本日のドラゴンズの左のエース大野 雄大 人物 のノーヒット・ノーランの達成御目出度う御座ります。
さうして佛教大學の出身の投手の此の度の御活躍どうも御目出度う御座ります。
なる程、ミッション系に限らずかように仏教系大學も矢張りと云ふべきかかように頑張って居ります。
「祖父の影響を受け、子供の頃から阪神ファンだった[25]。そのため大学時代は自身の携帯電話にトラッキーのストラップをつけていたが、ドラフトで中日に指名されて以降は外した[26]。」
なる程。
しかしながら、中日ドラゴンズと関西は何故かうも関係が深ひのであらうか。
其れは要するにかの太閤秀吉が築きし歴史的関係をいまだ引き摺って居るからなのではなひか。
其れにつけても其の阪神からノーヒット・ノーランを達成するとはまこと皮肉な話よ。
大野の憧れの投手はかの藤川 球児であるさうな。
尚阪神は十三年前にも山本昌にノーヒットノーランを喫して居る。
大野雄大でなんと6人目 中日のノーノー達成、平成以降は12球団でダントツ
即ち阪神は本質的にドラゴンズに何故か弱ひ。
此処より判断してもこと阪神戦に限れば實はドラゴンズの方が強ひ。
何故なら太閤秀吉が好みし黄金の茶室は元はと言へば尾張趣味だからだ、即ち尾張の価値観其のもの。だから其の黄金趣味の本元には勝てぬと云ふことだ。
が、共に何故かお江戸には勝てぬ。
お江戸に勝てぬのは其れは当たり前のことで、大坂城が落城したのも元はと言へばお江戸が其の原因じゃ。
尚現在の名古屋城(再建天守)は家康の命により築城されたものだ。
当時おそらくは西日本への御目付役としての機能を有して居たことであらう。
だから当時としても随分立派な城を築ひた。
「名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が天下普請によって築城した。以降明治維新まで徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城だった。」名古屋城 概要より
我も初めて知りましたが、信長もかっての那古野城の辺りで出生して居る。
ちなみに個人的には特に年嵩が増して来てからは信長よりも家康の方へと興味が移って来た。
家康が築ひた幕藩体制に於ける一分の隙無き安定度、其の揺るがぬ安定感とは一体何によるものだったのか?と云ふ部分につき時間の許される範囲で調べていきたひものだ。
其れにつけても四位、五位と云うまさに情けないやうな位置でウロウロして御座る弐球団ながらかように何故か仲が良ひと云ふか兎に角色々と御縁がある。
さて問題は本日スタメンに名を連ねて居た阪神の二軍の帝王、兎に角和製大砲として期待され続けて来た二軍の四番陽川 尚将(ヨウカワ ナオマサ)が本日打てたかどうかである。
ー此の四月に陽川のまさに肉体的ホームランをナゴヤ球場での二軍戦で観て感動して以来彼のことが妙に気になるー
結果連続三振だったやうだ。
何故打てないのだ、帝王の陽川よ。
お江戸巨人がもうすぐ優勝すると各地の三越とかで多分セールが行われやう。
尤もわたくしはすでに風邪引き人間となり元気が無ひんだ。
と云ふよりも大抵は元気が無ひのだが批判力だけはある。
うーむ、歴史が物語る通りに矢張り今年もお江戸が勝つのか。
尚原 辰徳現監督はかねてよりさわやか系四番バッターでもって嫌ひではなかった。
が、一度引退した人を呼び戻してまでそんなにまで勝ちたひの?
高橋 由伸前監督は思ったやうに成績が残せず残念であった。
何故なら返り咲きの年寄ー我の一歳上ー原 辰徳よりも若き指揮官高橋 由伸の方が何となくスッキリするので。
原辰徳と稲葉ジャパン「黒幕」大トラブル!(3)他球団での監督復帰を画策
嗚呼、さうでしたか、稲葉とイチローは交流があったのでしたか。
さうさう、忘れて居ましたが巨人の元エースの槇原は愛知県立大府高校の出で阪神で活躍した赤星 憲広の高校の先輩となります。
其れと工藤 公康現ソフトバンクホークス監督は槇原と実戦で投げ合った仲でしかも愛工大名電でのイチローの先輩となります。
かように愛知からは多くの有名野球選手が輩出して居ります。