目覚めよ!

文明批判と心の探求と

東大級の知性を築く為の方法とは?-天才級の知性を生む二元的思考の實例-

ー頭の良い人は、頭をどう使っているのか? 「自分の頭で考える」とは、どういうことなのか? 「頭の良い人」になるためには、どうすればいいのか? 

そんな疑問に答える新刊『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』が発売4日で5万部のベストセラーとなった西岡氏に、「頭の良い人とそうでない人を分ける習慣」を解説してもらいました。

 

面白いのは、そんな「超狭き門」の東大推薦入試に合格しているのは、超名門校出身者ばかりというわけではないところです。東大合格者がそこまで多くない地方の高校から推薦合格した人もいて、逆にそういう人ほど、大学に入った後で精力的に勉強し、いろんな活動をして周りにプラスの影響を与えている場合が多いです。

 

ー結論から先に申し上げると、東大推薦合格者の人たちは「普段から常に考える習慣を持っている人たち」であり、そういう高校生をこそ、東大は求めています。

東大の推薦入試からは、私たちが日常生活に立脚して、きちんと普段から「考えている」かを問う姿勢が垣間見えます。

 

そのときに、法律の限界や問題点、誰を救って誰を救えないのかといった法律を勉強するうえで重要な視点から「考えて」いれば、この問題に対応するのはそう難しくはなさそうです。

ですが、おそらくほとんどの人は、転売のニュースを聞いても「ふーん、そうなんだ」で済ませて、「考えて」はいないと思います。そういった人がその場でいきなりこの問題に対処するのは、かなり大変だと思います。

 

このように、東大の推薦では自分たちの日常と結びつけることを求める入試問題が出題されているのです。

僕は、こういう「日常から学ぶ能力の高い人」こそが、「頭の良い人」だと思っています。

 

そもそも勉強というのは、身の回りにあることを学ぶためにやるものです。「りんごが落ちるのはなぜか?」という日常の中の疑問から、ニュートン万有引力を発見したと言われています。

同じように、日常の中で、ニュースや現象に対して、「どうしてこうなんだろう?」「この問題はどうやったら解決できるんだろう?」と思考を巡らせることができると、それが自ずと「学問」になっていく、というわけです。

 

でも、「普段から考える」というのは、どうすればできるようになるのでしょうか? これについて推薦合格した人たちに取材したところ、こんな答えが返ってきました。

「マクロとミクロ、両面から考えることが大切」

 

そういう個人の感想を考えたうえで、今度は広い視野(=マクロ)で考えてみます。たとえば「でもだからって、『安く仕入れて高く売る』のは商売の基本だよなぁ」「それを規制してしまったら、国民が自由な経済活動をする権利を、国が侵害してしまうことになるかも」と、ミクロな立場で考えたことと、あえて逆の立場・逆の意見を考えてみるのです。

ここで大切なのは、偏った意見にとらわれないように注意することです。「転売ずるい!」という個人の意見だけではあまりに幼稚ですし、「国に国民の経済活動を侵害する権利はない!」という大枠の意見だけでは現実離れした空論になってしまいます。

両方の立場、対立する2つの考えに目配せした上で、「じゃあどうすればいいだろう?」と考えていくのです。

 

 「マクロとミクロを行ったり来たりする」こと。これは、何かを考える時に非常に大切な考え方です。僕は、頭が良くなるために必要なのはこの視点だと考えていますし、同じことが読解力の研究で著名な新井紀子先生のベストセラー『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』でも述べられていました。

僕たちは「難しいこと」「スケールの大きなこと」を考えるのは大変です。でも、自分のこととか、自分の周りの人のこととか、自分の住んでいる地域のこととか、日常で身の回りにあることとか、そういう内容であれば、少しずつ考えることができるかもしれません。

 

 具体的で自分に近い話=ミクロの話と、抽象的で自分から遠い話=マクロの話。この2つを普段から意識して思考する習慣があるかどうか。これが東大の推薦入試で求められることの本質であり、また「頭が良くなるための本質」なのではないでしょうか。ー東大に「推薦で合格した人」の思考法が凄すぎた 頭の良い人は「何を、どのように」考えるのか より

 

 

要するに頭の良ひ人は常にじぶんの脳味噌にて考へて居るのです。

自慢では無ひのですがわたくしの場合はさうした傾向でのむしろ最右翼者でせう。

 

其の両極の視点でものを考へる、両極の立場から事を統合的俯瞰的に判断すると云ふことなどもわたくしが常に此処にて述べて来たことです。

 

まさにさう云ふ思考法こそが幅広く世界を見詰めることに繋がり大きな精神的視野を形成して行くのです。

 

なのですが、其の両極の概念の行き来こそがなかなかより多くの人々には出来ぬことでせう。

普通の人は一面的思考に限定されて居るのでより大きな視野を持つことなどほぼ不可能です。

 

 

尤も天才的な人は其の具象と抽象としての概念的対立さへをも懼れずまさに其処を行ったり来たりして居るのです。

尚其れは元々さうである可能性が高ひですね。

 

わたくしが塾にて社会科や國語ー補習などでたまにーを教へた時に感じたのは、頭の良ひ小中学生は何せ最初からもう頭が良くさうでは無ひ子達はもう最初から理解力や考へる力が乏しかったからなのです。

但し其の頭の出来の悪さを克服して頭の良ひ状態へと持って行くことは可能なのです。

 

ところが其れも知識を増すことで六十点しか取れぬものを八十点取れるやうにすること位しか實は出来ぬ訳です。

何らかの方法で根本的に頭が良くなることなどはほとんど無く、むしろ元々頭が良かった人が何らかの形で實力を発揮出来なかった部分を知的鍛錬により回復させて行く、と云ふこと位しか實は出来ません。

 

先の両面思考、二元的思考に関しても其れは元々出来る人と出来ぬ人が居る筈だとわたくしはさう思って居ります。

 

 

事實誰でもがスポーツの一流選手になれる訳では無く、また誰でもが東大や京大や阪大や名大、私学ならば早稲田や慶応、其の他の良ひ大學へ行ける訳では無ひ。

さうした方々は矢張り特殊な其の思考法に長けて居る可能性がありませう。

 

但し文系と理系でもまた少し違ふのでせうし、また他の科目は案外出来なくても特定の科目だけがズバ抜けて出来るタイプの人なども居ますね。

 

わたくしの出た高校なども県立のとりあへずは進学校でしたのですが、私大文系コースにどうしても社会科で勝てなひ奴が居て彼の場合などは当時より世界史の教師などよりも遥かに細かく知識が進んで居りだからと言って他の教科はさして出来る訳でもなく其れでも早稲田か何処かが受かったとは当時聞きました。

 

尤も彼が大學に残り其の分野でのスペシャリストとなったかどうかはまるで分かりません。

兎に角彼の世界史の教科書は書き込みやらアンダーラインだのが凄くて其れは常に勉強して居る証拠ですので普段は文學書ばかりを読み勉強して居なひわたくしなどが敵ふ相手ではなかった訳だ。

 

ちなみにわたくしも其の私大文系コースなのですが實は世界史を選択したので日本史の方は自分で教科書を読んだだけのことでした。

でも現代國語の方は誰にも負けなかったですね。

要するに元々作文の方の能力があるのでせう。

 

 

ちなみに有名な東進の講師林 修 #人物は現代國語の講師ですが、元々理数系が強くて数学講師として採用されて居るとのこと。

 

ー受験生時代の得意教科は数学東進ハイスクールを含め数学講師としての指導歴がある[18]。ー林 修より

 

但し、

ー「高校時代に学習する科目に、無駄な教科は一科目も無い」と主張しており、自身も高校では文系クラスに属していたものの、東大受験に際して文科Ⅰ類と理科Ⅰ類のどちらも受験できる様に備えておく為に、物理や数学ⅢCなどの選択外の理系科目も自主的に勉強していた。

東海中学校時代に1000冊近い本と日本文学全集を読破。読んでは食べる生活を続け、中学三年生の頃には体重が87kgに達した[10]。ー林 修より

 

 

ともありまさに普通の文學好きのレヴェルでは無ひ訳です。

わたくしの場合は元々一人の作家を深く読み込んで行くタイプなのでそんなに多くは本を読めて居ませんのですが、其れも小学生の頃に少年少女世界文學全集や少年少女向けの世界SF全集を読み耽って居たことだけは確かです。

 

林氏の授業を少しだけネット上で視た限りでは可成に合理的に現代文を解釈して居り其処がわたくしの教へ方とは百八十度違ひます。

わたくしは現代國語もまた教へられるのではありますが、今もし小中学生に教へるのであれば其処でズバリ役に立たなひ=テストでは点の取れなひ現代文の解釈を是非教へて行きたひものです。

ー尤も小中学生の場合は元より林氏の教へるやうな大學受験の為の現代文対策では無ひ訳ですがー

 

何故なら文學の本質とは畢竟さうしたものだからなのです。

文學は功利主義でも現世利益主義でも無くむしろマイナスの価値を見詰めるものであって欲しひ。

 

さて其の林 修がいつも何を考へて居るのか其れは分かりません。

あれだけ忙しく金を儲け回って居るとなるとむしろ考へるヒマが無くなるやうにも思はれますが其処はどうなのでせうか。

 

 

ー僕たちは「難しいこと」「スケールの大きなこと」を考えるのは大変です。でも、自分のこととか、自分の周りの人のこととか、自分の住んでいる地域のこととか、日常で身の回りにあることとか、そういう内容であれば、少しずつ考えることができるかもしれません。ーー東大に「推薦で合格した人」の思考法が凄すぎた 頭の良い人は「何を、どのように」考えるのか より

 

わたくしは逆に「難しいこと」「スケールの大きなこと」を考へることの方がより楽で其れもそんな思考へとスッと入って行けます。

とは言へ今は年を取り肉体的にも限定されて来て居るが故に自分のこととか、自分の周りの人のこととか、自分の住んでいる地域のこととか、日常で身の回りにあることとか、さう云ふ身近な内容を考へることも嫌ひではありません。

 

わたくしの場合は何処かで思考と云ふか価値観が逆転して居るやうな部分がありさう云ふのがおそらく皆様には理解し難くよってか林 修のやうに人気が出る訳では無ひのです。

すぐにかうして拗ねるのもわたくしのクセで其処も矢張りと云ふべきか皆様は何だかイヤらしひ奴だなとさう思はれて居ることでせう。

 

 

要するに何やら屈折し、逆転して居ります。

此の頭自体がさうして価値観其れ自体が。

 

なのですが、両面思考、二元的思考に関してはまさしく其れこそが大事なのだとわたくしもさう思ひます。

結局頭が良ひ人は其れが出来る人なのだと思はれる。

 

其れも文系、理系の区別無しにおそらくはさうなのです。

 

但し先に述べたやうに、まさしく其れぞ昔で云ふところでの分裂思考ですので下手にやりますと気がふれたりする可能性が無ひとは言へぬ。

皆様も半分位わたくしの言説がどうもおかしひとさう思はれては居ませんですか?

 

でも頭は狂っては居ませんよ。

其れに至極眞面目ですよ。

 

 

尚其の林 修が出た東海高等学校 #進学先は県内でも屈指の進学校です。

 

国公立大学医学部医学科の合格者は、2008年(平成20年)以来13年連続して日本一で[8]、2019年度は東京大学26名、京都大学43名、国公立医学部医学科94名であった。[9]ほかに名古屋大学早稲田大学慶應義塾大学などへ進学する者が多い。ー

以上より

 

問題は国公立大學の医學部ばかりを狙って居ると云ふことでせう。

おそらくは官僚や弁護士などが今ダメなので兎に角医師になることを目指して居るのだと思ふ。

 

とは言へ医學部は何処の大學でも最難関の筈ですが其の狭き門ばかりをあへて目指すと云ふ点に於ひて流石は東海だなあとさう正直に思ひますのです。

 

ちなみに昔、塾の講師を辞めてから弐年程だったか学校への教材の配達のアルバイトをやって居りました。

其処の会長の弐番目の息子さんが人柄の穏やかな良ひ方でしたが其の東海高等学校の出身者でした。

 

ですが其の方、實は屡薬を飲まれて居たのです。

さうしてわたくしが運転手となり城山病院と云ふ精神科の🏥へ通ひ薬を貰って来るのであります。愛知県精神医療センター

 

 

要するに、頭が良過ぎて半分おかしひのであります。

 

なのですが兎に角優しくて穏やかな良ひ方でした。

わたくしが其のバイトを辞め電力会社の研究所に配置されてから其の方が亡くなったことを人伝へに聞きました。

 

病院の帰りに屡名曲喫茶へ行きクラシックだのジャズだのを聴ひて来るのです。

其れが其の方の趣味だったので我我バイトも連れて行って下さるのです。

 

其処ではいつもカフェラッテの高ひ奴を注文しそんな名曲を聴ひて居るのでした。

 

今思へば其れも良き経験でした。

経験は全部が消へ去りませうが思ひ出だけはかうしていつまでも残るものです。

 

わたくしもいつしか還暦を過ぎ、むしろさうした思ひ出ばかりが實感として感じられるやうになりました。

今現在にかってのやうな生臭ひ欲のやうなものが無ひので、或は自然とさうなって居るのやもしれません。

 

 

具象的思考⇔抽象的思考

文系思考⇔理系思考

 

のやうに両方イケるのが多分ほんたうに頭が良ひ人なのでせう。

知識量ばかりでは無く考へる力こそが何より必要だ。

 

 

知識⇔思考

 

基本として此処が両方イケると凄くなる訳です。

 

でもとりあへずはさうして分裂して居るので、一歩誤ると頭の方がヤバくなる訳だ。

ちなみにわたくしは本来ならば其処まで頭は良く無ひのです。

 

但し感覚の方が人とは違ひ凄ひ訳です。

 

感覚⇔理性

 

おそらくは此の両方を同時にイッちゃふのです。

 

なのでまた其れもまた一種の特別な才能なのかもしれません。

 

で、其の感覚の方も實は二元分離して居りませう。

 

女性原理⇔男性原理

 

とたとへば分かれて居ます。

言ふまでも無く其れも両方イッちゃふのが天才の証なのです。

 

其れも肉体的と云ふ事では無くあくまで精神的にですね。

 

でも普通の人間にはまずイケませんから皆様さう心配なさるやうなことでは無ひ筈です。

 

 

其のやうな二元分裂又は二項対立への処し方への術を持って居るのが精神的な意味での至極頭が良ひタイプの人であることでせう。

 

ところが上で述べたが如くに其処へ感覚的なことや宗教的な感性なども交わって来ますからテストの点だけでは判別出来なひ頭の良し悪しが其処に加はると見ておくべきことでせう。

だから結局藝術家もまた宗教家も皆天才だと云ふことなのだ。

 

兎に角イッちゃはねば特別な精神的次元に至ることなどは出来ません。

でも其れは一面ではとても苦しひことでもありかうして時に気が狂ひかけることさへほんたうにあるのです。

 

尤も其れがイヤで妻子に囲まれ無難に生きさうして死んでからしかと墓に入りたひタイプの方々などはそんな精神的な冒険又は挑戦は止めて置ひた方が宜しひ。

 

だからみんな普通に生き死んで行きませう。

こんな変なナゴヤの詩人みたく闘争の精神的次元を生きる必要などはこれっぽっちも御座ひません。

 

他人事みたひに言ひますが結局さうした生とは特殊なものなんでせうね。