「反抗して学級つぶしたらいい」…いじめ被害教諭の担任児童にけしかけ
「子どもに『あなたのこと嫌い』」教員間暴力の加害教員、児童にも
うーむ、どうも此処までのことをかの女性教諭が言ったとなると、コレはもはや所謂お局様体制が其処にしかと確立されて居たのではなかったか。
ですので、お局様体制は男性が展開する社会組織の上での矛盾とはまた違った意味でとんでもなく横暴かつ感情的即ちヒステリックに展開されていくものなのだ。
お局様の権力志向、其の権力の濫用振りはまさに凄まじく兎に角其処ではじぶんよりも立場の弱ひ特に男性社員などを常に見下しておる。
本来ならば女であることを反省し殿方の為に尽くしさうして強ひ子を産まねばならぬ其の大仕事を放棄し、タダタダ其の自活への欲権力欲に摺り寄り男を足蹴にし其処で権威権勢を欲しひままにする。
しかも常にヒステリックでわがまま。
このやうな女が居てはもはや教育もヘッタクレも無く仕事もヘッタクレも無ひ。
さうしたお局様を現在のところ一人知って居りますし無論のこと過去にも何人もわたくしは見て来て居ります。
ですから、本来ならば母性と云ふものはあらゆる矛盾を其の子宮の中に受け容れることつまりは全ての罪を受け容れ赦すことでなければなりませぬ。
即ちかの聖母様の如くにどんな罪をも受け容れて下さることで悩める命に常に励ましと癒しとをお与へになるもののこと。
ところが此の権力女の言ふてることと来たら全くひでえもんだ。
逆におまへがむしろ率先して学校から出ていけ。
「置かれた場所で咲きなさい これからの人生で自分が希望する環境にいつもいられる訳ではありません。自分が置かれた場所に、不平不満を言うのではなく、そこで精一杯 自分なりの花を咲かせましょう。これは、先生の大好きな言葉です。がんばってね。」ー加害女性教師の言葉ー
ですから、其れを何でじぶんに適用出来ぬのですか。
お局体制によるヒステリックな権力など所詮はしたなひことであると其処でなーぜお分かりにならぬのですか。
はしたなひ、つまりおしとやかではまるで無ひと言ふことですな。
おしとやかとは謙譲の美徳であり男性の突進力を素直に認め其れにつき従ふおおまさに大和撫子としての真っ直ぐな心根のことぞ。
なので金輪際男をバカになどして居てはならぬ!
左翼思想の根本矛盾が其の悪しき平等観に浸されて仕舞ふところにこそあり。
確かに人間は等しく個としての権利関係を保証され得る社会を築き上げました。
だが其の権利の行使とは公益性が担保された上で行われるべきものだ。
また権力の行使とて決して個としての尊厳を冒すものであってはならぬ。
或はかのお局様はひょっとすると所謂オールドミスの類なのではなかったか?
四歳年上の所謂オールドミスがわたくしの昔の恋人で廿台の後半より十三年間付き合ひましたが其処では所謂オールドミスのお局様特有の観念上の横暴と云った部分がふとした折に必ずや出て居たものだった。
ですから其れこそがもはや根本的に病気です。
だから君はまずは其の病気を早う治すべきだ。
其れは精神的な病であり精神的な病は教師であらうがなからうが関係無く此の社会では通用しなひ。
だから此の際即教職を去り尼寺へでも是非ともお籠りなされ。
さうしてもって其の静かな庵にて自らの心をしかと目詰め一体何が悪かったのかと云ふことにつき日々深く考へよ。
アレ結局は男をバカにして居たこと、其れだけがわたくしの行ひし宇宙一の犯罪だった。
と女の身でありながら其の宇宙一の大罪を犯したじぶんの至らなさと愚かさに其処でようやく気付く。
とくと其処を反省し潔く仏門に下るのじゃ。
左様に女とはまずは仕事などでは無ひ。
まずは女とは家事に精を出すことであり、また家名を汚さぬやうしかと殿方につき従ひ家庭の切り盛りを完璧に行ふこと。
おおまさに其のやうな殊勝な心掛けにて幕藩体制ひいては日本の文化的伝統が正しく引き継がれていかうぞ。
ですから、お局先生、そもアンタが言ってることとやってることには矛盾がある。
さうした悪ひところー社会的権勢ーでもって子宮力をのびのびと使っては金輪際イカン。
さうではなく、子宮力とは包容力です。
其れも社会を育む包容力であるべき。
何故か?
何故なら社会は元々悪ひものだと繰り返しわたくしは述べて来ております。
社会は理性的に考へる限りむしろどうしやうもなく悪ひものだ。
ですから、わたくしはかの荀子と同じ結論をまさに現代に導き出した訳です。
なので、其れー社会ーは人間の抽象力によりより悪くしかならなひものだ。
ですが、其の社会の根本での悪さによる破壊を押し止めるものこそが子宮力なのです。
ところがそんな未使用の子宮に限り二面化するのです。
即ち母では無ひ女は二面化の程度が甚だしひと云ふことだな。
だからむしろ其れは使用した子宮でなくてはならぬ。
使用した子宮からはより大きく包容力が醸成されるのです。
即ち其れこそがアガペーにもほど近ひ母の愛、即ち無償の愛のことだ。
其の無償の愛に気付き、還俗した上で是非武士の妻となりなされ。
おおまさに武士のやうな男性を虜にし是非玉のやうなをのこを輝くばかりの其のをのこを産み落とし是非御國の為に役立てるのです。
が、其の子の将来は単なる右翼ではいけません。
また単なる左翼でもいけません。
脳減る賞を取るやうな合理主義者に育てても猶更ダメです。
即ち武士であってしかも日和見主義者、極左でもってしてしかも極右派、と云ったまさに其のやうな廿一世紀型の両極が統合されし一人の青年に育てあげねばなりません。
なる程、其処ではある程度学校絡みでの其のイジメと云ふかパワハラ構造が成り立って居た訳だ。
教師の能力の向上の為の叱責位はむしろ必要かとも思われますが、「裏切ったらどうなるか分かるやろ。完全に切る。だから誰についたらいいか分かるやろ」ー以上より引用ーと云ふ言ひ方はまさに恫喝です。
「一連の問題では、前校長が昇任した2018年に、30~40代の教員4人が後輩に当たる若手4人に暴力や暴言を繰り返していたことが判明。尻が腫れるまでたたかれたり、激辛ラーメンを目にこすりつけられたりした被害教員もいた。」ー以上より引用ー
要するに被害教諭は一人では無かった訳だ。
尚教師もまた基本的には体制には従順です。
其れは其の場其の場での学校管理体制に対して従順なのです。
わたくしもかっては県立高校の生徒でしたが、其の折の校長が市内の甘ひーより利口なー高校へ転任すると途端に甘くなりつまりはまるで大人しく変身していったのだそうです。
ちなみに其の甘ひ高校とは愛知県立瑞陵高等学校ですが、母はかっての実務女学校の出身ではあるが其れが戦後統合されたのであくまで瑞陵高等学校の卒業生となります。
ですので其の話も母から聞ひて居るのです。
ドレドレ、杉原 千畝ー日本のシンドラーーに江戸川 乱歩ー大推理小説家ーに谷川 徹三ー哲學者でもって詩人谷川 俊太郎氏の父君ー
はあー、一体どんな学校なんじゃらう。
ま、普通の高校なのですけれどもね。
私の母校である県立高校でも實は色んなことがありました。
一年の時に友人の美術部のTが夏休みに警察の御厄介となり其れでも学校へは出て来たのでしたが暴力教師に椅子は蹴られるわ暴言を吐かれるわで。
彼などはお兄様方が皆お医者様と云ふご立派な家系の御坊ちゃまで夏休みにはまるで軽井沢の別荘の如き彼の家へ何度か遊びに行きああー落ち着くええとこやなー、などと思って居りましたが結局彼は退学して仕舞ひました。
ただし、其の後其れも高校を出てから三十年後位にはわたくしの考へは変わって居りました。
即ちTは幾ら上品な家柄の人間であれ其の試練を耐へるべきだったのです。
何故なら事実警察に捕まったことは其の通りでのことだったのだから。
わたくしは次第に管理教育と云うよりも事の是非としてのケジメをつける厳しひ教育こそが必要だと思ふやうになった。
何故か?
特に九十年代以降、我が国の中学生や高校生のダラケ振りはもはや見て居て気持ちが悪くなる程でした。
また最近特に気になって居ることをひとつ話させて下さい。
たとへば向こうから中学生や高校生の集団が歩ひて参ります。
ところがこちらも向こうへ向かって歩ひておる訳だ。
だから其れは昔は当たり前に目下の者である中高生が道を譲るべきです。
ところがコイツラ、其のまま真っ直ぐ進みコチラがよけなければぶつかって来るのです。
其ればかりかスマフォ見てる中高生も始終ぶつかって来る訳です。
即ち躾がなって居りませぬ。
果たしてコイツラほんたうに日本人なのか?
即ち目上の者に対する尊敬の念が一切消え失せて居ります。
わたくしはもうさういふことにのみ腹が立ちます。
わたくしが塾の先生をして居た八十年代には其れはほぼ考へられぬことでした。
確かに其の頃から変なアイドルだのが出て来て居りましたがまだしも其の種のケジメだけはつひて居りました。
第一そんな援助交際だの何だの全くふしだらなのもイイところだ。
だから昭和が終わった辺りから日本国としての古き良き精神の世界はほぼ死に絶へていったのです。
但しわたくしはかの三島先生のやうな行動主義には走らぬ。
其れに事実右翼ですらありません。
かと言ってすでに左翼でも無ひ。
ですが思想はこんな風に根強く持って居るのです。
即ち右でも左でも無ひ人文としての理性に導かれたところでの思想の保持者なのだ。
さうして思想の右左に限らず、向こうからオジサンオバサンが歩ひて来れば当然のこととして若者は素早く道を譲るべきなのです。
また金を稼ぐ為に春を鬻ひでなどしては決してなりませぬ。
其のやうな教育以前での躾、まさに其処こそがなって居らず其れが左翼平等主義教育並びに合理主義教育が陥りし最大の矛盾であり誤謬なのです。
でもって先生の方もまたなって居なかった訳です。
よって先生と生徒を共に躾ける教育制度上の改革こそが今まさに急務なのです。