目覚めよ!

文明批判と心の探求と

硝子としての浪漫の話ー💎としてのガラスの小片ー

尚わたくしは観念の追求者であると同時に美の探究者でもまたある。

其れと食の追求者でもまたある。

 

但し大事なことはまず其の追求だの探究だのは基本的にアホなことであることを知るべきことだ。

アホであることを知った上でさうした道樂の世界に勤しんで行かねば其処ですぐに物による価値ヒエラルキーの虜となって仕舞はざるを得ぬ。

 

其の点から申せばあらゆる観念上のさうして物質上の探究は無意味なものです。

 

逆に意味は信仰の世界にのみ存して居るのだと申せませう。

其の信仰があればこそあらゆる人間の営為は初めて其処に意味化するのだとも言へる。

 

でも現代人は其の信仰の意味に気付ひては居なひ、逆に盲目化されて仕舞って居る。

 

 

さうした価値観の空虚さをまさにかってニーチェニヒリズムと云ふ概念にて世に示しましたが其の捉へ方自体は正解でせう。

 

現代人は普通其の部分がまるで分かって居なひ、つまりは感度が悪く物事を本質的には解釈出来ぬ輩がほとんどだ。

 

わたくしは其のことをまさに洗脳だと言って来て居る訳だ。

 

其のことがまさにキリスト教で云ふ悪魔の誘惑なのであり佛教で云ふ煩悩まみれでの様と云ふことです。

 

尤も問題なのは人間の場合は其の洗脳による悪の履行がほぼ社会的に成就されることでせう。

 

 

其れはどう云ふことなのか?

 

人間には心理上二種のタイプがあり、其れは社会の影響を強く受ける側と逆に影響をほとんど受けぬ側とです。

 

社会の影響を強く受ける側には世間体や体裁を第一義的に価値と据へる傾向が強くある。

対して社会からはほとんど影響を受けぬ側の人は概ね社会に対し批判的で中には社会から逃げたひばかりでの人も屡居るものです。

 

わたくしなども元々社会から逃げたひばかりでの人でしたが、かっての社会が今よりもずっと安定したもので其処では往々にして未来に希望が持てましたが故に個人的な悩みとして其の逃避願望は封じられて仕舞って居た。

即ち元々悩みは深くあったにせよ誤魔化すことが可能な時代でもまたあった。

 

 

まあ自民党もまたさうして誤魔化して来て居た訳です。

のみならず皇室もまた宗教界も日本の組織は皆其の誤魔化しでもって現世利益をこそ追ひ求めて来て居た。

 

なので其れが悪ひとは言へぬのであるしまた悪ひから革命せよと言ったって元より其れはなかなか難しひことだらう。

 

只其処のところを理性的に反省する必要があることもまた確かなことだ。

 

事實として今や日本の社会だけでは無く世界中の近代社会がコロナウヒルスにより限定されて来て居ります。

 

其処でもって少し考へてみれば分かるのですが實は自然界はコロナウヒルスにより限定されて居る訳では無ひ。

 

 

でも🐻との闘争が本格化して居りますが…。

 

いや、ここのところ実際に毎日が🐻との戦争のやうです。

 

 

ー【新潟大学 箕口秀夫教授】 「恐らく元をたどると、燃料革命の頃にたどり着くのではないかと考えている。今の新世代グマというのはそういった50年の背景も含めて、さらにそれが加速度的にクマの生態が変わってきている」 山はかつて、人間の暮らしに欠かすことのできない存在でした。人々は集落の近くにある里山で、薪を取り炭を焼きました。人間が適度に手を入れた里山は隠れる場所が少なく、クマを始めとする動物にとって住みにくい場所でした。結果的に里山が、クマが暮らす奥山と人里とを隔てる役割を果たしていたのです。 しかし、燃料が石油やガスに変わってから、人間は里山資源を活用しなくなります。大きく成長した木々は実をつけ動物のえさとなり、うっそうとした雑木が姿を隠す場所となったのです。こうした里山環境の変化により、クマの生息地域は次第に人里に向けて拡大していったとみられています。

 

新潟大学 箕口秀夫教授】 「耕作放棄地だとか、里山の林も管理されない。さらにはそういう場所の集落では高齢化が進み、人が少なくなっていく。新世代グマというのは、私たちが生み出したクマの集団だという風に考えています」

 

【須貝時栄さん】 ー 昔、猟師をやっていた頃、クマが人里に下りてくることは? 「考えられなかった。出てこなかった。それは、山にたくさんえさがあったから」

【須貝時栄さん】 「自然が壊れているから、クマがやっぱり里に下りてくる。一言で言えばそういうことだと思う。自然が壊れている。誰を恨むことはないけど、私たちの生活様式が変わって、人が一番問題なんじゃないでしょうかね。人間が一番問題。クマじゃなくて」ー「新世代クマ」の背景 人と自然の関係は? 続発するクマ被害(後編)より

 

 

其の自然界と人間の抽象的価値との齟齬であり乖離であるものがコロナウヒルスとの死闘やまた地球温暖化との格闘、また🐻との闘争を生み出して居ります。

まさに人間ー文明ーは何せ頭が悪く其のバランスの崩れを引き起こして居ることにはこれまでまるで気付けなんだ。

 

其れでも一部の人間はとうの昔に気付ひて居りました。

 

わたくしも何も此のブログを始めたー当初はヤフーブログにてー五年前に気付ひた訳では無く廿年以上も前から文明は危なひと常にさう感じて居たものだった。

 

つまりは其の自然との関係性がブチ壊れて居る訳なのだからこそ。

 

 

ー自然が壊れている。誰を恨むことはないけど、私たちの生活様式が変わって、人が一番問題なんじゃないでしょうかね。人間が一番問題。クマじゃなくて」ー「新世代クマ」の背景 人と自然の関係は? 続発するクマ被害(後編)より

 

此の壱猟師さんの言葉が全てを物語って居ることでせう。

事の眞相又は實相を何より指し示して居る言葉です。

 

 

人間は確かにもうどうしやうも無ひ馬鹿なのですが、わたくしが問題として捉へるのは常に社会としての馬鹿さ加減です。

人間の社会には大問題が複数あり其れ等の複合が自然の破壊と社会の崩壊をやがては招くであらうことはずっと以前から分かって居たことです。

 

少なくとも一部の識者の間にはさうした認識が可成以前からあったことかと思はれる。

 

ところが學者や藝術家、また宗教家などがまともに其の事實に向き合ひ「文明はダメだ」などと申しますと其処で逆に「狂人」としてのレッテルを貼られて仕舞ふ訳だ。

尤も文學系の人は其れでもお構ひなしにやって来た方なのだとさうも思はれる。

 

また一般のレヴェルで文明の馬鹿さ加減を批判すれば矢張り其れも「狂人」としてのレッテルを貼られて仕舞ふ訳だ。

 

でも其れは逆にほんたうのことを言って居るのですがね。

 

 

其の文明にとっての大問題の集積とは結局ウヒルスや温暖化や🐻や🐗などが悪ひのでは無く人間其れ自体に大きく問題がありまた其れがより悪くなって来て居る様のことだ。

 

此処まで言へば鈍感な大衆にも少しは分かって頂けるのではなからうか。

 

でもまだ分からなひ?

 

其れでは鈍感さにも程があるよ。

 

で、大學の先生方などは確かに問題を理性的に捉へられ多角的な視点でもって結論を導き出されたりもして居やう。

なのだけれども、其の壱猟師さんの直感の方がより現實を正しく言い表して居るのやもしれぬ。

 

 

ー「人間が一番問題。クマじゃなくて」ー

 

即ち🐻には問題など元より生じては居なひ。

 

またコロナウヒルスでさえ其処に問題が元より生じて居る訳では無ひ。

 

其れに地球が温暖化に至ったのはまさしく其れは人間の社会が引き起こした問題だらう。

 

其の人間は「悪」だと云ふ視点が今人間の社会にはありはせぬ。

 

逆に人間は「善」だと思って居る始末なのです。

 

まさに其れが現世利益化し洗脳され盲目化された現代人の価値観なのではなからうか。

 

 

わたくしの捉へ方とはまさに其の誤った「信仰」が齎すことだらう破滅への危惧のことです。

 

先日とある人がわたくしに対し申しました。

 

「科学的に解明されたことこそが正しひことだ。」

 

其の人は學卒ではありませんが一流企業の工場に勤めて居た方です。

 

人間としてはなかなかの人なのですが思想の方はまるでダメのやうです。

 

 

正しくは「科学は危機管理のまた価値のパラメーターとしてのほんの一部分でしか無ひ」と云ふ認識です。

 

また「資本主義は豊かさの指標としてのほんの一部分でしか無ひ」と云ふ認識です。

 

ところが頭が悪ひと結局其のことが見へては来ぬ訳です。

 

つまりは科学だの資本主義だのが構築した価値ヒエラルキーばかりを信じて居るやうでは其れは誤った信仰であり且つ何より最悪の頭の悪さでせう。

 

其れ等を信じ込んじゃってることが、まさに邪教に嵌った宗教👩の如くに愚かなのです。

 

 

頭が良ひと云ふことはむしろ否定的に世の中ー文明ーを見詰められると云ふことです。

なんですが、人間にとり此の世は須らく人間界なので其れを表立って言へば狂人扱ひされ結局は村八分とされて仕舞ふ。

 

なのでお利口に社会を否定し人間界を引退して行かねばなりません。

 

さうか、おまへのやり方が一番利口か?

 

いや、わたくしのやり方は周りと喧嘩するばかりでまるで効率的だとは思はれません。

 

で、最近は社会批判には興味が無く世界に隠された美の探究ばかりを追ひ求めて居ます。

 

何、「世界に隠された美の探究」とな?

 

其れは具体的にはたとへばどんな話なのだ?

 

 

聞きたひ?

じゃあ情報料としての一萬円を是非お布施してね。

 

一萬円のお布施は今では無くおまへが死んでからでも良からう。

じゃから今すぐに其の話をせよ。

 

 

死んだら絶対に払へよ。

 

其れはズバリ工事現場から出たお宝の話だ。

 

 

エッ?工事現場からお宝が出た?

 

要するに其れは遺跡や土器の類か又は埋蔵金の類のことなのか?

 

いやそんな大それたものなのでは無く世界中の何処にでも転がって居るやうな話なのさ。

 

 

おまへはまた何をやらかしたのだ?

 

また何かを盗んで来たな、其の工事現場から。

まあ其の工事現場の脇の公道からね。

 

僕は此の前また徳川美術館へ出向ひたのだ。

 

徳川美術館へ良う行く奴だのう。

 

其処でもって尾張藩の宝をしかと見自分の審美眼の高さを確認したひ訳だな。

 

 

流石に鋭ひな。

 

そんな大名家の宝物の見物はな、所詮はプチ・ブルジョワの趣味であり馬鹿其のものの不平等観であり自己満足の世界のことであるに過ぎぬ。

 

第一👩だらけでな、だと云ふことは👩は高級品や美術品には目が無ひ馬鹿だと云ふことだらうな。

 

 

でもおまへにも其の馬鹿がしかとあり、其れをおまへの中の観念性が否定するが故に苦しむのだとさう云ふことか。

 

まさに其の通りで苦しひ。

 

何せわたくしは美しひものには目が無ひ、其れにはすぐに飛び付く。

 

👩の裸には飛び付かぬが美しひものにはさうして飛び付くのだな。

 

其れも兎に角飛び付くのが早ひ。

 

おそらくは拾分の壱秒もかからなひことだらう。

 

 

で、徳川美術館では一体何に飛び付ひて来たのだ?

 

コレに飛び付ひて参りました。殿さまが好んだヨーロッパ

 

特に金唐革、コレが實は見たかった。

 

此の金唐革を纏めて多く見たのは初めてでしたのです。

 

 

金唐革紙

 

ーもともとは、「金唐革」という革に模様を浮き上がらせ、彩色したものが17世紀にオランダ船で日本にもたらされたのがルーツ。これを革ではなく、手に入りやすい和紙で作れないかと開発されたのが、「金唐革紙」。虫がついたり、かびが生えたりしやすく、継ぎ目が出る革と違って、継ぎ目が出にくく、比較的安価な金唐革紙は、1873年のウィーン万国博覧会を契機にヨーロッパに輸出され、評判となった。ー鹿鳴館を彩った「金唐紙」とは? その魅力を彬子女王殿下と共に考えるより

ー往時はバッキンガム宮殿の壁紙としても使用され、日本の近代建築の中でも広く使用されるようになった金唐革紙であるが、和紙の機械漉きが発展していくと、質が低下するに伴って日本独自の特徴を失っていき、大正後期頃から衰退。昭和に入り、戦前には製造技術も途絶えてしまった。これを「金唐紙」として復活させたのが、上田尚さんである。ー鹿鳴館を彩った「金唐紙」とは? その魅力を彬子女王殿下と共に考えるより

 

 

なる程、其のおまへの感性の貴族趣味がどうしても其の王族趣味、貴族趣味の金唐革紙に惹き付けられて仕舞ふ訳だ。

 

つひさうなって仕舞ひます、如何にもアホなのですが結果的にはさうなって仕舞ふのだ。

 

其れにつけても鹿鳴館だのバッキンガム宮殿だのウィーン万博だの、まさにおまへ好みの価値ヒエラルキーの上部構造の様だな。

 

さうなんです、結局わたくしは貴族や王族が大好きなのですう。

 

なんですけれども、観念的には實は革命にも魅力を感じて居りますのです。

 

 

困った奴だなあ。

 

超金持ちと貧乏労働者のどちらをも見詰めて居たひとつまりはさう仰るのだな。

 

 

元々おまへは三越松坂屋御用達の人間の筈なのに公園や橋の下のルンペンさんにもあくがれの眼差しを投げかけて御座るまさに変人だ。

 

さうなんです、まさに其処がオカシヒやうです。

 

其れに頭が良ひのか悪ひのか自分でもほんたうに分かりません。

 

ほんたうのほんたうにさうなの?

 

ほんたうのほんたうに、です。

 

 

で、工事現場のお宝の話はどうなったの?

 

いや、其れがね、とんでもなひものを発見致しました。

 

其れは一体何だ?

 

 

其れがコレだ!銀化古代ガラス残欠

 

実際にはこちらの方がより近ひ感じがする。銀化古代ガラス残欠

 

 

さてどうであらうか?

もはや此れは掛け値なしに美しひものだ。

 

つまりはまるでオパールの如くに虹色の光彩が揺らめき出て来るのだ。

だが此の「銀化古代ガラス残欠」は値段の付くものでまさにかうして売られて居るものなのだ。

 

また都会の骨董祭などで売られて居るローマングラスなどは少し良ひものともなれば数万、数十万単位で取引されるまさに宝飾品のひとつともなるものだ。

 

但しわたくしはローマングラス自体に興味はあっても持っては居なひ。

 

なんとなればローマングラスを買ふ金でもって鉱物標本の良ひ物が買へるからなのだ。

 

 

ー銀化とはガラスが何百年もの間、土中に埋まっていることにより起きる一種の風化現象をいいます。
ガラスのアルカリ成分が土中に溶け出すことによってガラスの表面に無数の微小なクレーター状の穴ができ、その穴に光が乱反射することによって虹色の輝きを帯びるのです。
この銀化という現象は人工的に作り出すことはできません。
ガラスの成分や環境、時間など様々な要素が偶然にうまく整わない限り、起こりえない奇跡といえるでしょう。長い長い時の作り出した美がここにあります。ーローマングラスより

 

其の長ひ長ひ時の作り出した美であることにこそまさに浪漫が感じられやう。

 

ところが、だ。

實はさうでも無ひことを今回初めてわたくしは知ったのだった。

 

 

ー銀化現象とは一般的には古いローマ時代のガラス容器が、土の中で500年~1000年の刻を経てガラスが化学変化をおこして"煌めく"のを銀化ガラスと呼んでいます。

 今回紹介するのは、ローマ時代の古いガラスではなく、大正、昭和のガラスビンが海底の砂泥に30~50年浸かっていると、ローマ時代の銀化ガラスと同様な銀化現象を起こしていることが確認されたので、"海の恵みの銀化ビン"としてご紹介します。ー海の恵みの銀化ビンより

ーこのようにして比較的新しい(と言っても30年以上前のものですが)ものでも"銀化"しはじめているものがありました。仮にこの間全て砂泥の中に埋まっていたと考えると30年~50年で海底の砂泥の中で銀化すると考えられます。ー海の恵みの銀化ビンより

ーつまり海水と砂泥と貧酸素状態が整うと、ガラスビンの内側の表層の酸化ナトリウムが少しづつ溶け出して、残った二酸化けい素の網状の薄膜が形成されるようです。この網状の薄膜が光を偏光させて虹色に見えるのです。さらに"銀化"が進むと薄膜が部分的に剥離してきます。そして更に進むと薄膜が壁面から完全に剥離してビンの中央にフィルムのように出てきます。こうなるのには海底の砂泥の中に数十年以上あることが条件のようです。ー海の恵みの銀化ビンより

 

 

其のやうに30年~50年でも実際には銀化は起こり得るのだった。

其の仕組みはおそらく以上でのやうに「二酸化けい素の網状の薄膜が形成されることから光を偏光させて虹色に見える」ことなのだらう。

 

 

ー愛知トマトはカゴメの前身ですから、この瓶の銀化現象は数十年で起きたことになります。紫色に美しく変化した瓶は元の瓶の価値以上の付加価値を身に着けました。

銀化現象は普通のガラスを時間と偶然性で貴重なガラスに変身させる魔法だと思います。ーガラス 銀化より

 

 

かやうにトマトケチャップの瓶でも其の銀化が起こりタダの汚ひ瓶がまるで💎の如くに輝くやうになる。

 

 

ー19世紀からあらゆる試みがなされましたが、銀化を人工的に作り出すことは出来ませんでした。ー『銀化ガラス』より

 

さうしてとどのつまりはわたくしが工事現場の横の歩道の溝から拾ひ出したものが其の銀化ガラスの切片だった訳だ。

其れは虹色に輝き、何度も何度も歯ブラシにてミューズ石鹸を付け洗っても色が落ちなひ。

 

其の輝きは晴天の日にはまさに💎のオパール以上の輝きを見せる。

 

但し見る角度によってはタダの割れたガラスの小さなカケラー凡そ4センチ×弐センチ程のーにしか見へぬ。

つまりはわたくしは工事現場に石が落ちて居ないかを確認する為に其処へ身を乗り出し見て居たので其の輝きに気付ひたのだった。

 

 

わたくしはかうした話が實は大好きなのだ。

かうした不思議な話、でもフィクションとしてでは無く現實に起きて居る不思議な現象に壱番興味があるのだ。

 

其の銀化したガラスの切片の實物の画像はまたデジカメの方が使へるやうになったら載せられるのやもしれぬ。

 

ちなみにわたくしは元々ガラスの工藝品には目が無ひ。

以前はガレやドームのガラス工藝作品が大好きで名古屋三越ーガレやドームには強ひーや松坂屋本店ー同じくガレやドームには強ひーにて開かれる催しを常に訪れて居たものだった。

 

ガラスは割れて壊れ易く其処が此のキレ易ひわたくしの高感度でもって神経質な部分と結び付くのか兎に角良く理解出来るが故に元々好きなのだ。

 

さうして大事なことは其れが只の割れたガラスの小片であり値段は付かぬお宝だと云ふことなのだ。

最近のわたくしのお宝は何故かかうして其の辺で拾って来たものばかりだ。ー主に石とガラスだがー

 

 

ひょっとしてルンペン癖が付ひて居なさりはせぬか?

ひょっとしたらさうなのかも。

 

其れもこれもアホな高級、高額の物のコレクターを長年に亘りやり過ぎ一種の仙境にまで至っておる可能性が高ひ。

 

此の銀化ガラスの小片を今左手でつまみ其れを見てるがもう其れだけで極楽の気分である。

ソレを一体何処で拾ったのか?

 

 

まさに昭和区の工事現場でだよ。

其れも東区の徳川美術館へ行く前に拾ったのだ。

 

で、實は徳川美術館の贅を尽くしたお宝の数々とはまた違ふ一級の美を其処に得たのだった。

 

こんな風に美はタダでも手に入るものだ。

但し其れは常に美を指向して居らねば決して手には入らぬことだらう。