「第二次世界大戦後には、信長はその政策の新しさから、革新者として評価されるようになった。しかし、このような革新者としての信長像には疑義が呈されつつあり、2010年代の歴史学界では、信長の評価の見直しが進んでいる[注釈 9]。」
織田 信長 概要より
以前に掲示板の方で信長を論じた折に織田上總介信長は意外に保守派だったのではなひかと云ふ意見を述べさせて頂ひた。
其の根拠壱「この他、越前国織田荘(福井県丹生郡越前町)の織田剣神社の神官の出自であるともされている[2]。」織田氏 出自より
其の根拠弐「一般的に宗教心が薄いとされる信長であるが、天守内部の宝塔(推定)や絵画、摠見寺の存在など、安土城には宗教的要素が多く見られる。」「安土城の本丸御殿は、天皇を迎えるための施設だったという可能性が指摘されている。」
「彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏のいっさいの礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教徒的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているかのような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大に全ての偶像を見下げ若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないとみなした。」
ルイス・フロイス『日本史』より
此処からしても信長は合理的理性の持ち主であったことでせうが其の理性のみで世界がつまりは天下が治まるなどとはおそらくは考へて居なかったことでせう。
即ち合理的であるが故にむしろ保守的な秩序を強固に築き上げやうとさへして居る。
だから逆に安土城には強ひ宗教色があり尚且つ天皇を迎へ入れる為の間である清涼殿が築き上げられて居た。
真の変革者であればさうした傾向をおそらくは出さぬ筈。
故に信長の思考または思想には二面性が強く感じられる。
確かに其れは天才型の人間の典型的な資質なのではありますけれども。
かくして意外と信長は宗教的な人であり、であるからこそキリスト教の布教を認めても居る訳です。
信長はとても頭の良ひ人だったので、おそらくは理性のみでは人間は救われなひと云うことを誰よりも分かって居たことだったでせう。
なんですが、一方では当時の堕落した仏教界に反発し同時に危険な新興勢力としての救済仏教ー一向宗ーを弾圧したりもして居ります。
ですが禅宗を認めて居た訳ですね。
禅宗は宗教と云ふよりも哲學であり其の点に限り釈迦の書ひた詩などにも通じる訳であり其処はとりあえずより純粋な仏教として尊敬して居たことでせう。
霊魂の不滅や来世の賞罰と云った部分はむしろキリスト教の教義に関わって来る問題ですが本来の仏教ではさうした形而上の問題を扱わぬこと、其れは概念的に規定しやうとすれば戯論に陥らう問題なので捨て置ひておけ。
と釈迦は判断なされたのでしたが、結果的に禅宗も其のような領域にまで思考を進め最終的にはむしろ其の思考、観念自体を滅却するに至ります。-教義上はー
ところがキリスト教はあくまで其の霊魂の不滅や来世の賞罰と云った部分にこそ拘ります。
もし其れがありませんと神と共に永遠に生きることがそも可能ではなくなるからです。
なんですが、あくまで理性を突き詰めていった挙句の脱理性、脱観念の領域では其処に拘って居ること自体が解脱の妨げなのです。
ところがキリスト教にしてみれば其れを認めなひ方がむしろ悪魔であり神をも畏れぬ冒涜者と云ふこととなり要するにそんな悪魔は地獄に堕ちる他無くなりませう。
事実フロイスは信長はいつか地獄に堕ちるとさう述べて居たさうです。
其の地獄はキリスト教の地獄へ堕ちると云ふことであり浄土教でのやうな焦熱地獄や血の池地獄のことではなひかとは思ひますが兎に角地獄には堕ちます。
ところで信長は光秀の扱ひに少々難があったのではなかったか。
或は其の扱ひに置ひて合理的であり過ぎたのやもしれませぬ。
キリスト教には元々世界公布の野望がある訳ですので地球の隅々まで何処へでも出向き其処で全部をキリスト教化して仕舞ふ訳です。
其処は少々俗的なのではありますが元々キリスト教の其の宗教的野望が悪ひ訳では無く罪に穢れたままでもって其れに気付くことが出来ぬ大衆の側にこそ大きく問題が存して居やう。
仏教はより根本的なところから解決を図ろうとして居りますが流石に欲にまみれし凡夫を涅槃に導くこと其れ自体が不可能なことだったゆえ次第に世俗化し純粋さが薄れることで日本の仏教でのやうに儀式化されしものとなっていく。
ですので問題は宗教にあるのではなく、また現代文明の寄って齎すところでのバカバカしひ価値観にあるのでもなく其れに飛びつひて居る大衆と云ふ社会的自我にこそあるのです。
あくまで個では無く大衆的な俗物性にこそ其の罪と煩悩への親和性、傾倒の度合ひ倒錯の様がハッキリと見て取れるのであります。
よって地獄へ堕ちる可能性が常にあるのが其れ即ち大衆です。
なので大衆的では無かった信長などは地獄になどおそらく堕ちては居りませぬ。
さて、此の度本丸御殿へ初めて行って参りました。近世城郭御殿の最高傑作
まず、かように城を訪れたのが十年振りのことです。
大きな掘や石垣を見るにつけ矢張り城は偉大なものだなと思わせられました。
其れは事実偉大で何かとても美しひものでもある。
が、同時に歴史に翻弄され続けて来た人間の権威化としてのモニュメントなのでもある。
軍事的権威であるにせよ文化的権威であるにせよ其れはあくまで権威としての構築物です。
対する個の立場は常に弱ひものだ。
其の権威と個を並列させ比べることなど出来ぬ相談だ。
かように社会に対して常に個は弱ひ。
だからこそ近代主義も、また平等な社会の意義もまた時代の変化と共に生まれた訳なのでせう。
少なくとも其れは権威主義では無ひことであらう。
なのですが、個を大事にする社会にかように美しひ城が生まれ得ぬこともまた確たる事実なのだ。
其の美には確かに嫌味も含まれて居りませう。
信長でも秀吉でも家康でも将軍家でもまた御三家筆頭の尾張藩にせよ封建時代は皆其の嫌味の塊にて人間が圧迫されて居た部分もまたあったことでせう。
なのに其れは極めて美しひ。
個には実現することさへかなわぬ巨大な力の象徴としての其の城が。
元より其のやうな価値ヒエラルキー化が正しひことなのかどうか。
仏法としての基準で言へば権威化は即矛盾であり破壊を齎すものです。
ですが社会的自我は常に其の権威化をこそ望んで居ります。
戦国時代や江戸時代に限らず人間の社会的自我はよりデカいものを目指し邁進していくのであります。
根本のところではおそらく其れは誤りなのでせう。
なのですが、かうして往往にして大衆は其れにひれ伏して仕舞ふのだ。
より大きなもの、より絢爛とした豪華なもの、またより権威として認められるものに対して強く惹かれいつの間にか其れに摺り寄っていく。
さうした大衆性に捉へられて居ることにわたくし自身が気付いて仕舞ったのです。
つまりは我もまた地獄へ堕ちる大衆の一人でした。
まさに情けなひことだが自身ではどうにもならぬ此の個としての弱さ、無力さ。
城の巨大な構築物を観るにつけ以上のやうなことを瞬時に思ったりも致します。
文化にはさうした領域が確かに含まれて居る。
其れは個としての美=藝術としての美ではなく何かもっと大きなものの齎す美のことだ。
歴史の描く美であり巨大な資金や膨大な労力により初めて形を成す美のことだ。
結果其れを否定することなどは出来ぬ。
よしんば人間を否定したにせよ、とても歴史其のものを否定する訳にはいかぬ。
そんな訳で其れにまさに屈服して参りましたのです。
よって我も今や単なる大衆であり凡夫であり要するに屁コキ虫の一人だ。
屁コキ虫はお城巡りなどしてつひ感動し思想を転向したりも致しますのです。
すわ城マニアへの転向か?お城マニア必見!ため息の出る名古屋城本丸御殿
いえ、城などよりは鉱物の方がずっと良ひ。
ですがまた城もありです。
尚、本丸御殿の感想のことをつひ書き忘れて居りましたが、コレは一言で言うと兎に角小奇麗。
小奇麗と云ふと何やら貶して居るかのやうですがさには非ず。
元より其れは藝術品では無ひが文化財としては完璧で素晴らしく綺麗だったと云ふことです。
名古屋城本丸御殿が完成、一般公開へ 10年にわたり復元工事
要するに可成の金がかかって居ります。
其れでもゴッホやルドンの絵とはまるで違ふと云ふことではありますがモロ大衆の我我には是非おススメなのが本丸御殿です。
ただしかのトヨタが金を出したかどうかは知りません。
確かトヨタの関連会社は566万の寄付をしては居りますが。ー額が少なひがー
ちなみにかの金シャチがピカピカと輝きとても綺麗でしたが城自体へ入っていく道が分からず城に登り世間を見下ろすのはまた今度に致しました。ーただし天守は今登れずー
尚、名古屋城は木造にて天守の部分の復元が計画されて居ります。
名古屋城の木造復元化は個人的には勿論大賛成です。
何故なら城に限らず日本の建物は木造の物が一番でしかも免震構造にでもして置けば長く持つからです。
かように木造の家は古びても味わいが増すだけで汚くはなりません。
事実我が家は昭和の初めに建てられた古ひ家ですが夏は縁側から風が吹き抜けまた庭の緑や花々を愛でることの可能な素晴らしき日本家屋です。
かように左翼が何かとウルサイ訳ですが左翼とてしぜんな木造の建物の方がずっと良ひのではありませぬか?
左翼ならばむしろ潔癖に元通りの天守を望んでしかるべきなのではなひでせうか。
いずれにせよ早く其の木造りの天守に登ってみたひものだ。
ちなみに本丸御殿の内部は矢張りと云ふべきか檜の良ひ香りに充たされて居りました。