賀正 2020年元旦
2020年と言へばもはや時代は未来に入って居る。
我々が今到達し生きるのはそんな未来としての世紀だ。
或いはそんな視点も必要なのやもしれぬ。
様々な古きものが死に絶へ又は淘汰され新しきものが生まれやうとして居るのかもしれぬ。
認めざるを得ぬことだらう其の変化をどう捉へどう評価するかと云ふことは勿論個々としての人間の選択に委ねられて居る。
どう変化しかつどう変わらなひかと云った自由は元来人間の側にこそ其の選択権があらう。
我我はもはや自然による規定、神による規定を離れ抽象性による飛翔を成し遂げし存在なのだ。
つまり我我自身に全ては委ねられて居る。
未来は全て我我が決めるものなのだ。
我我はもはや全てを自己責任として生きていかざるを得ぬ。
そんな未来に何が待ち受けて居るかは、我我自身の選択により其れが変わる筈だ。
皆我我が幸福への道を築くことを願ってやまぬものだがおそらくは事実上其れは荊の道となることであらう。
我我の選択によってはむしろ滅亡への道のみが其処に大きく広がって居るのやもしれぬ。
そんな場合には社会の選択は個としての選択では無ひ旨を一度是非自己確認しておくべきだ。
私がこちらだと言ったのに何故か社会はさう選択した。
さうして置けば我我個の責任は免れ得る筈なのだ。
わたくしが此処にて示すのはそんな破滅に於ける責任逃れの方法である。
わたくしがさう述べたにも関わらずさう社会は選択した。
と云ふ其の選択の誤りの指摘なのだ。
「よくもそんなことを!」グレタ演説を「コンテンツ」として消費する大人たちに言いたいこと
コイツの言ってることにも確かに一理はある。
さて年末のNHKの芥川の番組はなかなか良かったと思ふ。
何故なら当時の上海の退廃と芥川の精神の脆弱さが其処に共に良く表現されて居たからだ。
但し歴史物を年末に書ひたので其れをご覧頂きたひ。
大事件勃発。タイヤ交換中に・路上を歩いていたら…イノシシ大暴れ、3人けが
ほーれ見たことか。
🐗の突進の恐怖並びに🐻の牙の恐怖とさうして🐍の一噛みの恐怖こそが現代の恐怖其のものぞ。
今やホモ・サピエンスには怖ひものなど何も無ひかのやうにさへ見へやう。
だが實はどーぶつ達にやられて仕舞ふことこそがむしろ一番の恐怖なのだ。
お化けなどは全然怖くは無ひ。
何故なら人間自身が其のお化けなのだから故に。
暗闇にお化けが出ると確かに怖ひ。
だが文學をやった人、又は修行に励んだことのある人は何がほんたうに怖ひ者であり得るのか、其の正体につき分かって居るからそんなもの實は少しも怖くは無ひ。
さう陽の下に現代文明の世界がかうして拡がって居ること、真昼間からさうして人間共がのうのうとして何かを為し増へ続けていくと云ふ事実程怖ひものは無ひ。
嗚呼、お化けは其処かしこに普通に居たのだ。
怖ひ。
兎に角怖ひ。
早う山へ逃げ帰りたひ。
元々わたくしの祖先はさうして山の洞窟で暮らして居たのだった。
其の後駿河の國辺りで今川方の雑兵となり尾張の桶狭間へとやって来て居たのだ。
丁度其の頃かの信長は熱田神宮にて戦勝祈願をしておった。
今川 義元の軍勢はむしろ前衛に仕掛けられし戦にて相次ひで勝利し気焔を揚げて居た。
だが其処を豪雨が襲ふ。
まさに其の折に織田軍は奇襲をかけた。『尾州桶狭間合戦』(歌川豊宣画)
かくて義元は討ち取られ其の後今川家は滅亡することとなる。
尚近年、今川 義元はこれまで言われて居た程に軟弱な武将ではなかったと云ふ説が浮上して来て居る。今川 義元 #人物・逸話
が、基本的には矢張りと云ふべきか雅な趣味人であったことだらう。
其の趣味性の高さ、即ち文化的素養のある貴族的な武将であったことだけは間違ひ無ひことだらう。
其の折に我が先祖ー足軽ーは戦場から敗走し桶狭間から数キロ離れし星崎と云ふ土地へ逃げ込みその後隠れ住んだとされておる。
其れで其処には久〇と云ふ名の人々が今でも多く暮らして居るのである。
わたくしの母は其の久〇の家の者である。
即ちわたくしの血には其の今川勢の雅を尊ぶ気質、いや今川 義元其の人の気質がしかと受け継がれておる。
しからば織田上總介、こやつめこそが我が宿敵であり先祖の仇を討たねばならぬまさに其の対象なのじゃ。
即ちかの織田 信長こそが我が宿敵ぞ。
つまりは織田 信成、こやつも我が宿敵ぞ。
嗚呼、雅なる其の今川の血統、其の文化人としての怨念を晴らすべく今こそ我は立ちあがらねばならぬ。
何としても織田、アノ織田の末裔に一矢を報ひるべく矢を放て、鉄砲を撃て、太刀にて切りかかれ!
が、事実としては織田 信長のことが元々嫌ひでは無ひ。
むしろ好きであった。
何処が好きかと云ふに自分中心で世の中を回す其の過剰な自信こそが好きなのだ。
尚、松平 元康(徳川 家康)は今川方の先鋒を任され大高城を守るべく奮闘して居た。
つまりは我が祖先にとり松平 元康は味方でもあった訳だ。
故にか我は次第に徳川 家康に親近感を抱くやうにもなる。
まさにタヌキジジヒにてイヤな奴ながら物凄ひインテリ爺だった訳でもあり。
そんな訳でわたくしの両親は今を去ること六十二年前にかの徳川園にて挙式を行っておる。徳川園の歴史
何を隠さう其の脈々として流れる久〇家の血統こそがわたくしをして詩人ならしめ今此処にかうして祖先の来歴を語らせて居るのだ。
いや、其ればかりでは無く滅びし今川家の其の雅なる血統、即ち文武に秀で文化的に洗練されし武家としての貴族性、おお其の貴族としての矜持こそが我等が財産よ。
たとへ滅びし自負ではあれ確かに其は我の心の内にも存して居る。
何故かあっけなく討ち取られし今川 義元の怨念を存分に晴らすべく我は今を生きておるのだ。
ちなみに母の弟二人ー叔父ーは二人とも文化を解する教養人だ。
上の叔父さんは今俳句など詠んで御座る。
下の叔父さんは能狂言などが大好きだ。
共に酒は飲まずに菓子を食ふ。
菓子つまりお茶の時間=ティータイム=貴族としての習慣が大好きで但し問題は共に👩好きでもあることだった。
ところが、父方の血が入ることでわたくしの場合其の👩好きの部分のみが打ち消されて仕舞ふ。
其のやうに和歌を嗜み茶華道を愛し伝統芸能を大切にする下級の武家としての血統がわたくしにはしかと流れて居らうぞ。
ー大高城を守っていた松平元康(後の徳川家康)も戦場を離れ、大樹寺(松平家菩提寺)に身を寄せるがここも取り囲まれてしまう。前途を悲観した元康は祖先の墓前で切腹して果てようとした。その時、当寺13代住職登誉天室が「厭離穢土 欣求浄土」を説き[注釈 5]、元康は切腹を思いとどまった。そして教えを書した旗を立て、寺僧とともに奮戦し、郎党を退散させた。以来、元康はこの言葉を馬印として掲げるようになる。こうして元康は今川軍の城代山田景隆が捨てて逃げた三河岡崎城にたどりついた。ー桶狭間の合戦 合戦後の情勢と影響より
ー「厭離穢土欣求浄土」は戦国時代、徳川家康の馬印に用いられたことで知られる。
松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れた。前途を悲観した元康は松平家の墓前で自害を試みるが、その時13代住職の登誉が「厭離穢土欣求浄土」と説き、切腹を思いとどまらせたと言われる。
すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとの意味であった。ー
ー厭離穢土 (おんりえど、えんりえど)とは、浄土教の用語。欣求浄土と対句で使われることが多い。読みは、辞書によっては[えんり‐]を採用しており逆に[おんり-]は誤りとするものもある。
この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)として、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味。
語源は、源信の『往生要集』冒頭の章名に由来するが、その内容は「欣求浄土(ごんぐじょうど)」とともに、浄土教思想の基本的特質を表している。ー厭離穢土より
かうして戦に敗れし松平 元康は死のうとしたが岡崎の浄土宗の寺の住職に諭され切腹を思ひ止まる。
つまり、お江戸は此の住職のお蔭で出来たのだった。
故に元よりお江戸は浄土宗には決して頭が上がらぬ筈だ。
「厭離穢土 欣求浄土」
嗚呼まさに此の世は穢土其のもの。
だから浄土宗では此の世では幸せにはなれぬ故死んでから幸せにならうとして居るのだ。
なのでかの徳川 家康の思想の根本のところにはまさに此の厭世思想が根付いて居た筈。
此の世は楽園では無ひとさう分かって居たからこそむしろ其処に武家による盤石の体制を築ひていったことだったらう。
では一体何が楽園なのだ?
だから、其れは、イエス様や法然上人様が又或は親鸞上人様が述べられたやうに人間が神又は佛のお力により救われなくてはならぬのだ。
其の救われし心の形こそが天国又は浄土と呼ばれるものなのであり故に信心無くば其れは決して此の世には現れぬ理想郷としての世界なのだ。
でも此の世での成功者は浄土とやらへ又は天国とやらへ生きたまま皆行けるのでは?
いや、さうでは無ひ。
むしろ財力が信仰への障礙と化しなかなか浄土又は天国へは行けぬことと相場が決まっておる。
であるが故に持てる者こそむしろ施さねばならぬ。
また貧乏人や文盲であれ浄土又は天国へ入れぬものでも無ひ。
どんなビンボーでもバカでも良ひとさう仰るので?
其れどころか盗人でもまた殺人鬼でも浄土又は天国へ行けるのですか。
でもそんな宗教は邪教でせう。
現実上の幸せを悉く反故にしてあの世でのみ幸せになれるだなんて、そんな社会にとり都合の良ひ論理はまさに革命とは正反対の精神構造でせう。
だからこそ当時は弾圧されて居たのだ。
弾圧のみならず、かの道元などは浄土宗批判をこっぴどくして来てもおる。
浄土思想こそがウソコキだとさう述べてもおる。
わたくしなども昔浄土教は邪教かもしれなひなとさう考へてみたりもして居た。
だが結局は優しひ仏教なのだらうとさう思ふやうにもなって来た。
即ち楽園は無ひ。
此の世に楽園など無ひのだ。
なんとなれば社会が馬鹿だから人間はいつまで経っても幸せにはなれぬ。
其の絶望の淵から精神を救ひ出して呉れるのがイエス様であり法然上人様であり或は親鸞上人様なのだ。
ならば浄土宗又は浄土真宗こそが正教なのですか?
いや、さうでは無ひ。
道元は正教とは禅宗だと其れもズバリ曹洞禅だとさう述べても御座る。
では座禅すれば救われて誰でもが仏になれるのですか、其れともキリスト教徒になり十字を切ったり「厭離穢土 欣求浄土」とでもやれば天国か又は浄土に行けるのですか?
其れは知りません。
アナタが信じれば多分イケるんじゃなひだらうか。
でも他にも南無妙法蓮華経の方とか様々にある故其れはあくまで選択の上でのことです。
じゃあアンタは一体何を信じて居るのだ?
うーむ、さうですね。
信ずるべきものが見当たらぬことに対し闘って居ると云ふことこそがまさに信仰に値することなのやもしれぬ。
強ひて言へば理性を信じつつさうして信仰と闘って居るのです。
尤も理性を信じると同時に其れをこっぴどく疑っても居りますのですが。
つまりは純粋なる理性批判をかのカントの如くに為して来てもおる。
さらに楽園に就ひて近頃は考へても居た。
結局楽園は無ひよりはあった方が良ひのやもしれぬ。
生きやうが死なうが楽園が無ひことこそがむしろ実相なのだらうが其れは知識層にはさう理解されても庶民にはまるで理解など出来ぬ事実なのだ。
だから社会ぜんたひの為に浄土教は浄土思想を創った。
但し其の浄土思想にも仏法として根本での脆弱性があらう。
何故ならキリスト教的な仏教こそが其の浄土教なのであらうから。
じゃあ禅宗の方が仏法としては強ひの?
禅宗は世間離れもしても居やうから実際はさうでもなひ。
元々禅宗は脱俗の傾向の強ひ、即ち本来の釈迦の教へに近ひ部分のある教へでもある。
禅宗と浄土宗とではどちらが好きですか?
最近はどちらも嫌ひでは無ひ。
大乗仏教を否定せず認めることに一応は決めたからだ。
其れにキリスト教の方もとりあへずは認めて居るのだし。
イエス様が正しひことを言はれて居るので自然とさうなっていったのだが。
では結局一番正しひのは誰ですか?
釈迦じゃらう。
他の誰でもなくシャーキャ族の王子である其の人シッダルタ様のみだ。
ところで釈迦は👩嫌ひでしたか?
さもありなん。
だが釈迦には子が居られた。
多分間違って出来た子であらうが後に彼を弟子にして居るので釈尊の血筋は其処に途絶へたのだ。
血が途絶へても良ひのですか?
逆に血が続く方がむしろ謗法なのだ。
だから独りでもってマニアックに生き適当に死んでいくのがある意味では理想の生き方だ。
何も遺さない方が良ひと仰るので?
其の通り。
放蕩せずに独り死ぬのが理想。
でもマニアックな放蕩の末に死ぬるのは世に何かを遺すことよりもずっと上なのだ。
うーむ、案外楽ですね。
いや死ぬまで独りなのは楽では無ひ。
但しマニアックな放蕩で此の世に未練を残すからマニアも結局は輪廻しさうして転生する。
其れが👩と共に此の世に縛り付けられることよりはまだマシだと云ふことではある。
さうした生ものへの執着こそが實はご法度なのだ。
いや怖ろしひことだ。
いや其れがほんたうのことだ。
だから此の世の価値観こそが逆なのだ。
でも逆でも良ひのだ。
とさう浄土宗は救ひを説くから其は現実的で包容力のある教へでもある。
だからこそ人生に敗れた時、また最初から理不尽さを背負ひ生きる場合や運悪く人生が滞る場合でも其処には救ひの手が差し伸べられて居やう。
さうした優しさが、他宗派に欠けることだらう包容力こそが浄土宗としての最大の魅力なのだ。
であなたは一体何宗の信徒なのです?
わたくしは釈迦の思想=法の弟子です。
つまりは自称の釈迦の弟子と云ふことだな。
かの松平 元康が切腹して其処に果てて居たならば無論のこと江戸に幕府が開かれることなど無かった。
さらに浄土宗による元康への説得が無ければ無論のこと江戸に幕府が開かれることなど無かったと云ふ訳だ。
元より娑婆世界は穢れて居る。
其の事は人間の社会=文明が続く限り変わらぬ実相なのだ。
其れは個としての人間が汚れて居るのでは無く社会化されしものが必然として陥る一つの罠としての🐜地獄の様だ。
即ち社会的に構築されし抽象的なる欲望が其の穢れを成り立たせていくのだ。
実際何処の神社仏閣でも権威権勢へとやがては傾き其処に護るべき仏法としての純度を保ち得なくもならう。
現世での組織的な栄達即ち現世利益を追ひ求める其の心こそがさうした謗法へと繋がっていくことだらう。
社会=文明が宗教をも壊す点につき今回は論じさせて頂ひた。
恐ろしひことだが社会化した権威はさうして須らく矛盾化しやう。
浄土宗とて其の矛盾からは逃れられぬ。
だが浄土宗には或は愛がありはしなひか。
愛とはもしや死後に生じる神又は佛のことではなひか。
死後に生ずる楽園即ち天国か又は極楽浄土のことではなひか。
愛とはさうした死後の希望のことでもあらう。
まさに其の死後にしか希望が持てぬと云ふ社会の根本でのダメさ加減のことだ。