①食に対する意識
・ 一般には、殺生すること、生き物を傷つけることを慎むという意識がみら
れるが、肉食をする人も多い。同じ仏教徒でも、宗派や国などによって、
食に対する意識は異なる。
・ 僧侶などの厳格な仏教徒は、食事そのものを日常の修養の一つとして捉え
る。
②日常の食事パターン例
・ 厳格な僧侶の場合は教義に則った食事を取る。上座部仏教の僧侶は、通常
1 日2 食で、午前中に食事を済ませて、午後以降は食事を口にしない(朝
に托鉢をして、朝の勤行の前に1 食、午前11 時頃に1 食を取る。ただし、
肉食は許されている)。
③仏教の料理の特徴
・ 仏教からできた料理の一つに、精進料理がある。(鰹節の出汁を使用した
場合、魚介類を食べないベジタリアンには提供できないので、注意が必要)。
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④食に対する禁止事項と嫌悪感
-一部ではあるが肉全般、一部ではあるが牛肉、一部ではあるが五葷(ご
くん:ニンニク、ニラ、ラッキョウ、玉ねぎ、アサツキ)
※食に関する禁止事項がみられるのは、一部の僧侶と厳格な信者に限
定される。
※大乗仏教では、肉食を避ける傾向が強い。また厳格な仏教徒には、
臭いが強く修行の妨げになるとの理由から、五葷(ごくん:ニンニク、
ニラ、ラッキョウ、玉ねぎ、アサツキ)を食べることが禁じられる。
※一部の宗派には食べ物に禁止事項が存在する。中国系で観音信仰の
人は牛肉を食べないこともある。
※上座部仏教では、肉を食べてもよいとされる。ただし、僧侶のため
にわざわざ生き物を殺して肉を提供することは禁じられている。また、
在家(出家をしないで一般の生活をしながら仏教に帰依する人)は肉
に関わる職業に就いてはならない。
※「ブイヨン」「ゼラチン」「肉エキス」には鶏・牛・豚・魚の肉や骨
が使われており、調理時に注意する必要がある。
※「バター」(牛乳の脂肪)、「ラード」(豚の脂肪)、「ヘット」(牛の脂
肪)、「魚油」、「馬油」などの動物性脂は、調理時に注意する必要があ
る。「動物性脂」が使えない場合には、「植物性油」を使用する。
⑤テーブルマナー
・ 僧侶などの厳格な仏教徒は食事そのものを日常の修養の一つとして捉え
ており、宗派によって差異はあるが、食事作法が存在する。一般的には、
食前と食後に祈りの言葉が捧げられる。また禅宗では、食事の献立、調理
方法、食事をする際の心構えや作法などについての細かい決まりがある。
⑥日本の食事で好まれるもの
<食事内容>
・ 日本の食事において、仏教徒に特有の嗜好は特にみられない。さまざまな
国民や民族が仏教徒に該当し、食事の好みがそれぞれ異なる。
⑦日本の食事で嫌われるもの
<食事内容>
・ 日本の食事において、仏教徒に特有の嗜好は特にみられない。さまざまな
国民や民族が仏教徒に該当し、食事の好みがそれぞれ異なる。
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⑧仏教徒に対して良いおもてなしをするための推奨事項
<サービス>
・ 一部の仏教徒(大乗仏教、中国系の観音信仰など)には食事の規制事項が
あるため、食べられない食材については必ず確認する。個別の対応を取
ると喜ばれる。
⑨食事以外の禁止事項
・ 宗派などにより、様々な禁止事項が存在する(妻帯を禁ずるなど)。
食わなきゃ死ぬだけー長生きする為の食習慣とはー
食ふと云ふこともまさしく其の食との腐れ縁の部分、本来なら要らないものであると云うのに何故かやらなくてはならない矛盾領域のことだ。
しかも現代人の食のあり方こそは誤って居らう。
まずは御飯の頂き方、まさにコレこそが顛倒しておる。
尚元来食事は午後に摂るものではない。
かって沙門は朝と昼のみに食事をし夜は何も口にしなかった。
ゆえに所謂ディナーの習慣はアングロサクソンが齎した悪習であり極めて体にも悪いが故に真似すべきものではない。
ただし、禅宗の食文化では昼食を主とすることで夕食を質素に済ませている。以上より引用
ところが元々日本人も夕食を重視して居たとのこと。
だが其れは誤りだ。
何故君等はそんなに間違ひ或は誤りが好きなのか。
わたくしの食事などは君等の食事とは質的に違ふ。
要するに夜の食事が違ふ。
夜わたくしはたとへばお茶漬け一杯位しか食べない。
そしてむしろ朝に御飯を沢山食べる。
其れもカレーライスで食う。
或いは味噌汁と漬物、其れに飯とで沢山食ふ。
さらに昼も簡単には済ませぬ。
兎に角しつこく弁当なら二つ分位を食べしかも菓子も食ふ。
要するに腹一杯食ふ。
そして夜は食わない。
さうして外出もしない。
勿論女にも触らぬ。
此のやうに聖なる仏教詩人としての食生活を続けて来ておる。
ところが此のやうになったのは此処十年ばかりのことだ。
其れ以前は晩に飯をたらふく食っておった。
が、其れは誤りであると気付いた。
さう其の慣習上の夕餉若しくは晩餐こそが誤りなのだ。
仏教徒の食事
かやうに正しくは「1 日2 食で、午前中に食事を済ませて、午後以降は食事を口にしない」ことだ。
しかも本来ならば肉食をしない方がより望ましい。
が、其れ以上に大事なのが夕食は食べない方がむしろ良いと云うことなのだ。
特に近代以降は夕食中心の食生活が強いられても居らう。
国民が会社でもってこき使われるやうになり飯を食ふ時間乃至は余裕が無くなり最も大事な朝餉と昼餉が摂れんやうになっちまった。
それでもって自由の身となる晩以降に家族がようやく揃うので夕飯をタップリと食ふ。
だが其れは誤りだ!
たとへば夕食は禅家の如くに軽く済ませるやうでなくてはならぬ。
左様夕飯はお茶漬け一杯か或はコンビニの🍙一つ位がまさに適当だ。
だが君等は誤った観念に毒され夕御飯を毎日たらふく食って居らう。
まさに其れこそが短命への早道であり顛倒せし世界観そのものなのだ。
其ればかりではない。
夜に酒さへ飲んで御座る。
夜に酒を飲むとまずアル中になる。
そしてつひ女にも触りたくなる。
其のやうなふしだらな生活に甘んじておって其れで良く君等は平気で居られるものだ!
だから禅家の質素かつ時間に正しくしかも作法を弁えし食事をこそ是非身に付けなければならぬ。
尚、わたくしは禅家のやうに質素かつ時間に正しくしかも作法を弁えし食事をまるでして居ない。
だが其の朝カレーでもってして実は肉体が可成に元気になった。
朝カレーをするとまず便通が良くなる。
さらに体の目覚めが素晴らしく良くなる。
逆に夜カレーライスを食べる馬鹿が一体何処に居るか。
夜カレーライスなど食べたら躰が火照って仕方が無く其れでもってつひ悪さをするやうになることは必定。
だから夜は静かに部屋に籠りなさい。
夜に飯を食ふだの、また飲み歩いたりするだの、左様なことをして居るから現代病に毒されつひには必然としての人類滅亡へと至るのじゃ。
じゃからそんな風ではなく朝にこそご飯を沢山食べなさい。
其れこそが長寿と健康の秘訣だらう。
でも会社へ行くので御飯など食べて居られません。
だったら会社を辞めれば良い。
何故なら会社などよりは御飯の方がずっと大事だ。
第一会社へ行って何になる?
だから会社なんて意味ないって。
👪ですら意味はない。
究極的には個人主義でいく。
其れも則天去私の個人主義でもってして生きていく。
無論わたくしも其の生活保護を考えぬ訳ではない。
役所へ行き精神が崩壊したので今後是非生活をみて頂きたひとさう願ひ出ても良い。
ですが今のところは其れが出来なひ。
逆に会社に雁字搦めにされて居りもはや身動きがとれぬところじゃ。
ちなみにわたくしは其の五葷が大好きだし牛肉や豚肉も良く食ふので其処は明らかにナマグサ詩人だ。
実はニラ、ニンニク、ラッキョウこそが大好物なのだ。
ニラ、ニンニク、ラッキョウは虚弱な人には良く効く食べ物である。
ちなみにわたくしは昔から四番バッターだった訳では無く小学生の頃は学習院時代の三島先生の如くにまさにか弱き詩人肌の少年であった。
つまり生まれつき生命としての基本のところが弱い。
さういう人にはニラ、ニンニク、ラッキョウが良く効くのである。
またカレーでもって元気になるのも其の虚弱性質が深く関わって居らう。
其の燃えてない体がカレーの刺激でもってして燃えていくやうに仕向けるのだ。
なのでわたくしの食生活は君等とは少し違ひ夜になるともう何も食べないのだ。
が、時折作家モードに入ることがあり其の場合には夜中にしこたま何かを食って居たりもする。
だが夜は瞑想の時間であると思っておいてしかるべきだ。
元より夜は出歩いて飯を食う時間ではなく女に触れて喜んで居るやうな時間なのでもない。
さうではなく魔と対話する時間である。
さうして闇の中をしかと見詰めるのだ。
闇の中には陽に遮られて見えなかったものが全て詰まって御座る。
其れを見詰め対話を重ねることで心の中にそんな闇ー負或は悪のーの巣窟が組み上がる。
言うまでもなく闇を見詰めなければ光を見詰めることなど出来ぬ。
女を知ることなくして男性は了解されぬ。
悪を知って初めて善のありかに到達し双方を俯瞰し得るやうにもならう。
わたくしは幼い頃何も食べなかったのでむしろ今は色んな物を食べ健康なのだ。
虚弱だからこそむしろ体が強くなり女を否定するからこそ常にメス的でもあるのだ。
無論肉など食わない方が良い訳だがこれまでに一番美味かった食事がかって韓国で食って来た焼肉であった。
また豚の角煮、是などは異常に美味いものが稀にありさういうのは多分体にも良いのであらうから元より我慢などして居るべきではない。
では夜女を触るのも我慢する必要などないではありませんか。
馬鹿者!
ソレとコレとはそも話が違ふ。
だから女と飯の話はまず本質的に違ふ。
飯を食ひ過ぎても腹が出て来るだけで子孫は繁栄しなひが女に触るとすぐに子孫が出来一級の罪障が其処に生ずる。
ゆえに特に夜、人の見て居なひところで絶対に女には触れることのなきやう是非お願ひしたいところだ。
尚太鼓腹、つひ食ひ過ぎて腹が出た場合に其の事で悩む必要など何処にも無い。
何故なら脂肪は癌を防ぐ可能性すらある。
なので所謂恰幅の良ひ中年以降の男性は長生きするものと相場は決まって居る。
でも高脂血症でもって血管が詰まり心臓や脳がやられて死ぬ可能性は確かにある。
だが、だ。
突然死はむしろ一番楽な死に方だ。
逆に飯を食わず脂肪を蓄えずで居ると癌でもって早死にする可能性が高ひ。
飯を食わない奴は免疫の方が弱り容易に癌が増殖していくのだ。
だから腹は出ても良い。
ドンドン食ったれ。其れも朝から。
アレ、こんなに腹が出ていつの間にか八十五キロとなりましたが大丈夫でせうか?
無論のこと全然大丈夫だ。
百キロまではまだまだ大丈夫だ。
逆に妙に見た目を気にし痩せることばかりを考えて御座る近代女こそが完全なる誤りであり顛倒の価値観そのものだ。
そんな飯もまともに食わずに二キロ増えただのウエストが太くなっただのいつまで云うて居るお積もりか!
女性はふくよかでもってして尻がでかく胸もでかければもう其れだけで大自然の摂理が認めたところでの健康さであり器量の良さを超えた美的価値である。
其の価値の意味さへ知らず現代的バカ価値=表面的価値にあくまで拘泥しアングロサクソン的な体形を農耕民族としての日本の女共が追い求めることこそがまさに愚の骨頂だ。
だから何が悪ひかと云えば現代女の価値観の持ち方がまるでなって居なひ。
今回述べたのはまずは現代人の其の食事の時間のあり方がまるで逆であること。
さらに女共の願望もまさに真逆だった。
逆に女は豚の如くでなくてはならなひと云うのにかのスーパーモデルのやうな、まさにあんな不健康でもって早死にするやうなひょろひょろ体形を、なーぜ其のやうな逆のものばかり望むのかまた求めるのか。
さうではなく尻回りは一メートル以上は常に必要じゃ。
さうして足なども太い方が良い。
まるで農耕馬の如くに太い足の方がモヤシの如きひょろひょろの足よりも遥かに美しひ。
兎に角肉体はデカい方が良いのだ。
逆に精神は小さい方が良い。
さうして肉体は限定せず、精神は逆に厳しく限定しておかねばなるまひ。
食事を軽視すると免疫系に即影響し六十歳で癌を発症しすぐに死に至る。
かっての同僚は現在ステージ4でおそらくはもはや長くはもたぬことであらう。
だから兎に角食ひ、さうして運動することだ。
車に乗るのを止め何でもいいから運動しておきなされ。
さすれば免疫系が常に強化され癌にはなりにくくなるのである。
もう会社なんか辞めて早速女とは縁を切り朝からカレーを食ひゴルフの練習を始めやう。
多分は其れが長生きすることの最大の秘訣だ。
会社を辞める=ストレスの極小化
朝カレー=朝から元気=免疫系の強化
自転車による移動と運動=さらなる免疫系の強化と代謝の活性化
女に触る=残念ながらこちらも長生きに繋がるが仏道修行者に限り其れはご法度だ