い。


何でかと申しますと其の他力救済としての宗教構造を我が國はしかと築き上げて来たからなのだ。

要するにみんなはもう修行も何も出来ず只ひたすらに誰かに救って頂こうとかうして待ってるだけのことなのですから。


そんな哀れな凡夫共を是非御救い下され。


凡夫の本質は本来馬鹿ですからもう難しい法のことなどは抜きにして只救って頂きたいだけなのだ。


さうして今や大乗佛法にも合理化が是非必要なのであらう。

佐々木氏はまさに其の大乗佛法としての整理整頓が出来る方だとさうお見受け致しました。