即ち所謂左翼過激派の方だったのだが、以降は保守派に転向し其の保守の思想家として高名な方でもあった。
第一次安倍内閣が頓挫して以降暫くは阿部氏を応援して居られたことでも知られて居る。
またわたくしが尊敬する保守の思想家である佐伯 啓思先生とはかって東大で師弟関係にあったやうだ。
尚このやうに所謂左翼過激派=極左から右と云うか保守思想への転向は往往にしてあるものだ。
事実わたくし自身がさうなのだ。
そして佐伯 啓思先生もそして亡くなられた西部 邁先生もさうだった。
また田原 総一朗氏などもさうである。
尚、此の思想的転換の鍵は結局理性への解釈の仕方によるものだ。
其れは理性を信じるか否かと云う点にこそ尽きて居る。
然し其れは合理的理性に限る点であることを忘れてはならない。
つまりは合理主義のことだ。
其れを認めるか否かと云う事が思想の分かれ目となって居る。
尚無論のことわたくしは反合理主義者である。
だから合理的に幸福など築ける筈がないと考えて居る。
なので必然として非革新派なのであり革新的知性よりも伝統的知性を重んじる方である。
即ち知性=理性をあくまで信じて居ない訳ではない。
だが信じる理性の方向性が違う。
なので今や我も兎に角保守だ、其れも可成に手強い保守である。
ところがそも日本人は此の保守の意味が分かって居ないことがほとんどだ。
まず保守とは年寄りの考えだと思い込んでいないだらうか。
まあ確かに年寄りの考えだ。
何せ変化が嫌ひである。
が、保守とは常に改革を強いられるものだと云う考え方さえある。
つまり保守とはなかなか一筋縄ではいかない考え方のことだ。
ですが場合により保守も過激の度を増すことがあり得る。
かの石原 慎太郎氏なんぞは老い先短いと云うのにまるで其の過激な右派におなりのやうだ。
ただしあくまで正式な保守とは合理主義による社会変革を否定する向きのことを云う。
だからアナーキズムとしての保守思想と云うのもまたあり得るのだ。
かようにわたくしの場合は兎に角合理主義が嫌ひだ。
然し左翼思想とは元々其の合理思想そのもののことだ。
「現状が伝統から大きく逸脱していれば、改革を断行するのが保守なのです。
そして伝統とは、その国の歴史が残してきた慣習そのものではなく、その中に内包されている平衡感覚のことを意味している。」以上より引用
即ち保守の精神は伝統を防衛する為に改革を断行する。
つまるところ保守はタダの爺さん婆さんの思想なのではない。
合理主義による諸の破壊から国や地域をまた民族を護り行き過ぎた動きに対して警告しかつ攻撃を加える神仏の力のことじゃ。
其の神仏が過激にやれと言へば過激にもなり大人しくして居ろと仰れば其の通りに動かない。
さうした良い子の群れであることこそが伝統を護り引き継ぐ保守の人々の良心だ。
そして保守の民は変な性改革などには断乎として反対していく。
無論男性は男性らしく暴力的かつ前向きで、女性は女性らしく優しくおしとやかかつ働き者であるべき。
教師は教師らしく真面目で不倫や淫行を金輪際しない。
坊主は坊主らしく仏法に対し潔癖で金儲けや女遊びにはまるで興味がない。
そのやうな一種の理想郷の実現を夢見つつ生きて行くことこそがまさに保守本流としての精神のあり方だ。
「常に状況は新しいわけだから、それは処方箋ではあり得ません。対処法を示唆してくれる存在として、伝統というものがある。だから、悪習と良習を区別しながらも、伝統を壊してはならないと考えるのが保守主義です。」以上より引用
革新や保守といふ立場に限らず否応なく世界は刻々と変化する。
其れこそ謂わば諸行無常なのだ。
長年生きた我我はもうじき死ぬが其れも運命である。
たとへば六十代のアナタはあと十年位しか生きられない。
十代の君はまだ半世紀以上も生きなくてはならない。
尤もわたくしの場合先はどうなるのか分からん。
ですが長生きよりもむしろ伝統の方が大事だ。
壊れないものとしての伝統をこそ引き継いでいくべきなのだ。
合理に傾いた思想はさうした文化乃至は宗教を軽視しがちだ。
だが其れではいけない。
結局新しい文物はより大きく変革させると同時により大きく破壊の爪痕を残す。
しかも過剰な欲望を生みそれゆえに根本のところを次々に破壊し尽くす。
まさに其れが破壊神のことだ。
例のシヴァ神のことだ。
(結論から言うと米国は「左翼国家」なのです。
そもそも左翼とは、フランス革命期に急進的なジャコバン派が国民公会で左側に座って「自由、平等、博愛」と唱えたことがその由来となっている。彼らは「理性を宗教とせよ」とも訴えており、いわゆる合理を意味します。そして、これらを実践するために、旧体制を急速に破壊せよと扇動したわけです。
その直前には米国の独立戦争も勃発しており、これに勝利した同国が制定した憲法も「自由、平等、博愛、合理」を掲げ、ジャコバン派の思想とほとんど変わらない。古いものは悪いもので、新しいものは良いものだというジャコバン派の考えに近いのです。)以上より引用
(戦後のジャップが犯した大きな間違いは、「米国側につくのが保守でソ連側につくのが革新だ」という政治の構図で物事を捉えるようになったことです。)以上より引用
「どちらも歴史から学べない左翼であるという意味で、米国とロシアは二卵性双生児なのです。そのような両国が対立したのは、米国が個人主義的な方向で変化を起こそうとしたのに対し、ソ連は共産党の集団主義的な指導のもとでそれを推進しようとしたからです。」以上より引用
元より左翼思想は歴史から学ぶことが出来ない。
つまりは歴史を否定して新たな歴史を打ち立てやうとするからだ。
其の近代主義の履行にしても急進的な合理主義の展開のことでまるで伝統=維持とは無関係なことだ。
まあ当たり前である、保守ならば王様を殺したりはしないのだから。
新しいものこそが全部○だとする其の進歩主義そのものが急進的な理性主義=合理主義そのものだ。
其の合理主義が近代科学を生み帝国主義を生み経済成長を生み世界大戦を生み原爆を生み宇宙開発を生みひとつのバカを生んだ。
其の新しいもの好きのバカの為に地球はレイプされ人々は格差に苦しめられ尚且つ🐜の如くに管理されるに至る。
そして決まって幸福だと云うが実は幸福度はほとんどない。
国家や会社に飼育されおまけにもはや結婚もなかなか出来ない。
しかも山へ逃げやうとしても暇が無いので其処は折角良い山があっても無いやうなものだ。
また阿部君は相変わらず米国ベッタリでしかもゴルフの方も下手だ。
歴史から学べない左翼進歩主義思想が地球を蹂躙し全てを破壊し尽くしつひでに性さえをもボロボロに破壊し尽くす。
三大国とも合理主義によりほとんど破壊され尽くされて居るのだがまるで其れには気付かずいまだに自分こそが一等国だとの妄想を抱いて御座る。
対して今や日本国が二等国位に落ちて来て居るのはあくまで必然のことじゃ。
何故なら「左翼国家」米国の子分をしつつ戦争反対!原発反対!経済万歳!平等万歳!フリーセックスOK!と安易にデモ行進を続けて来たゆえもはや國が滅ぶのも必定じゃ。
其のやうな亡国の民共に、其の不穏なる左翼思想の身勝手でしかも分を弁えぬ、おまけに淫蕩でもってしかもバカ。
頭が悪い癖に良いと思ひ込む其の悪い癖がまさにかうして🐜地獄の様を描き出す。
(この「ポピュラリズム」か否かということで言えば、トランプはもちろん、日本はずっと前からその典型例であると言えるでしょう。今の政治活動に日本人の生活欲求が反映されているとはとても思えない状況で、ほとんどの大衆は折々のムードに流されて付和雷同的にワーキャーと騒ぎ立てているだけなので。
太平洋戦争にしても、実はそれを引き起こしたのは日本の人民。軍部、特に海軍はうかつに開戦するとヤバイということを承知していたけれど、朝日新聞や日本放送協会(NHK)にも扇動されて、人民たちが一丸となって囃し立てた結果、あんなことになった。あれこそ、まさしくポピュラリズムでしょう。)以上より引用
まさに其の通りだ。
かって同じことを此処で我も書いた。
日本を敗戦国にしたのは我我日本人自身だ。
「変化によって得るものは不確実だが、変化によって失うものは確実」 以上より引用
人間は合理主義により完成され得るのだろうか?
むしろ其の合理主義により破壊し尽くされていくことだらう。
人間中心主義はたとへばカミュなども是を屡批判していたものだった。
人間中心で、しかも文明の推進力として理性が中心に据えられた近代以降の世界。
しかも其の理性には欠けたものがある。
其れが神仏の智慧であり人文の知恵である。
宗教の智慧であり自由ではなく平等でもなくフリーセックスをしない人間の知恵である。
其のやうな知恵の世界に気付かぬ限り左翼文明はあと五十年で滅びることであらう。
ああ、良かったー、日本は左翼文明でなくてほんとに良かったー。
馬鹿者!日本国こそが其の左翼国家じゃ。
進歩主義でしかもフリーなエロ動画が蔓延する國じゃ。
だからあと五十年ももてば大したものだ。
だが我我は其の前に早々とオサラバだ。
さうサヨナラだけが人生だ。
さうしてもはや西部 邁先生とも永遠にオサラバだ。