目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

人類滅亡に関する山中 伸弥博士の提言

かうして欲望と云ふものは至極厄介なものでわたくしの場合にも其れがまるで御し切れて居なひ訳です。

ところが其れは生きて居るものみんながさうなのであり何も我我ーわたくしと読者の方々ーに限ったことではありません。

 

つまり生きると云ふことにはそんな負の側面が明らかに御座ります。

みんなはさう云ふ面をなるべく見たくは無ひので適当に誤魔化して日々さうして女の尻を追ひかけ或は信じて居る会社へ通ったりまたさう云ふのは全否定して閉じ籠りになったりルンペンとして空き缶を集め何処かへ売ったりもして居ります。

 

尤もそんな負の側面をほんたうは社会の側が常に個に対し提示して居なければなりません。

第二次世界大戦の頃まではおそらく藝術や男性原理が其れを個に対し示し続けて居たことでせう。

 

ところが戦後世界に於ひてさうした負の側面の隠蔽が社会的に為されて行ったのだらうとわたくしは思ふ。

つまりは其処に生の価値其れ自体が全肯定された。

 

 

でも藝術や男性原理又は宗教は其れはさうでは無ひことを常に知って居るのです。

其の負の側面を知ることこそが眞の意味での智恵なのであり其れは科学的にどう世界が分析されるだとか、またどう物質世界を進化させていくかとかさうしたものではまるで無ひ。

 

生の価値其れ自体は本来ならば正+の価値と負-の価値が相剋し尚且つ相即しているべきものです。

藝術や男性原理又は宗教が其れを其のやうに規定していくべきものなのです。

 

事實としておそらく戦前まではさうした関係性が成り立って居ただらう筈だ。

ですが戦後の合理化がおそらくは其のバランスを崩し去っていったことだったらう。

 

其のバランスを失すること、此れこそが文明に於ける破壊の理由でありまさに鍵を握る部分なのでもある。

さう我我はバランスを失しかうして失楽園し続けて来た。

 

其の様や根本のところでの原罪とはまた別に抽象的な失楽園こそが其処に重なるかのやうだ。

わたくしにはそんな嫌なイメージばかりが兎に角見へるので其れがもうイヤでイヤで仕方が無く其れでもって早う山へと逃げて行きたひのです。

 

 

でも其れが何故か佛教とは違ひまるで旧約聖書による神話のやうな感じなんですがね。

さうか、でも其のバランスとは結局釈迦のバランスー中道ーのことでしたね。

 

かうしてわたくしは違ふものをくっつけるのが何故か得意なんです。

正反対なもの、異質なものをあへてくっつけて仕舞ふ。

 

でも其れは危険でせう。

分裂しますぞ。

其処はまあ適当に逃げますからガレみたひにはならなひですよ。

 

其れでもって結局戦後の社会つまりは文明の全価値観が倒錯だとも申されたひのですか?

まあ倒錯でせう。

 

所詮は其れが倒錯なので破壊的現在へと全価値が収斂して仕舞ふ。

ですがあくまで其れはバランスを欠ひたことによる自己崩壊であり要するに其れはナメクジに塩をかけた時のやうな反応です。

 

ナメクジに塩?

突然また変なことを言ひ出しましたね。

 

 

ところで佛教とキリスト教はくっつきますか?

また男性原理と女性原理はくっつきますか?

 

だから其れは本質的には相剋し且つ相即して居るものです。

違ふものなのでそも外面的ー表面的ーにはくっつきません。

でも最終的には現象としての水面下で深く関連し合って居ることでせう。

 

其の負の側面の隠蔽は治りますか?

治りません。

だから文明はやがて崩壊して行くことでせう。

 

問題は其れが来る迄の時間です。

勿論秒読みはすでに始まって居るのですが、其れがあと何年持つかと云ふことなのだと思ふ。

 

もしも時間が残されて居なければ其れは数年後に来る可能性すらある。

さうして社会不安を煽ってはイカンとさうキリスト教から學んだ筈ではなかったのか?

 

別に不安を煽ってなど居りません。

さうした気分にあるのが知性としての領域だと云ふことをまさに述べて居るだけです。

 

其れもわたくしのやうな文系ラヒターに限らず自然科学者などはもっともっと文明の将来に対し悲観的です。

事實アノ山中先生でさへもがまるでウソのやうに悲観的なのです。山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」

 

 

わたくしが此処にてして居ることとはかうした知性と大衆の認識上の差乃至は危機感の違ひの部分を何とかして詰めることなのです。

大衆は余りにも何も知らなさ過ぎ、よって文明は自分達の現在と未来をしかと構築して行く筈だと結局さう信じ込んで御座る。

 

まさに其れは逞しひ信心の力であり文明としての価値観の絶対化のことです。

だが其の絶対の価値観こそが誤りでむしろ其れは破壊への道筋を信じ歩むと云ふことなのでもある。

 

またぞろプレッシャーの強ひ話だな。

なんでアンタはまともなことが一言も言へないの?

 

では其の「まとも」とは何だ?

会社へ行き金を稼ぎキャバクラでもって大酒を飲み姐ちゃんに触り遊ぶことか?

 

さうしておまへらのやってることなど須らくが低級だ。

 

おまへはもしや邪教の教祖又は眷属か?

もしや人類の滅亡を画策しむしろ其れを乞ひ願ひほんたうは神佛にも其れをこそ願って来たのではなかったか。

 

 

さうじゃあなひ、ボクちゃんはむしろとても真面目な反邪教主義者なんだ。

さて、以前にも述べたことがあったのだったが、合理化されし抽象領域は破壊を極大化することだらうと云ふことである。

 

言ふまでも無く合理化されし抽象領域を社会的に増やすことこそが「進歩」の内容だ。

ところが其の「進歩」には二面としての性質がある。

其れはより「良ひ」生への構築と生其のものの破壊つまりは「悪ひ」生への断滅の面とだ。

 

要するに其れは構築と破壊である。

此処の読者のやうに知性的な方々以外の皆様は今構築の方だけを信じ込んで御座る。

 

ところが其れは社会がさう洗脳して居るだけのことなので無論のこと破壊の面からはまるで逃れられはせぬ。

其の破壊のひとつー破壊Ⅰーが今回パンデミックとしてかうして世界に蔓延した訳だ。

 

 

 

生命科学研究が際限なく発展することへの漠然とした恐れ」

「技術が悪用されることへの不安」

 

「宇宙が生まれて百数十億年、あるいは地球が生まれて46億年、生命が生まれて38億年、その中で僕たち人類の歴史はほんの一瞬にすぎません。しかしそんな僕たちが地球を変え、生命も変えようとしている。

長い時間をかけてできあがったものを僕たち人類は、今までになかった方法で変えつつある。よい方向に進むことを祈っていますが、一歩間違えるととんでもない方向に行ってしまう。そういう恐怖を感じます。番組に参加して、研究がすさまじい速度で進展することのすばらしさと同時に、恐ろしさも再認識しました。」

 

「ゲノム編集は、力にもなれば、脅威にもなると思います。僕たちの研究所でも、ゲノム編集を取り入れていますが、ゲノムをどこまで変えていいのかという問題に、僕たちも今まさに直面しています。」

生殖細胞を改変した場合、つまり次の世代に伝わる変化を起こしたとき、何百年という単位でどういう影響がありえるのか。これらは未解決の問題です。

今の段階では、人類がゲノムを完全に制御できるわけではなく、リスクがある。やはりリスクとベネフィットを評価して、ベネフィットが上回ると考えられる場合に限って、慎重に進めていくべきです。規制も必要でしょう。逆に、規制がないと大変なことになるという漠然とした恐怖感が常にあります。」

「どういう未来が来るのか、本当にわかりません。科学者として、僕も人類を、地球をよくしたいと思っています。しかし科学は諸刃の剣です。」山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」より

 

山中 伸弥

 

 

左様に科学はもはや掛け値無しにヤバひ。

でもみんなは今科学と経済だけを信じ文學や宗教を軽んじて御座る。

だからこそ近くー2100年迄にー文明は滅びることだらう。

言はば信じて居るもの其れ自体が誤って居る。

 

尚實はわたくしは山中氏のことを当初好きではなかった。

だが今は最も尊敬する學者の一人となるに及んだ。

何故か?

山中先生が次第に悲観論を其処此処にて語られ始めたからなのだ。

勿論其れは正しひ理性の働きによるものだ。

 

かうして知性は常に悲観的に未来を見詰めておくべきだ。

山中先生は以上のやうに人類を地球をより良くしたひと仰る。

だが其処でまさしく科学は諸刃の剣なので、必ずや其処に構築と破壊を常に齎す訳だ。

 

問題は科学者は地球を壊さうなどとはまるで思って居なひことなのだ。

勿論皆逆に地球も人間も良くして行きたひとさう願って居る。

 

ところが結果的には地球も人間も共にブチ壊して行く。

 

もうひとつあへて言へば其れは大衆の心の持ち方ともまるで同じなのだ。

即ち彼等は地球も人間も良くして行きたひとさう願って居る。

 

いや、社会がさう洗脳して来て居る訳だ。

さう大衆とは社会に従ひさうして尻尾を振る番🐕のことだ。

 

尚わたくしは幸か不幸か其の内面的本質が🐈なので🐕のことが大嫌ひだ。

尤も動物が好きなので慣れれば其れを飼へぬ訳でも無ひのだが。

 

ところで犬に足の裏の匂ひなど嗅がせてみると一体其の後はどうなるのだらうか?

 

 

で、大衆もさうして社会に従ひいつの間にか地球及び人間自身の破壊に加担していくのである。

だから読者の皆様は此処の内容をよーく読み是非お利口さんになるべきなのだ。

いや、元々皆様はみんなお利口さんだ。

 

つまるところ馬鹿にはハードルが高過ぎ此処に書ひてあることなどまるで理解が及ばぬことだらう。

尚山中先生はほんたうに正直な方であり稀なる立派な科学者なのだらうとさうも思はれる。ーまさに信頼出来る自然科学者であり人格者ですらある。ー

 

 

「僕たち人類は、1000年後、1万年後も、この地球に存在する生物の王として君臨していると思いがちですが、自明ではありません。1万年後、私たちとは全然違う生物が、地球を支配していても不思議ではありません。しかも、自然にそうなるのではなく、人間が自らそういう生物を生み出すかもしれません。

うまくいけば人類は地球史上最長の栄華を誇ることができるかもしれないし、一歩間違うと、新たな生物に地球の王座を譲り渡すことになります。

今、人類はその岐路に立っていると思います。ゲノムを変えることだけではありません。大きな電力を作り出すことができる原発ですが、ひとたび事故が起きると甚大な被害が発生します。

暮らしの中のあらゆる場面で活躍するプラスチックですが、海を漂流するゴミとなり生態系に影響を及ぼしています。科学技術の進歩が、人間の生活を豊かにするのと同時に、地球、生命に対して脅威も与えているのです。」

 

「適応力は、多様性をどれだけ保てるかにかかっています。ところが今、人間はその多様性を否定しつつあるのではないか。僕たちの判断で、僕たちがいいと思う方向へ生物を作りかえつつあると感じています。

生物が多様性を失い、均一化が進むと、ちょっと環境が変わったとき、たちどころに弱さを露呈してしまいます。日進月歩で技術が進む現代社会は、深刻な危うさを孕んでいると思います。」山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」より

 

かうして山中先生が仰ることの内容の中に今後の人類の行く末に就ひてのあらゆる示唆が含まれても居やう。

理系は所詮門外漢のわたくしであるにせよ個人的には「地球は残るにせよ文明は滅ぶ」とさうも考へて来て居る。

其れもおそらくはあと百年は持たぬことだらう。

 

其れどころか2050年以降はまさに人間の社会は地獄化していかう筈だ。

 

其の「僕たちの判断で、僕たちがいいと思う方向へ生物を作りかえつつある」と云ふことに関してもあくまで人文科学的には其れは自由意志と云ふ近代的な社会権利関係の部分に大きく関わって来る問題なのだ。

即ち其の問題が實は人文、社会科学の大問題として提起されて居るにも関わらず人文、社会科学系の學者達は其れを真面目に取り上げやうとはして居なひ。

 

つまりは人文、社会科学系の學問の怠慢と云ふ問題がむしろ一番の元凶なのではなからうか。

第一今若ひ作家達は一体何を書ひて居るのだらう?ー其れもまるで読んでは居なひのだがー

もしや世間に迎合し金になるネタだけを書ひて居るのではあるまひな?

 

其れもかの高齢者であらせられる五木 寛之先生があれだけ人間の行く末を心配し色々と書かれて来て居ると云ふのにだ。

ーかうしてわたくしにはインテリ其のものを罵倒する癖が御座りますー

 

 

「人間は、特定の状況に置かれると、感覚が麻痺して、通常では考えられないようなひどい行動におよぶ場合があるからです。そのことを示したのが、アイヒマン実験です。」

「ところがチームになって、責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていたというのは、実際、科学の歴史だけでなく、人類の歴史上、何度も起きたし、これからも起こりえます。」

 

「科学を正しく使えば、すばらしい結果をもたらします。しかし今、科学の力が強すぎるように思います。現在ではチームを組んで研究するのが一般的です。そのため責任が分散され、倫理観が弱まって、危険な領域へ侵入する誘惑に歯止めが利きにくくなっているのではないかと心配しています。」山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」より

 

 

其のアイヒマン実験のことは以前に何処かで書ひた覚えがある。

確かハンナ・アーレントの學説を引き合ひにして大衆には破壊の責任が實はあると云ふことを論じた部分に於ひてだった。

 

さうして大衆には社会の🐕と化すことでいつの間にか地球及び人間の精神の破壊に加担して仕舞ふと云ふ哀しい末路こそが待って居ることだらう。

であるからこそ大衆に対し「目覚めよ!」とわたくしは説ひて居るのだ。

いや、大衆は其れでも目覚められはせぬものだ。

 

ならば宗教か又は御勉強により救って頂きなさひとさう述べて来て居る。

尤も御勉強により本質的に救われる訳では無く但し御勉強しなひと宗教の本質などとても理解出来ぬ故さう述べて来て居たのだ。

 

 

其のチームとなる、即ち社会化した時点で人間は価値観を決まって誤るやうになる。

価値観の構築の其の方向性を誤り謂はば社会的に構築されし虚的且つ抽象的な価値の構築に勤しんでいくこととなる。

 

なのでむしろ知性に恵まれし人に限り社会を断じていくべきなのだ。

逆に知性に恵まれし人々が須らく社会化するともはや其れは破滅へと一直線に邁進することなのだ。

 

かうして自然科学者でもって「科学の力が強過ぎる」とハッキリ仰ったのはわたくしにとり山中先生が初めてなのだ。

「科学の力が強過ぎる」からこそ人類の未来は閉ざされ地球は破壊し尽くされ其れに比例する形にて人間の精神もまた壊れて行くのだ。

 

 

人文、社会科学系の學問に日頃から接して居ることだらう知性ある人々は今こそ其の原理にしかと気付くべきだ。

つまりは人文、社会科学系のインテリ達よ今こそ目覚めよ!なのだ。

 

科学による進歩の力などはもはや要らず今人間に要るのはズバリ人文、社会科学系としての悲観であり且つ宗教による救ひなのだ。

 

尤も大衆には依然として其のことが分からぬか、まるで見へては来ぬことだらうが。

結局大衆とは赤信号をみんなで尻尾を振りつつあへて渡って行く🐕共のことを言ふ。