確り食べれば人間は長生きが出来おまけに運動すれば免疫が強化される。
いや、実は運動することのみでは免疫は強化されぬ。
運動し体にストレスをかけると免疫の方は働かずむしろひとところに籠って敵を學ぶのだそうな。
しかるのちにリラックスするとドバっと免疫が出て体の中の悪いもの共を一斉に攻撃する。
では運動などしなくて良いのか?
勿論そうではない。
適度に運動しさうして昼寝でもしておくと大層体に良いのだ。
なので、長生きの為の運動は散歩やゴルフの練習位が一番良い。
或いは自転車で移動することなどが。
長生きの為に恋愛をしたいなら其れも良いがくれぐれも深みには嵌らぬやうに。
不倫だの淫行だのは精神にとっての第一級の犯罪とならうから間違ひなく死んでから地獄へ堕ちる。
いや生きて居るうちにすでに地獄へと堕ちて御座る。
とは言え還暦を過ぎたらむしろ生臭く生きる。
肉を食え、兎に角肉を。
特にネギマなどがおススメだ。
尚コレは豚肉とネギとの相性が抜群である。
兎に角体を燃やす。
年寄りにはコレこそが大事だ。
今の年寄りはネットばかりやり運動しないので癌の発症リスクが高くある。
しかも車にばかり乗り足腰の筋肉を鍛へて居ない。
だから今の年寄りは八十歳まではとうてい生きられぬ。
今の平均寿命は昭和一桁の長生き世代が組み上げているものでありよって平均寿命はすぐに落ちて来やう。
昭和一桁は自然食品を食って育ちしかも車には若い頃乗って居らず体が丈夫だ。
然し我我は車にばかり乗り合成剤入りの食品を子供の頃に多く摂って来たので近く平均寿命は70歳までしかいかぬことともならう。
さて、其の68歳の知り合いに癌がみつかり来月手術する予定だ。
つひ此の間とある祭りへ共に行って来たばかりなのだが。
其の方は至極良い人だ。
とは言え浜松からこちらへ出て来た人で母親が東京の人である。
貧乏ながらいつもきちんとされた方で少々融通の利かぬところがある。
つまりはクソ真面目なのだ。
とは言え、意外とギャンブル好きで砕けたところさへある。
でも兎に角きちんとして居るのだ。
此のきちんとして居ると云う事は多分に心の病気なので早く天に召され易いのだとも言える。
即ち潔癖、コレが実は早死にの大きな要因となる。
故に潔癖ではないところをむしろ真面目人間は是非つくっておくべきなのだ。
ちなみにわたくしは見ての通りに並外れて潔癖だ。
然し並外れてだらしなくもあり第一金は貯めないわ休みは兎に角遊び回るわでまるでしたい放題だ。
つまるところは両極を持ち合わせて居るのやもしれない。
なので両極があればバランスは取れる。
然し分裂症的なので気が狂ふリスクもかなりにある。
が、分裂症だと言われたことはなく決まって神経症だと昔から屡さう言われて来た。
其の両極を受け容れる、或いは認めることは生との和解を指し示すことで分裂を統合する為の何よりの処方箋だ。
ゆえに女嫌ひのわたくしにはむしろ女の方を向くことが大事なのだ。
が、わたくしは両性具有的心理を生きるまさに特別な人間でもある。
まるで菩薩の如き人間なのだ。
だから最終的にはむしろ外からは何も要らないのかもしれない。
さて、では何故長生きのことを今あへて考えて居るのか。
長生きすればするほどに人間は心理的には良くない。
むしろ長生きしたくないと思って居る方が心理的には良い。
どだい五十年後に人類は滅亡するので長生きなどしたくはない。
元より長生きに価値などないではないか。
釈迦もキリストも単なる長生きのことなどまるで認めては居ない。
謂わば仏道修行上の長生きと神を信じて生きる長生きだけがほんたうの長生きなのだ。
釈迦もキリストも無関係にタダ本能の赴くままに生き抜いて居てもそんなものは無価値であるとされて居た。
だが最近わたくしは其の下品の価値と云う事につき屡考えるのだ。
何故なら上品があれば必ず下品がある。
生との対立、対決があれば他方の極に必ずや下品=無明=悪魔の価値観乃至は心の作用が生ずる。
其の下品なる心とは実は寛容さのことでもある。
或いは無知の知のことでもある。
悪魔の心は此の世では必ずしも悪ひ心ではない。
聖なるものは悪と対立するが俗なるものは悪をも受け容れるのだ。
だから君等は女が好きなのだ、其の悪魔がどうしやうもなく好きだ。
其の下品の価値とは凡なる者の寄って立つところでの価値だ。
然し其れもまた聖なるものとは正反対のひとつの価値である。
其の価値を否定してかかってどうするのだ?
謂わばこういうことだ。
両極を認めないと共に存立し得ないのだ。
肯定し得ぬー価値が対立するー両極をあへて認める。
否定して居ても良いが兎に角認める。
其れはさういうものなのだと思っていなければならない。
其の認めることこそが和解であり受容なのだ。
尤も愛かどうかは其れは知らなひ。
愛などと云う大袈裟なものよりももっと本能的でかつ特殊なものだ。
其の特殊なものに就き今わたくしは考える。
近代は須らくを普遍化し即ち一元化していくのだ。
だが個としての人間は常に特殊である。
其の特殊の中でこそ生を受け年を取れば病を得て死んでいく。
其れは社会の問題ではなく個としての問題だ。
個は生と和解することが出来尚かつ正反対のものを受け容れることが出来る。
何故なら大衆は常に鈍感だからなのだ。
コノ鈍感であること程救われて居ることはない。
だから作家の如きキチ外は救われてなどいやしなひ。
バカこそが一番楽なんだ、其のバカが。
バカだと多分癌にもなりにくい。
バカにならう、是非ほんたうのバカにならう。
ところで其処で社会は認めてあげないのですか?
認める訳がないでせう。
おかしな社会ほど認められないものは此の世の中にありません。
いやそれでも近代社会を全否定する訳ではありません。
でも近代の約半分が明らかに大間違ひです。
其の大間違ひに慣れ親しんで居ると寿命がむしろ縮んで仕舞ひます。
特に近代主義に於ける自由と平等をはき違へたところでの思想、実はコレこそが我我をして早死にさせる元凶とも言うべき。
故に近代の思想こそは誤りで全否定しておいてしかるべきものです。
でも近代の物はちゃんと認めて居るでせう。
ペンとかリヤカーとかゴルフの道具とか自転車はちゃんと認めていますよ。
其れにあくまで女も否定して居ないですよ。
勿論女が腐って居るとは言っておりますが女を全否定して此の世から全部居なくなれなどとは一言も言って居りません。
だから自由恋愛もちゃんと認めて居ります。
そんな潔癖に女を全否定すればたちまちに我も否定されもう一年も生きて居られなくなりますよ。
断じてそんな潔癖ではない。
自分はいい加減で遊び人だとさういつも言って来たでせう。
兎に角もっとバカになりたいんですから。
もっともっと鈍感になり長生きがしたいんです。
長生きをしてもう少しだけゴルフをしたいんです。
或は味噌ラーメンを食べ歩いてみたいんです。
さうして女を、いや、宗教の結末の方を何とかしなくてはならなひ。
要するに俗になりたいんです、もっともっと俗人になる。
何故社会はそんなわたくしのささやかな願ひを奪い去るのだ?
何故社会はそんな庶民のささやかな願ひを奪い去るのだ?
和解と受容に至ること、個の心理としてまさに此処まで来て居ると云うのに何故社会は要らないものばかりをつくりどうでもいいやうな価値に拠りかかり歩んでいくのだらう。
こうしてわたくしは今や個と和解しつつある。
然し誤った社会は受容出来ぬ。
女も認めやう。
でも不倫は認められぬ。
のみならずバカも認めた。
むしろバカが好きだ。
心より愛してさへ居る。
でもバカ社会だけは認められぬ。
酷い搾取を止めちゃんと皆に給料を払へ。
ちゃんと有休を取らせよ。
でももう夜は出歩いてはいけません!
女を野放しにするな。
爺さん、婆さんは長生きをせず静かに暮らそう。
教員は警察に捕まってはいけません!
僧侶は飲酒運転をしてはいけない。ー飲酒運転で捕まった僧侶がこないだ一人出たー
六十歳を過ぎたらあへて肉を食らひ女に触り自転車に乗りなされ。
さすれば必ずや長生きが出来る。
結局どちらでも良いのだが兎に角免疫力が最も大事だ。
癌にならないのは結局其の免疫力のある人なのだ。
其れを和解と受容で得ようと心の面から述べてみたのだ。