「子どもの未来、奪わないで」 15歳の活動家、COP24で演説
『私はグレタ・トゥーンベリといいます。15歳です。スウェーデンから来ました。「クライメート・ジャスティス・ナウ」の代表として演説しています。
スウェーデンは小国なので、私たちが何をしようと問題ではないと言う人がたくさんいます。
でも私は、どんなに小さくても変化をもたらすことができると学びました。
もし、たった数人の子どもが学校へ行かなかっただけで世界中の注目を集めることができるのなら、私たちが真に望めば力を合わせて何ができるかを想像してみてください。しかしそのためには、それがどんなに不快なことであっても、はっきりと発言しなければなりません。
あなた方は人気低落を恐れるあまり、環境に優しい恒久的な経済成長のことしか語りません。非常ブレーキをかけることだけが唯一の理にかなった対策なのに、あなた方は私たちをこの混乱に陥れた、あの悪いアイデアを推進することしか口にしません。
それは大人気のない発言です。その重荷をも、あなた方は私たち子どもに負わせているのです。でも私は人気取りのことは考えません。私は気候の正義と生きている惑星のことを考えます。
私たちの文明は犠牲にされています。ごく少数の人たちが莫大なお金を稼ぎ続ける機会のために。
私たちの生物圏は犠牲にされています。私の国のようにお金持ちの国の人たちがぜいたくな生活をするために。その苦しみは、少数の人のぜいたくのために、多くの人たちが払う代償なのです。
2078年に、私は75歳の誕生日を迎えます。もし私に子どもがいたら、一緒に過ごしているでしょう。子どもたちは私にあなた方のことを尋ねるかもしれません。まだ行動できる時間があるうちに、なぜあなた方は何もしなかったのかと。
あなた方は、自分の子どもたちを何よりも愛していると言いながら、その目の前で、子どもたちの未来を奪っています。
政治的に何が可能かではなく、何をする必要があるのかに目を向けようとしない限り、希望はありません。危機を危機として扱わなければ、解決することはできません。
化石燃料は地中にとどめ、公正さに目を向けなければなりません。この制度の中で解決することがそれほど難しいのであれば、制度そのものを変えるべきなのかもしれません。
私たちは、世界の指導者たちに相手にしてほしいと懇願するためここへ来たのではありません。あなた方はこれまでも私たちを無視してきました。そしてこれからも無視するでしょう。
私たちは言い訳を使い果たし、時間も使い果たそうとしています。
私たちは、あなた方が望もうと望むまいと、変化は訪れると告げるためにやって来ました。真の力は人々のものなのです。
ありがとうございました。』以上より引用
今回君はまさに正論を世界に対して述べ切った訳だ。
其の意義は大きく、或は世間の者共がアレ?もしや?と気付かぬ訳でもなひことだらう。
だが問題は世間の手強さなのだ。
おおまさに世間は手強ひぞよ。
たとへばどんな風に手強ひのか。
たとへば今後君にパートナーが出来子なども出来るものとしてみやう。
すでに其の時点で君は経済的、社会的な枷を背負ひ少なくとも余計に物質的欲望に生きなければならなくなる。
むしろそんな負債を美化し愛だのぬくもりだの未来だのと全くクサひ言葉を並べ立て自らの行為を正当化することこそが大人としての常套手段なのだ。
よって社会とは其の誤魔化し、即ち欲望の追求に屁理屈をつけ誤魔化す作業=大人の仕業の巨大なる集積場なのさ。
尤もわたくしのやうな自称の詩人はさういふのはもう全部捨て切って居るゆえさうした無駄な労力には生きずまさに実存の美のみを追求して居るんだ。
だから正論が通ると云うのは、1.宗教2.藝術ー文學を含むー3.改革派の範疇でしかあり得なひ。
つまり欲得抜きにして生きる世界でしか其の物質的欲望からは逃れられぬ。
つまり世間の常識的な大人が皆妻子を大事にし長生きをしたひ訳だが其の侭に其れをやれば必然的に地球は壊れやう。
が、其の地球を壊すことよりは妻子を大事にし長生きをしたひ欲望の方が遥かに強ひ。
つまり地球は壊れてもイイ。
壊れてもイイからじぶんの範囲がまずは大事だ。
其れを知ることこそが、いや、知りはしないがウソこひて生きていくことこそがまさに大人としての嫌らしさだ。
実際に大人はいやらしく裸の女さへ好んで触るのだぞよ。
キミもそのうち触られて仕舞ふと其の触った男の虜となって仕舞ひ今の純粋な聖なる気持ちを維持出来なくなるのやもしれぬ。
だが今の君の言葉こそが真実としての正論だ。
君などは生涯に亘り闘ひに身を捧げてみてはどうか?
其の聖なる認識を腐った、嗚呼、腐り切った其の大人共へと、旬の話題や人気にしか興味が無ひ下卑た大衆の群れへと常に投げかけていかれるがよからう。
『2078年に、私は75歳の誕生日を迎えます。もし私に子どもがいたら、一緒に過ごしているでしょう。子どもたちは私にあなた方のことを尋ねるかもしれません。まだ行動できる時間があるうちに、なぜあなた方は何もしなかったのかと。』
2078年にはわたくしはもう死んで此の世には居らぬ。
だからどうでも良ひ。
地球のことなんざもう知ったことではなひ。
多分其の頃にはまた他の惑星か何かで何らかの批判を為して居らう。
自称の詩人は兎に角腐った奴等が大嫌ひだ。
地下鉄でマスクもせずにデカい咳を繰り返して居る馬鹿も大嫌ひだ。
さう2050年にわたくしは91歳となります。
ですが多分あと五年も生きられれば良い方だ。
幸か不幸かわたくしは大衆では無ひんで、もはやこれまでに精魂尽き果てて来てもおるので。
『あなた方は、自分の子どもたちを何よりも愛していると言いながら、その目の前で、子どもたちの未来を奪っています。』
ですから、其れがオトナと云ふものなんです。
オトナとは、アホになること、つまりは価値観を逆に混濁させていくことなのです。=矛盾を平気でやるやうになること。
即ち聖なる清きもの、其の道徳的でもある清き価値をむしろ汚していくこと、其ればかりかむしろ悪魔としての価値を受け容れていくことだ。
要するに悪魔化する過程のことですな。
其れはわたくしが半世紀程かかり精神的に思ひ悩んだ末に得られし結論です。
即ち此の世とは悪夢=悪魔の過程です。
だからこそ其処に救済が必要となるのです。
釈迦やキリストによる救済が必要となりませう。
一番大事なことは、大衆には哀しひ哉其の実相が見へては来ぬと云ふことだ。
つまるところ極論を言へば世界を破壊へと導くのは其の善なる悪魔としての大衆でさへある。
其の善なる悪魔を釈迦は無明または煩悩と捉へキリストは罪として捉へた。
だから實は此の世界自体が負の過程としての罪と煩悩の巨大な構築物です。
其のやうにわたくしには今其の世界の根本のところが見えて居ります。
ゆえに何が悪ひとかアレが悪ひだとかそんなことはイチイチ申しません。
世界が根本として悪ひもので無ひのならば、無論のこと宗教なんぞは要りませぬ。
もっと言へば精神すら要らぬのだ。
事実自然界には精神など要りませぬ。
かと言って彼等が日々酒池肉林の日々を繰り広げておる訳では無ひ。
何故か?
其れは酒池肉林とはあくまで精神的な抽象願望だからなのだ。
さても酒池肉林をするとマズひことでせう。
たとへば始終女の肉欲に埋もれ大麻を吸ひ覚醒剤に溺れウヰスキー日本酒老酒バーボン等を毎日浴びる程に飲む。
嗚呼其の様やもはや人間では無ひ。
さうでは無く正しくはまずは早起きせよ。
五時には起きまずは唱題、勤行するか若しくは早起き会へと出向きしかと食事を摂り出勤する。
18時には家に帰り子供の宿題を見てやりまた防災用品の点検などを行ふ。
世の中を批判することなく、また女をバカにせずエロ動画なども視ず21時にはキッカリと寝よ。
酒は飲まず煙草も吸わず女にも触れずタダタダ神仏を信ずる。
お分かりか、其の抽象願望のみが人間への批判対象となりませう。
抽象的なる完全世界=神仏の世界と具象的なる自然界には共に其の抽象願望が存在せず。
なのに人間にのみ其れが存することで我我は我我自身を壊していくのです。
いや、誰の欲望が悪ひだの、何処ぞの大乗の坊主が不真面目だから悪ひだの、或は小泉のやうな人気取りのマイホーム政治家が悪ひだの、淫行ばかりを繰り返す今の教師が全部変態だの、さうした個々の問題には非ずして兎に角人間としての根本のところでの成り立ちがそも悪ひのだ。
なので、ズバリ言へば其の根本の抽象的な悪夢=悪魔こそが悪ひ。
抽象的観念としての願望がつまりは大人としてのアンタの願望が悪ひのじゃ。
さうか、さうであったか、仕舞った!ぜひ今一度やり直させて頂きたひ。
ワーハッハ~、ダメだ、ダメだ、すでに手遅れじゃ。
悪ひ社会に其処まで嵌ったアンタには地獄が待ってるだけだー、ワーハッハッハッハッのハー~。
『私たちの文明は犠牲にされています。ごく少数の人たちが莫大なお金を稼ぎ続ける機会のために。
私たちの生物圏は犠牲にされています。私の国のようにお金持ちの国の人たちがぜいたくな生活をするために。その苦しみは、少数の人のぜいたくのために、多くの人たちが払う代償なのです。』
資本主義の生んだ格差とは其の抽象願望から引き起こされて居るものだ。
もしも抽象願望では無ひ類での冨の配分であるのならば、当然ながら此処までの経済的格差は生じやうも無かった。
温暖化や生態系の破壊も其の抽象願望から引き起こされて居るものだ。
もしも抽象願望では無い類での権威や権力の配分であるのならば、当然ながら此処までの実質的破壊は生じやうも無かった。
即ち資本主義には搾取構造が付き物だ。
即ち誰かまたは何かを犠牲にして自らが肥へ太ること。
何かを隷属させ富を得る、つまりは抽象的に余剰価値を蓄へることこそが金持ちの望むところぞ。
其の金持ちも悪からうが大衆も結果的に悪ひ。
尤も左派の頃、わたくしはかう考へた。
大衆は謂わば大きな抽象的願望を持っては居らぬ。
大衆が乞ひ願ふものは常に世間並みの幸せのみ。
だから大衆の願ひとは自然にもほど近き至極まっとうなものだ。
よって大衆こそが救われねばならぬ。
なんだけれども、こと現代に至れば70億もの大衆が寄ってたかって近代主義の奉ずる抽象的願望を望めば結果的に破壊を齎すこととならう。
金持ちと大衆、其の両極での具体的営みとは實は同じことなのだった。
あーあ、もはや万策尽きたか。
結局両極の人間の活動でもって破壊は齎されて居たのだ。
ですので、其の点での立ち位置がわたくしの場合彼女とは違ふ訳です。
人間に就ひてより長ひこと思ひ悩み苦しんで来て居る分余計に其の救ひの無さが見えて来てもおる。
さても君は子供なんぞ産んじゃダメだ。
出来得れば生涯🚺闘士として社会と闘ひ環境問題に殉ぜよ。
『あなた方は人気低落を恐れるあまり、環境に優しい恒久的な経済成長のことしか語りません。非常ブレーキをかけることだけが唯一の理にかなった対策なのに、あなた方は私たちをこの混乱に陥れた、あの悪いアイデアを推進することしか口にしません。』
其の抽象的な「環境に優しい恒久的な経済成長」なんて元よりありません。
人間が生きると云ふことは過ち其れ自体を生きると云ふこと。
問題は其処に於ひてこそ選択が課されて居ると云ふことだ。
其れ自体を肯定して生きるのか、其れとも否定して生きるのかと云ふこと。
過ち其れ自体を誤魔化し肯定的に生きれば悪魔化しやがては地獄に堕ちよう。
過ち其れ自体を否定的に生きれば世俗を離れある意味で聖化していくが極めて生きにくくもならう。=早死に。
左様に世界はバカの巣窟ですぞ。
其のバカ=無明と闘ふ為には理性の力が常に必要だ。
でも幸ひなるかな、此の十六歳の少女の思考内容には其の理性の輝きが宿って居るやうだ。
『政治的に何が可能かではなく、何をする必要があるのかに目を向けようとしない限り、希望はありません。危機を危機として扱わなければ、解決することはできません。』
ですから、日本のアホ環境相には危機意識も何も無く考へて居ることはタダタダ生まれて来るじぶんの子の為には地位と名誉とカネが必要だとさう思っておるばかり。
だから政治でもなく危機でも無ひのですね。
問題は大人になどなっちゃイケナイと云ふことでせう。
大人になどなると最終的には酒池肉林の世界を望むものです。
抽象的願望は酒池肉林まで所詮イッちゃうのです。
極論を言へば大人=飼育されし悪夢の世界が世界其れ自体を壊し其れでイイんです。
誰も破壊阻止のことなど潔癖に考へて居ません。
潔癖なことを言ふのはわたくしばかりでのことで実際誰もが夜になると何やってるものやら分かりません。
何処ぞの飲み屋へ寄ったり女のところへシケ込んだりで。
そんな奴等に危機意識など生じやうが無ひです。
が、確かに全ては君の言ふ通りだ。
誰もが君は正しひとさう思ふことだらう。
でもね、謂わば本音と建前は皆違ふのだ。
左様にニンゲンは皆屈折して居てイヤらしいのだ。
でも仙人いや文人はいつもいつまでも君の味方だ。
兎に角わたくしは正論を吐く奴こそが心から大好きなのだから。
『私たちは、世界の指導者たちに相手にしてほしいと懇願するためここへ来たのではありません。あなた方はこれまでも私たちを無視してきました。そしてこれからも無視するでしょう。
私たちは言い訳を使い果たし、時間も使い果たそうとしています。
私たちは、あなた方が望もうと望むまいと、変化は訪れると告げるためにやって来ました。』
世界の指導者にせよ、或は大衆にせよ、結局問題を問題として捉へられぬ非理性的な様は双方とも同じ構造の中にある。
世界の指導者は大金を稼ぎ贅沢をなし美女を娶り其の癖言ひたいことを言ひ社会的には安泰だが逆に世界の破壊を推進して行かう。
大衆は人並みの幸せに安住しやうとするが何せ数が多ひので結果的には其の世界の破壊活動に加担することとならう。
さうして君の意見もほとぼりが冷めれば両者から無視されることであらう。
無視されると云ふことは其処に人間の本質が示されて居るのである。
元々人間は其のやうなものでしか無くまるで救われぬ輩なのだ。
其の救われぬのを救ふのは宗教の役割でもってして仙人、文人の役割では無ひゆえ個人的にはどうならうが構わなひとさへ實は思ってもおる。
要するにコレ等の問題をコレは確かに問題だよと提示することだけがわたくしの真の意味での仕事でありわたくしにとっての問題意識其のものなのだ。
君の言ふやうにおそらく変化は訪れぬことだらうが地獄絵図だけは次第に現実化していくことであらう。
でも其れも2050年以降になれば、とのことであり実際其の辺りともなればまた社会に於ける危機への認識も変わって来ざるを得なひことだらう。
要するに人間には無理と云ふことがあり本来ならば大問題につき其の無理があってはならぬ訳だが現状では逆にさうなって仕舞っておる。
先に述べたやうに人間は大人になる=矛盾を受け容れることで社会化しておる訳であり、ところがむしろ其の社会化=誤魔化し、と云ふ部分に於ひて自然だけは誤魔化せなかったと云ふ實に皮肉と云ふか情けなひやうな矛盾に陥って居る訳だ。
なので君の正論はまさに素晴らしひものでありまるで今割れた鉱物標本の断面の如くに我我大人には新鮮だ。
但し世界は矛盾の巣窟であり同時にバカの巣窟でもまたあるのだ。
大人とはさうした欲に汚されし醜きもののことだから世界の破壊はむしろ当たり前のことなのだ。
誰もが其の悪逆なる様を見てなどいやあしなひ。
神仏の眼差しを除ひてはもはや誰も。