目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

案外日本的な真面目人間だったらしひ光秀と信長

尚わたくしは哲學的な思考が得意でもし一日中其れをして居ろと言はれたならほんたうに其れを一日中して居ることが苦でも何でも無ひ。

 

逆に社会生活、其れも営業マンをやって来ひ、だの、売り上げ倍増の為の会議に出てプレゼンをしてみろなどと云はれるともうほんたうに不可能と申しますかすぐにでも山の中へと逃げて仕舞ふことだらう。

 

さうでは無く作家や詩人であるかのやうに作文して居ることの方がわたくしにとっては悦楽其のものでもあり得るのだ。

 

だからかうして危機の時に様々な視点からあれこれと述べて居られること自体が嫌ひでは無ひ、いやむしろ大好き♡なのだ。

 

 

つくずく変わった奴だなあと皆様は思われるのやもしれぬがあくまでわたくしにとっては至極当たり前のことでもってまるで普段通りでのことなのだ。

 

尤も本来ならば詩の方を何とかせねばならぬと云ふのに何故かいつもこんな社会のことを書ひて居ること自体に嫌気がさすことがたまにはある。

 

バカバカしひと云ふ思ひがどうしてもして仕舞ひ嗚呼かの又吉氏のやうに芥川賞でも是非狙ふべきだったのかな。

 

いや、さうではなくH氏賞ー謂はば現代詩としての芥川賞ーの方だったよな。

 

 

などと實は思はぬ訳でも無ひのであるが、でも其処で今一度よーく考へてみると實は其処まで文學を真面目には捉へて居らずむしろ宗教による人類の救ひの方にこそより大きく興味があるのだった。ー即ち文學は単なる趣味の範囲でのことなのかー

 

要するにノンフィクションとしての人間の営為と其の継続による未来にいたく興味があり其れは何でかと云ふとわたくしがかって塾でもって社会科を教へて居たからなのだった。

 

でも其れは大昔のことなのでもはや色んなことは全部忘れて仕舞ひ大枠または骨組みでの歴史と云ふか社会制度と云ふかそんなものが頭の片隅に残って居るだけにもなって仕舞った。

 

 

まあでも其の社会科にせよ文學にせよどちらでも良ひので兎に角此の文明の現状を何とかしていかねばならぬ筈だがさても日本國の政府は一体どうやって今後を乗り切っていかうとして居るのだらうか。

 

大変だなー、もはやほんたうに大変だ。

 

なんだけれどもやれる範囲でやっていくしか他に方法は何も無ひのだ。

 

 

わたくしはヤフーブログにて此処を始めてかうして五年間に亘り文明は自己反省する必要があるとずっとさう世に訴へて来たのだった。

 

文明の自己矛盾の様を此処に描き出し現代社会の反省を促すことこそが其の目的だった。

 

其ればかりでは無く馬鹿話も結構して来たつもりなのでいつも深刻な話ばかりでも無かった筈だが其れでもヤッパリ批判が強ひと云ふか思考の癖が強ひやうだな、今読み返してみるとハッキリと其れが分かる。

 

 

其れにつけても皆様は食はれる話とかエロ話には常に群がられるものなんですね、何故か。

 

 

さてポーランドウオッカー96度の高濃度アルコール酒ーがアマゾンより届きすでに何度も使用して来て居ります。

 

其のコロナウイルスなんですが、多分🚇などではもはや皆感染して居るのかもしれません。

🚇には理性には欠ける人が屡居てあっちでゴホゴホ、こっちでゴホゴホともうマスクも無しでもって滅茶苦茶の有様です。

 

だからそんな時はもう自分で自分を消毒するしか無ひことだらう。

 

わたくしももう一箇月位は鼻水も出て居ますし喉の調子も悪ひのですがでも其れは毎年さうなのでもまたある。

但し今のところ発熱は無ひ。

 

花粉症では無く元々感染症に弱くさうして生体での防御の反応が強く出て仕舞ふのです。

 

 

其処へ高濃度アルコール酒を鼻の中へ少量垂らし込むと物凄く気持ちが良ひものです。

 

尤も高濃度アルコール酒に限らずアルコール消毒薬ならばむしろ其の方が良ひのでせうが。

 

 

ではたった今やってみませう。

 

はあー、とても良ひ香りだ。

 

でもこればかりを一日中やって居ると多分鼻がおかしくもなりませう。

 

 

僅かずつ酒は減っていきますので今度は焼酎の方を試してみませう。

 

此れは60度の原料用アルコール酒つまりは焼酎の一番強ひものです。

 

はあー、とても良ひ香りだ。

 

でもこればかりを一日中やって居ると何だか酔っぱらっても参りませう。

 

其のうちに我慢出来なくなり少しずつ舐めたりちょろりと飲んだりして居るうちにもはやアルコールが無ひと生きていけなくなる虞さへもが御座りませう。

 

 

 

さて今回は歴史の話である。

 

歴史の話は本来ならば事實の集積であるべき筈なのだが其れが必ずしもさうはならなひところが歴史其れ自体が客観視出来ぬものであり即ち主観の混ざり易ひ面があり其処からも必然として創作や脚色に基づくものであることが何より示されて居やう。

 

ところがむしろ其の点が面白く魅力的なものでもある訳だ。

 

要するに其れは物理学や数学のやうには割り切れぬ話でありつまりは合理化出来ぬ範疇でのお話なのだ。

 

 

但し其の代はりに其処では兎に角モヤモヤして仕舞ふことが多ひ。

 

まさに其れは歴史の闇とでも言ふべきものなのか、兎に角時代ごとの真相の部分がなかなか明らかにはされて来ず幾ら其れを熱心に學んだにせよなかなかスッキリとは分からぬものだ。

 

 

さて以下にて高名な歴史学者である小和田 哲男氏が「本能寺の変」につき即ちかの明智 光秀による謀反の発生につき自説を述べられて居る。

NHK大河「麒麟がくる」明智光秀の意外な“危機管理能力”と本能寺の変の真相――時代考証担当の研究者が迫る

 

今川義元を従来の桶狭間で討死したというマイナスイメージとは別に優秀な政治家であると再評価している。ー小和田哲男より

 

尚此れぞまさに正しひ歴史認識なのではなからうか。

 

 

ちなみに織田 信長に就ひてはかってネット上にてわたくしも自説を展開してみたことがあった。

其処にて我は織田 信長は革新的改革者では無くむしろ体制派であり保守的とも言へる思想の持主だったことを述べた。

 

つまり後世での流れの中で余りにも信長の革新性、合理性が強調され過ぎ彼をして進歩的な合理主義者として祀り上げて居る点につき疑義を呈してみたのであった。

 

尚其の部分での問ひがあながち間違ひでも無かったことが以下の記述からも了解されることだ。

 

ー前述した『フロイス日本史』の記述(→#人物評)から、信長は無神論者であり、神仏を否定していたと一般には考えられている[234]。しかし、実際には、寺社にたびたび戦勝祈願を行っていたことが多数の一次史料から分かり、このフロイスの記述は信憑性が乏しいことが指摘されている[234]

熱田神宮のいわゆる「信長塀」は、信長が桶狭間の戦いの戦勝の礼として奉納したという伝承がある[235]。この熱田神宮や、津島神社織田剣神社といった織田氏と縁の深い神社に対しては、信長は熱心に支援を行っている[235]

また、信長は、「南無妙法蓮華経」と書かれた軍旗を用い、京都では法華宗寺院を宿所に選ぶなど、一定の範囲で法華宗も信仰していた形跡が伺えるという[236]

このように、信長はごく普通に神仏に対して信仰心を持っていたものの[237]、迷信による弊害を嫌った[238]。ー織田  信長 #信仰より

 

ー実際には、信長はすべての仏教勢力と敵対関係にあったわけではなく、自らと敵対しない宗派についてはその保護を図っていた[319]。また、キリスト教を特別に厚遇したわけでもない[319]。自身に従う宗派には存続を認めつつ、宗教権力に対する世俗権力の優位を実現するという方針が、織田政権の宗教政策の基調にあったと考えられる[318]。ー織田  信長 #宗教政策

 

 

また信長は安土城天守の五階と六階の部分に強ひ宗教色を持つ障壁画を描かせて居たともされて居る。安土城 #城郭中枢部の寺院 強い宗教色

ー但し六階と七階として居る説もまたネット上にはありー

 

ー正八角形の「八角の段」と称し、宇宙を形どる。柱や天井はすべて朱漆に塗られちょうど法隆寺夢殿のような建築構成になっている。柱にはのぼり竜、くだり竜の彫刻がほどこされ、地獄より天国へいたる仏教観を示す。
 内陣には、釈門十大弟子のなかで釈迦が教えを説く様子を描き(釈迦説法図)、外陣(廊下)に面して、地獄における餓鬼畜生(阿鼻地獄図)が金碧極彩色の障壁画で描かれている。ー天守五階ー信長の館を見るより

ー正方形で、外観は金箔で仕上げられ、内部は黑漆塗りである。「天子南面」する「四角の段」と言われ、正面の南➡西➡北➡東へと一周し天子創世の中国故事に基づく、道教儒教の教義を描いている。中国創世記の帝王(三皇五帝)、老子孔子・七賢人などを描く。ー天守六階ー信長の館を見るより

 

 

以上による安土城天守五階、六階に描かれし佛教及び道教とまた儒教の教へを説ひた障壁画の存在からしても信長は無神論者などでは無くむしろ強ひ宗教観の持ち主でありかうした神佛乃至は伝統的な宗教か又は思想にしかと寄り添ひ國としての精神を定め其れを基調として國を治めて行かうとして居たことは明らかだ。

 

ちなみに安土城天守五階、六階に描かれし障壁画こそが日本の宗教・思想を統一した「天道思想」を表現したものとも言はれて居る。

即ち信長はむしろ日本人の精神の統一をこそ誰よりも強く願って居たのである。

さうして「天道思想」による天下統一をこそ其処に願って居たのだ。

 

だがおそらくは後世の者が信長をして破天荒な反逆児乃至は革命者に仕立てあげたくてか、或は歴史上の御勉強としての浅さ、其の適当さにより信長こそがかの國を革命しやうとしていた大うつけであるとのイメージを勝手につくり上げ其れでもって現代の信長系のゲームなどには訳の分からぬ西洋甲冑を身に纏ひし信長が魔王として覇権を目指すとの何ともマンガチックなイメージが定着するに及んだのだ。

 

 

だがそんなまさにアニメヲタク好みなイメージこそが誤りなのだ。

 

さうでは無く信長は神佛を尊拝し伝統的な秩序を大事にする嗚呼まさに保守派としての一大名でもあった。

 

ところが元々利口でしかも潔癖、其れも朝は早うから起き真面目に天下統一へと邁進するまさに生真面目な性格の部分が権力を掌握するにつけ次第に気をおかしくもしていくのであった。

 

 

つまりは元々利口過ぎつひ気が狂ひ易かったのだとも言へやう。

 

比叡山の焼き討ちなどは信長の焼き討ちの前から複数回に渡り實は行はれて居て其の事實から言へることは当時如何に我が國の佛教勢力が腐敗して居たのかと云ふことだ。

 

要するに潔癖な信長にはそんな佛教の腐敗振りに我慢がならなかったのだと云ふべきだらう。

 

そんなに不真面目な佛教の侭ならいっそのことキリスト教を布教させたるぞ、と云ふそんな衷心よりの批判又は諫言の思ひにて当時信長は佛教勢力を弾圧して居たのだらう。

 

 

 

さて其の「本能寺の変」こそがまさに問題だ。

 

上にて小和田 哲男氏の説を拝見すると確かに信長による数々の傍若無人な行ひが無かった訳では無ひやうなのだ。

 

が、其れもまた上にて述べたやうに利口過ぎた信長が國を治める程の権力を持つことで次第にオカシクなって行ったことだらう可能性が高ひ。

 

 

さうして其処に絡んで来るのが實は明智 光秀の性格なのだ。

 

光秀もまた可成の保守派であり利発でもってしかも真面目な性格ではなかったかとさう判断されやう。

 

また優しひ人間でもあった訳だ。

 

なのだが實は信長にも一面で優しささへあったのである。ー事實として山中に住むとある障碍者を手厚く保護したことさへもがあったー

 

其の優しひと云ふのが真面目な人の特徴なのでもある。

 

 

ところが、同じやうな部分を持つ奴は實は可成に相性が悪く出たりもするものなのだ。

 

わたくしはむしろ其れが出たものと見ても居るのだ。

 

 

要するに当の二人には日本人らしひクソ真面目らしさが随所に見ひ出され其の真面目と真面目がぶつかり合ひ次第にいがみ合ふことでつひに感情的にブチ切れあんなことになったのだと今はさう思ふのだ。

 

要するに似た者同士での夫婦喧嘩のやうなものに近かったのではなかったか。

 

尚小和田  哲男氏は上にて「信長の悪政を阻止するための光秀の危機管理だった可能性もある」として「信長非道阻止説」なるものを提唱されて居る。

 

おそらくは結果的にはさうなることかとも思はれるのだが光秀の謀反の根本のところにはどうもそんな日本人が持ち易ひクソ真面目なのだけれども何処か気が狂ひ易ひ性格の部分が色濃く関わって居たのではなかったかとさう思へてならぬのだ。

 

つまり其の時には明智 光秀自身も利口で且つ真面目過ぎるが余りにおそらく半分位は気が狂って居たのであらう。

 

 

だから利口でもって且つ真面目過ぎる日本人は所謂天下取りなどの社会的事業に邁進などしてはならずむしろ速やかに山奥の方へと目を向け一目散に其処へと逃げて行くべきなのだ。

 

ところが利口で且つ真面目だったのは實は徳川 家康其の人もまさにさうなのであった。

 

だが此のタヌキジジヒは矢張りと言ふべきか存外に腹黒ひところがあり其れも当時の江戸などと云ふ辺鄙かつ役立たずで文化も何も無ひ腐った土地に何と世界一の規模を誇る城下町をやがて創って仕舞ふのだった。

 

だが家康もまた其の花のお江戸が全て近代化されて仕舞おうとはつゆ程にも思はなんだ筈だ。

 

また信長にせよ此処まで日本の國が近代化されやうとはまさか思はなんだ筈であらう。

 

 

太閤秀吉は或はさう思って居たのでせうか?

 

全然。

 

秀吉は兎に角お市の方が好き♡なだけだった。ー但し異説もまたありー

 

其れと黄金の茶室が大好きなだけのこと。

 

そんな訳で遥か昔に繰り広げられし日本史における最大のミステリーの一つのしてのクーデターには其処に日本人の典型的な性格としての資質が深く関与して居たと云ふ説を本日述べさせて頂きました。

尚「天道思想」に就ひてはまた別枠にて是非追求してみたひところではある。

 

また信長が陥った狂気に関してはまた日を改めて書ひてみたひとも思って居る。

其れは今回とは比べ物にならぬ程悪夢的な要素に充ちた話とならう筈だ。

 

また其れは信長個人がと云ふよりも時代自体が其の歴史の悪夢としての数々を形成して居たのだった。