目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

壊れぬと云ふ日本の価値を目指さう

 

玉川徹氏、新型コロナ感染拡大で「モーニングショーは煽っている」批判に反論「言っている多くの人は、ただのカウンター」

尚久々の芸能ネタですが「羽鳥慎一モーニングショー」だけは此のところわたくしも屡見て居ます。ー無論のこといつもは見て居らぬ。ワイドショーを視れば視る程脳が腐るが故にー

 

何でかと云ふとコメンテーターの玉川  徹氏が五十五を過ぎてまだ独身であり京大出の高学歴左翼でもって物凄く理窟に強ひ、即ち弁が立ち利口だ。

利口の特徴は危機感を強く持つことであり、逆に馬鹿は危機を危機とも捉へられず此の期に及んで便所紙を高額にて売り捌ひたり女の尻を追ひかけて居たりも致します。

 

わたくしもまたどうしても危機感が兎に角強くあり、どうも此の玉川氏の理窟癖のやうなものに親近感を抱ひて仕舞ふので此の人の言ふことばかりを注目して感染症対策につき見て居ります。

なのですがわたくしは今朝日新聞を始めとする左翼全般も所詮馬鹿だとさう述べておるのです。

 

いや、確かにわたくしはかってむしろ合理主義者にて右は皆馬鹿だとさう思っても居たのであります。

 

なのですが西部 邁先生➡佐伯 啓思先生へと極左➡保守への思想的流れを辿るうちに次第に頭の良ひ合理主義者の盲点のやうなものに気付かされ兎に角佐伯先生の著作物を片っ端から読んで嗚呼、なる程、保守の方にもこんなに頭の良ひ學者さんが居られたのだと感激したのだった。

 

また西部 邁先生のオルテガ研究の部分にも大いに触発されいやー、オルテガって凄ひな、現代社会が必然として陥る精神としての暗愚さ、精神としての闇の部分をくっきりと描き出しても御座る。

でも精神の貴族性のことだったらむしろ世紀末としての仏蘭西文學の方にこそあるのではなひかしら。

 

などとも思ひつつ兎に角佐伯先生の思想史の方に嵌り込んで居たのでした。

 

玉川氏の理窟はまさか其処までのものには至っては居らぬ筈。

 

なのですが概ね左翼は常にバリバリに危機感を持ち文明又は社会を心配しては居りませう。

 

だから左翼を馬鹿呼ばはりするのは余りにも可哀想だ。

 

 

が、其れでも猶其の合理化平等思想には馬鹿を感じて仕舞ふのです。

 

丁度かっての日教組や今の日本共産党が馬鹿だったのと其れは同じことです。

 

尤も自民党は所詮もっと馬鹿ですよ。

 

ならばどうしたら良ひのだ?

 

 

だからこそ共同体主義でもってアナーキズムをやる方がまだしも良ひのだ。

 

つひでに言ひますが公明党も可成に馬鹿ですよ。

 

どだひ宗教政党が何で与党にまでなって居るのだらうか?

 

 

兎に角日本國の政治的状況は馬鹿其のもの。

いやそればかりか日本國の宗教の方も實は可成に馬鹿です。

 

 

おまへはさうして周りを全部小馬鹿にし其れでもってじぶんだけが利口だと所詮はさう感じて居るのだらう?

むしろおまへのやうな馬鹿は他に此の世に居らぬわ。

一体全体何様の積もりか。

 

 

嗚呼、つひ言ひ間違へて居りました。

どうかお許しを。

 

確かにわたくしだけが其の大馬鹿者で左翼の皆様や自民党の方々はもうほとんど天才並のお利口さです!

 

だが安倍首相の女房はアレはどう考へても何処かおバカなのじゃなひでせうか。

 

其れから稲田 朋美ちゃん、どうもアレも理性があるやうにはわたくしには見へませぬ。

 

尚羽鳥 慎一は早稲田を出て居ると云ふのに知性派では無ひのか余り利口には見へぬ。

逆に大馬鹿者かと思って居たアノ長島 一茂が「羽鳥慎一モーニングショー」にて感染症対策につき至極もっともなことを述べて居て驚ひた位だ。

 

 

 

小倉智昭氏、孫正義会長のPCR検査100万人無償提供に代わる「マスク100万枚寄付」に「金額から言ったら10倍ぐらいあってもいい」

ヤフオク?がマスク百万枚寄付と云ふのは、其れは凄ひでせう。

でもどうせなら是非一千万枚にして下され。

言ふまでも無く何でも今無ひものが一番必要なのです。

 

わたくしももう子供用のちっこひマスクしか無ひ。

 

即ち何処でも誰でもマスクが無ひ。

 

マスクどころかアマゾンで買った消毒用の酒もまるで届かぬ。

 

 

第一マスクと👩とではどちらが大事だ?

 

ズバリ👩よりもマスクの方がずっと大事だ。

 

 

尚、ヤフオクは結局凄ひです。

万年筆などでも日本のものでとんでも無くレアーなものが屡出されて居たりも致します。

 

勿論イーベイの方も凄ひのですが、日本の物に限れば日本のネットオークションは矢張りと云ふべきか凄ひ。

 

糸魚川産の翡翠の原石の蒐集などは鉱物展や専門店で買ふとむしろ馬鹿をみませう。

 

其れこそ下らぬ石を弐萬五千円でもって買わされたりも屡致します。

 

 

ところが逆に鉱物展や専門店での掘り出し物もごくたまにですがありまさに其処が難しひところなのです。

 

糸魚川産の翡翠の原石の蒐集に限りネットオークションやネット販売でもって今なら充分に出来ると見ておくべきでせう。

 

 

万年筆の方もわたくしの場合はオークションを含めたネット上にて物凄ひ物を沢山視ても参りました。

 

怖ろしひことに戦前の超レアなものがNEAR MINT状態で屡売られて居たりもする。

 

一番凄かったのは廿年程前にモンブランのMEDICI限定万年筆Lorenzo de Medici L.E.の金製モデルが海外にて売りに出されて居るのを視たことでした。

 

MEDICI限定万年筆は結局限定万年筆の王様であり勿論わたくしも此れを屡使って字を書ひております。

 

 

モンブランから2億円の万年筆が登場!

 

尚こんな話つひでに言ひますが筆記具メーカーとしてのMONTBLANCは次第におバカ化し最近ではこんなにバカバカしひ万年筆まで発売するに至った。

 

おバカ化即ち必要以上に権威化したのだとも申せましょう。

 

其れでもって限定万年筆なども全体に妙に高額となりかってのやうに筆記具専門では無く高級な腕時計までをも作る会社となって仕舞った。

 

わたくしは昔から脱権威派なので特にMONTBLANCのファンと云ふ訳では無ひのだがMEDICI限定万年筆とNo.149マイスターシュテュック レッドゴールドコーティング 149 万年筆だけはずっと使ひ続けて来て居る。

 

尤も昔の軽くて金ペン先の本質的性質の強ひNo.149だけしか我我は使ひませんのですが。

 

 

ちなみにわたくしは万年筆コレクターには良く知られた某掲示板にて13年程万年筆物語の連載をして居りました。

 

要するに物マニアとしてのライターだったと云ふ訳だ。

 

だから今でも時折食ひ物のことなども書くでせう。

 

 

本来はそんな馬鹿です。

 

なのですが、文明の方の雲行きが次第に危うくなっても参りました。

 

 

もはや其れは物マニアなどではまるで太刀打ち出来ぬ領域だ。

だから昔の精神性のところー詩人肌のところーへと戻ることにしました。

 

どだひ文明がヤバくなると我我コレクターは安心して蒐集の方を楽しめなくもなりませう。

 

其れと若かりし頃より親しんで来た純文學や哲學、また宗教の分野での自分なりの決着をつける必要もまたあった。

 

そんな訳で元々物欲にまみれし馬鹿なのですが昔に戻り精神の方にて世と関わらうとしたのが此のブログでの内容です。

 

 

さて其の二億円もの馬鹿万年筆を一体誰が買ふと云ふのでせう?

 

大富豪や石油産出国の要人などが買ふのだと思ふ。

 

コレをもし日本で買ったとして一体消費税は幾らになるんじゃらう?

 

 

其の馬鹿万年筆が現代には多くあり過ぎると云ふことを結局わたくしは結論として其処にて述べて居たものだった。

 

と言ふことは高級な万年筆が軒並み馬鹿となり本来万年筆としてあるべき姿を逸脱し何かとてつもなく下らぬものになりつつもあったのだ。

 

なのだけれども、ほんたうは馬鹿ばかりでも無く半分位は何とか使へるものがあるのだった。

 

 

ところが現代の限定万年筆は兎に角皆値段が高ひ。

 

要するに其処で虚の価値に酔ひ痴れ過ぎても居らう。

 

其れもユーザー並びにメーカーが共に其の虚の価値に酔ひ痴れても居たのだった。

 

 

わたくしは其の実相と云ふか眞實を古ひ萬年筆を蒐集することで初めて知った。

 

其れもそんな全国区の万年筆愛好の分野でのライターだったので中途半端なものではなく萬年筆の初期のものまで実際遡りやっていくことで初めて其れが分かったのだった。

 

 

なのではありますが、其の現代の虚の万年筆も其の全部を虚即ち馬鹿と断ずる訳には結局いかなかったのだ。

 

其れは丁度文明を馬鹿として全否定出来ぬこととまさに瓜二つでのことで、文明の営為にはまさに其れとしての価値がまるで無ひ訳では御座らぬ。

 

でも本質的には矢張り馬鹿である。

 

 

本質的には馬鹿なのでドンドン破滅の方へと進歩するのではあるが、其れでも馬鹿は馬鹿なりに意外と重宝し只其れはクソ高ひ割に適当に作られて居り實は戦前の萬年筆の方がむしろ壊れずに長持ちする。

 

戦前の萬年筆には若干ながら職人の技、モノを作る上でのタマシヒのやうなものが込められて居り合理化されし現代の万年筆のやうに機械の力だけでポンポンと作られるものには非ず。

 

 

其のポンポンと作られる割に値段が高ひ=所謂ステータスがあるともされる馬鹿万年筆はしかしながら芸能人とか政治家や王族など金のある人々には兎に角受けが良ひ。

 

ところが本質的にはつまりはモノが悪ひ。

 

悪ひので、決まって十年位で壊れやう。

 

でも成金達は其処でまた二億円も出してかのモンブランを買ふのであった。

 

 

其のやうな構造が實は現代社会に於ける諸制度、👩、子供、👪、親戚、会社、共同体、國など兎に角あらゆる社会的な領域に拡がっておりつまりは其処には本質的な価値が欠けておる。

 

本質的な価値を持つ良妻賢母や本質的にのびのびと育つ子等や本質的に郷土愛を持つ共同体や本質的に國民を愛する國家、なのではなく皆合理化され事實👩などはいつ不倫を仕出かすか知れたものでは無ひ。

 

 

👨の方も夜18時以降は何を考へて居るものやら其れは恐ろしくて口が裂けても言へぬ。

 

またどんな國でも事實上國民は皆奴隷なので謂はば生かさず殺さず、でもって兎に角最大限に個を搾取していかうとするものだ。

 

 

怖ろしひことに現代の全てがさうして自己矛盾していって居るのだ。

 

其処では物も精神も全てがさうなっていくのだと見ておくべきなのだらう。

 

 

おそらく作家の先生方とわたくしが違ふところは極めて現實的にそんなナマの姿としての現代の現實をもうイヤと云ふ程に見続けて来たと云ふことなのだ。

 

其れでもってモンブランは日本人のコレクターのみんなが憧れる一流の万年筆なのである。

 

何せモンブランは独逸製の万年筆で謂はば理性的にキチッと作られて居り其処は確かに多分に作りが大雑把な現代の伊太利亜製万年筆などと比べればとりあへずは信頼出来る。

 

なんですが、其れでも案外壊れたりも致します。

 

 

むしろ一番壊れなひのは日本製の高ひ万年筆でせう。

 

日本製の万年筆は今一つ個性が弱くデザインの面で面白みが無ひのですがまず壊れはしなひ。

 

 

いっそのこと日本人及び日本國もさうなってみては如何でせうか?

 

壊れなひと云ふまさに其の価値を追求していくべきなのではなひでせうか。

 

ところが現實にはむしろ壊れていく方に何故か向かって居るやうだ。

 

 

 

尚わたくしは其の厄介な伊太利亜製の現代の万年筆の愛好家なのでもまたある。

実際伊太利亜の万年筆にはこれまでどんなに苦労させられて来たことか。

 

伊太利亜の万年筆は理性的とは言へずむしろ非理性的即ち感情的且つ直観的でもって無駄な部分が兎に角多ひ。

 

其れどころか役立たずの部分さへ持って居るのです。

 

 

其れでもって伊太利亜の万年筆は其の多くが壊れるに至った。

 

ところがギッチョン、伊太利亜の万年筆は何としぶとくも生き残って居るのであります。

 

 

其れはどう云ふことなのか?

 

實は部品となり生き残り独逸の万年筆や日本の万年筆と合体!して御座るのです。

 

尚此の部分は創作では無く事實です。

 

實はかのMEDICI限定万年筆にも伊太利亜OMAS-二、三年前に潰れた万年筆の会社-のペン先を付け使って居るのである。

 

 

さうして伊太利亜の万年筆は次第にバラバラになり部品と化し万年筆の改造に供されて行くのであった。

 

 

伊太利亜は兎に角かようにしぶとひ。

 

だが其処でトラブルは起き易ひ。

 

事實伊太利亜は感染拡大でもって沈没寸前だぞよ。

 

 

日本國の場合はこれまで壊れぬと云ふ価値が何せ強みだったのだがさてこれからは一体どうなるのでせう。