目覚めよ!

文明批判と心の探求と

虚構としての未来が人類を滅ぼす


一般向けの歴史書として世界的なベストセラーとなった『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は文明は「虚構」の上に成り立っているとそう述べられて居る。


そして其の虚構からは幸福は生まれないと考えられても居るやうだ。


さて、此の部分、全く同感なのだ。


其れは以前からわたくしが此処で述べ続けて来たことでもある。




ただしわたくしの場合は世界史と云っても近現代史の方が強く中世のことだの大昔のことだのに就いては疎ひ方なのだ。


然し、通史として全体的には見られるのだと思ふ。


さらに得意なのは自然と人間と云う二元論的対立の部分につき直観が働くと云った部分なのだ。


其れは幼い頃よりそれこそカブスカウトでもって野山を駆け巡りさらに三十歳から五十歳位までアウトドアーが趣味で森やら低山だのに始終出掛けて居たからなのだ。



其の通史としての人類の歴史過程の中で一番「違ふもの」として感じられて来たものが人間の持つ虚構性と云うひとつの枠であった。


事実山の中に独りで居たりすると自然と其の虚構性と向き合わざるを得なくなる。


都会とは如何にも虚の堆積物で、対して自然の懐に抱かれた今こそが本来の生の姿である、とさう感ぜさせられるやうになったのだった。


ところが、いざ都会のシステムの中に組み込まれ学校だの仕事だの家族だの親戚だの食事だの性だの宗教活動だのお勉強だの、兎に角さうした訳の分からぬ人為的な営為=文明の中に居るうちはそんなことがまるで分からなかったのである。


確かに詩だの絵だのと云った藝術はよりピュア―な視点を与へては呉れるが其れも其の体験には如かない。


謂わば自然との直の交感は文明の要素と切り離された時にのみ感じられるのである。




此の虚構性はどうも問題なのではなかろうか。


或いは其れが人間の有する矛盾性を加速させ滅亡へと向かわせる元凶の部分なのではないか。



事実其の虚構性こそが暴走して来て居るとも言える。


そして近代の思想は皆其の虚構性を最大限に追求したものばかりだ。


近代科学にせよ民主制や自由主義にせよ須らくが其の虚構の為の虚構化を為し遂げし範疇でのものだ。



さらに近代以降の資本主義による経済活動などもまさしく其の虚構の構築に当たる。


即ちより豊かになりより便利でスピーディな暮らしを享受しやうとする欲望の追求が近代以降はより顕著になった。


其の欲望の解放がまさに限定を解除するものであり同時に虚構の為の虚構の追求であるにほかならない。



重要なことは其の虚構の追求には元より限りがあろう筈なのに其の限定性を自覚することなく突き進む我我人間の齎す文明の愚かさと脆さに就いてである。


限定性を無視して進めば勿論今度は自然ー限定ーの側からの物理的な報復は免れ得ぬ。


何故なら我我の身体はいまだほぼ自然そのものなのであらうから。



ところが人間の精神はもはや其の有限性を自覚しやうとしない。


いや、確かに前近代の段階までは人間は誰しも其の有限性にこそ縛られて居たのだとも言えやう。


諸権利も性も男女差も全ては歴史と云うひとつの経験の上での限定性に縛られ機能して来て居たのだった。



ところが近代は其の限度自体を葬り去るに至る。


するとどうなるのか?


全ては革新の名の元に改革されていくこととなる。


其れ即ち過去の価値の抹殺であり否定である。


さうした精神構造を自ら築き上げるに至ったと云う事なのだ。



其の度合いがまさに幾何級数的に増大して居る状況こそがまさに現在なのだと言える。


其の改革乃至は革命はすでにあらゆる領域へと至った。


たとへば性の合理化は女共から肉体としての恥ずかしさと云うものを奪ひ去る。


情報の合理化は要らない情報をのべつまくなしに垂れ流して居る。


科学者は成果を上げることだけに汲汲として倫理的な問題を見て見ぬふりをして来て居る。



温暖化よりも石油製品が売れることの方が大事で何故なら自分が大金持ちになりたひからなのだ。



有限性の自覚の喪失はかくの如しにまさにとんでもない欲望の大坩堝を生み出す。


まさに精神の意味を欠くかのやうな欲の追求は人間の精神をして最終的に地獄界へと導くことだらう。


では何故其の虚構からは幸福が生まれ得ないのだろうか。



では我我の今を考へて見給へ。


我我は今金持ちの癖にカネが無く長生きの癖に人によっては早死にしおまけに自由だとは云うが逆に何やら不自由なもの、窮屈なものを社会生活に感じるばかりである。


西洋思想起源の民主主義なるものも崩壊しかかって居り其処で一体何が真に価値あるものなのかと云う事が皆目分からぬ。


価値観の崩壊即ちニヒリズムが蔓延しそれぞれが自分勝手に欲望を追求して居るかのやうだ。



ほんたうのほんたうは文明も人間もどうなろうが構わず自己の人生と自己に近しひ人だけが此の後も何とかやっていければ良いとさう考へて居る。


まあ其れは庶民らしく謙虚な意見であるやうに一見見える。


だが其れこそが大欲望の反映だ。


そんな風にそも此の世に価値など置くから其のやうな強欲に捉われ謂わば欲の無間地獄へ堕ちることになって仕舞ふ。


正しくは文明と人間を否定し今すぐに此の世から去ること。


が実は最高の結末である。



が、理想と現実は違ふのでとりあえずは六十歳までは生き延びて居るべきだ。


然し六十歳で全てから引退しやう。


生きることの全てから引退し山へ籠り仙人=詩人となるべきだ。



さて近代化とは諸価値の普遍化であり其の普遍化とは人間の本質である虚構性から齎されるものだ。


其の方法論としては合理化の手法が用いられる。


かように合理化とは普遍化の道具であり革新としてのあらゆる近代思想もまた此の合理化の範疇にある。



然し其の合理化により人間自身が革新ー更新ーされていくこと程怖いものもない。


我我人間は以降幸福どころか、人間自体を弄りに弄られ何か別の者にされていって仕舞ふ可能性が高く存して居るのだ。




ではまた何でそんなことを仕出かすのか?


より良い明日を築く為にであらう。


でも何で今や過去ではいけないんでせうか?


近代思想こそはきちがひ思想であり其の源はヘーゲルの哲學即ち弁証法の理論的間違ひ不備にこそ存して居やう。


即ちヘーゲル間違ひは今日よりも明日の方を良くすることは可能だ、其れをやるのが人間の理性だとした点にこそありコレは一見優れた考へのやうで居て実はショーペンハウアー先生の厭世思想、或いは女性蔑視の思想の方がなんぼかマシで第一あんまりやる気の無い考へなので仏教などにも近く大変上品で全てを捨てるかまたは逃げ回って居るかのやうな良い考へだ。



かようにヘーゲル弁証法=進歩の為の理論的根拠そのものが実はおかしひ。



結果的に今日よりも明日の方を良くしようとすればする程にむしろ世の中は悪くなっていき同時に人の心も荒れ果てて精神的に悪ひ人間ばかりになる。


シンポだの希望だの昇給だの結婚だのそんなことはもう全て打ち捨て早うあの世へいくべきだ。


所詮人間は救われぬのでむしろこちらから出向き皆で極楽へ行くのだ。



左様に罪深きシンポ人間はイエス様の背負ひし十字架の重みにつき考へたことすらない。


エス様が贖われし罪の重さ、其の悪魔共の呻き、嗚呼そのままに人間の呻き、欲の皮が突っ張った人間の悪への抱擁、其の原罪の為にどんなに苦労をなし死を受け容れられていったことか知る由もない。



嗚呼悪ひ人間共、汝等はタダ下劣な欲の成就の為に車に乗り船に乗り飛行機に乗り女と番って居る。


おまへたちなどはもはや滅亡だー。さうだ神の怒りにて早晩文明は滅ぼされやう。


                     
                       


畢竟観念は虚構の堆積物であることを免れぬ。


されど東洋の智慧は人間の限度位は知って居たのである。


対する西洋人は野蛮なので限定を解除し未知なる領域を求めた。


其の未知を征服し搾取することでこそ近代文明は栄えた。



そんな文明はそも嘘っぱち=虚の文明だ。


さて征服や搾取を前提として繁栄する文明を皆様はどう考えられるのであらうや。


わたくしは矢張り其れはおかしひと思ふ。


ですので近代の終焉も必然としての自己矛盾に陥ると云う事とならう。