目覚めよ!

文明批判と心の探求と

戦後体制を反省するー四ー


そも文明と云うものは、それこそ其処で両義的に善悪=可否の判断基準をより大きく拵えていくものですので進めば進む程に矛盾化するものです。

即ちより良くなると同時により悪くならざるを得ない。


まさに戦後の価値観に於いてでしたら、より豊かになるのと同時により心が卑しくなっていくのです。

文明の規模を大きくすればする程大矛盾に苛まれていく訳ですので元来なるべく小さい方が良い訳です。

小さいからこそより本質的な幸せが得られると言い換えても良いことでしょう。


其の文明の規模の大小が何故か欲望の大小に結びついて居ります。

なので未開の世界ではより小さく欲望を解放してやって来て居ります。

が、ソコで欲望が解放されない訳では実はない。



逆に何だか物凄いHとか出来て現代的な性規定以上に性的には満足なのやもしれません。

逆に魚や鳥を丸ごとバリバリ食ってみたりも出来、こんな文明的な食事などより遥かに野性味溢れる味や香りが其処に堪能出来やう。

其れもこんな理性の檻みたいなところで悩んで居ない分兎に角晴晴と飲み、食い、そしてやり逃げすることが出来やう。



まあそんな自然人であることはこんな軟い文明人よりもずっとワクワク感に溢れて居ることでせう。


要するに金やら知性ー理性的規定ーよりももっとワクワクすることが他にあることでせう。

或いは薬浸けで長生きすることよりももっと楽しく早死にすることさえ出来さうだ。



だからさう云う意味での欲望はむしろ解放されて居るのかもしれない。

逆に現代的な秩序に雁字搦めにされて居る分、当たり前と云えば当たり前ながら真の意味での欲望の解放がむしろ抑えられて居るのやもしれない。

其れに吸う空気も飲む水もピュア―ではなくなりますからね、必然として現代文明では。



そんな不純なものばかり取り入れて其れで良く我慢して居られるものだ。


だから体もそんな風に不純化していくのですね、此の文明世界では。

このやうに全ては両義的な意味あいの世界であると云う部分こそがカギです。



だから明るい人を暗い人が否定することなど出来ない。

逆に暗い人が明るい人を否定することなど出来ない。

酒のみが下戸を否定することなど出来ない。

逆に下戸が酒のみを否定することなど出来ない。

文明人が未開人を否定することなど出来ない。

逆に未開人が文明人を否定することなど出来ない。



なのではありますが、文明の規模がデカくなればなる程其の根性の良し悪しが大きくなって来る。

西欧近代文明はズバリ性悪でもってして飛び切り根性が悪い文明です。



即ち利己的な大欲望の追求に制限を設けないと云う悪い癖がある。

此の悪い癖が今後東洋の国々ーかっては限定的であり得たーをも巻き込んで全てを破壊していきましょう。



ですので大乗仏教の滅亡などはまだほんの序の口です。

ほんたうの悪魔が支配する時代はすでに始まって居ます。

でも大乗仏教は滅んで良いと云うものではない。


ですが文明が悪魔化していく以上おそらくは其れを止める手立てはない。



デカい文明のデカい価値観はどうしやうもなく矛盾化しつつ客体としての全てを破壊し続けていくことだらう。

其の内在的な欲望の主体としての利己主義が最終的には自己以外のものを全て呑み込んでいくのではないか。

自己以外のものを全て呑み込むと其処で自分も終わりなのですが欲望の制御の出来ない我我は兎に角さうして呑み込んでいく他はない。




尚「正義の偽装」で佐伯 啓思先生はまさに強い論調で日本の戦後民主主義を切り捨てられて居ます。

まず此の偽装と云う言葉からして批判力の強い言葉です。

此の本は非常に面白い、面白いだけではなくほぼ完璧に戦後日本としての正体を暴いて居ります。

佐伯先生の考えの凄い点は、一部分だけを批判する訳ではなく問題の本質に迫って其の本質に抵触していることだらう全てを容赦なく論断されて居る点です。



で、戦後日本では結果的に国民単位での自己欺瞞=善なる悪魔による善としての悪の推進が行われたと云う事です。ー其の善なる悪魔による善としての悪の推進と云う言葉はわたくしのものながらー

要するに誤魔化しと偽装でもってして自己利益に基づく欲望を利己的に追求しつつある。


しかも其れは善の価値である。

だとすれば其処で「善なる悪魔による善としての悪の推進」が行われ日本人の精神性の劣化が其処に必然として齎される。

精神性の崩壊=ニヒリズムの現出に繋がる。



ここまで論理としてはわたくしの考えとほとんど同じものです。

其の同一の骨子により正確に論理的な根拠を与えられて居ると云った感じです。



そして「空気を読む」=同調圧力の存在に就いても其処で多くの頁を費やし述べられて居る。

此の同調圧力は封建時代の日本の精神性の特質でしょうが其れが延々と続くことで真の意味で民主化されて居ないことだらう日本の現状を明確に示されて居ます。


さらに其の民主制と日本の精神性との相性の悪さに就いても言及されて居る。



即ち天皇ファシズムととファッショ民主主義とが同じ原理で引き起こされるとも述べられて居る。

ですので日本の民主主義とはファッショ民主主義であるに過ぎない。

要するに「空気を読む」=同調圧力の下での民主主義なのですから。



対してほんたうの民主制とは、主権者である主体が自分の頭で考え投票することにより意思表明される民主政治の意です。


ですが、民主制は元来限定的ー小さい國ーに行われることでこそ其の相性が良い。

だから日本の民主制はどうもちぐはぐで、其ればかりか選択の間違ひである可能性が高いですね、ズバリ言えば。



第一日本人は自分の頭でなんて考えていません。

日本人は皆家族で家父長は天皇様ですからむしろ考えない方が生きて行き易いです。



第一わたくしのやうにやれアレが違う、コレが間違ひだ、君こそが悪魔だ今こそ君を否定して置いてあげやう、などと反対のことばかりを言って居ること自体が本来ならばもうまるで村八分です。

ですからそんな嫌らしい人間は皆様に否定されてしかるべきなのです。

もう全部を否定され牢屋に入り其処で是非病気でもって死んでおくべきなのだ。



そんな非国民があれやこれやと言いたひことが言へるのも全てが戦後憲法のお陰です。

戦後憲法様がわたくしめをかうして自由に泳がせて下さいます以上、まさに其の言論の自由の旗印の下でのみわたくしめはバカとかアホとか間違ひだとかそんな暴言を吐き続けて居られやう。



ちなみにわたくしの名前には実は憲が付いて居ります、其の憲が。

昔から憲子さんとか居られますともう何やら物凄くお堅い方のやうに思え言葉さえかけられなかったものでしたがかくいうわたくしにも其の憲が付いて居ります、憲が。


さう云えばケンポ―君といふあだ名の幼馴染が居りましたが彼はまだ生きて御座るのかな。



で、昨日わたくしが考えて居りましたのが、以下のことです。


日本人の精神の上での同調力=全体主義性>主体的批判力=個人主義

空気=和をもって貴しとなす>真相、真理=ほんたうのこと
SEX又はエロ動画=欲望の解放が大事>規範意識=精神性が大事
原発反対=世間の風潮>原発維持=現実としてのエネルギー消費
平和の尊さ=世の流れ>非国民=ウソはイヤ
善なる悪=大元が悪魔>悪なる善=大元が善人
宗教は嫌ひ=合理主義>宗教は好き=反合理主義



でもってして、普通日本人は左側の意識に親和性を持ちます。

ですがわたくしの場合は全部が右側です。

つまりは眞逆です、逆。



日本人が其の同調圧力にてまさにとんでもないことをやらかして居る虞は大いにあります。

特に其の善なる悪への親和力程怖いこともまたない。

其の同調主義こそが日本人の主体的な意思決定力の無さに繋がって居る。

なので日本人からコレを取り除くことはもはや不可能です。



問題は、民主制にせよ同調主義にせよ、其れは本来小さな単位、其れも村落共同体やせいぜい都府県レヴェルでの精神性でなければ成り立たない点にある。


ところが近代国家となって以降も日本の社会の精神構造は此の小さな単位での意思決定の域を脱して居ないのであります。


ゆえに近代国家となって以降も戦争、特に太平洋戦争に於いて其の全体的同調圧力による善なる悪としての決定が下され続け日本社会は一度滅びるに至ったのだ。



と云う事は、元より日本の精神の問題は体制の如何に関わらず常に齎されるであらう類でのものだ。

即ち天皇制が悪いのではなく日本人の全体の心が悪いのだ。



特に其の善なる悪魔振りこそが悪い。

いざ善なる悪魔となれば、兎に角働くわ、嫌なことでもイヤとは言わず、お国の為に会社の為にとただ黙々と働いて挙句に自然は壊すわ、良心は捨て去るわ、宗教は捨て去るわ、其れでもってストレスが溜まりまさに飲む打つ買うで、しかも最近になりもう兎に角最高にヤバいことに不倫と援助交際が善なるものとして推進されていく。


もう兎に角金が欲しければタダタダ金だ、カネだ、不倫でも金だ、援助交際はもっと金だ、カネだ金だ金だ金儲けこそが善だ。



経済力>文化と伝統

といふまことにおぞましき精神へと変わり果て事実もはや文化もクソも無い、カネだ、此の今だ欲望の今だけだ。

との実にふしだらつまりは節操の無い有様を国民全体で共有するに至った。



つまるところは日本人は皆罪人だ。

お分かりか、即ち一億総罪人だ。

ああー、もう全部が犯罪者だ。

父ちゃんも母ちゃんも爺ちゃんも婆ちゃんも皆等しく犯罪者だ。



ならば一体どうしたらいいんだ?



其れではまずお寺へ行きませう。

近くの寺ならどこでもよろしい。

其処には必ずや御坊様が居られる。


其処でまずは説法を御願ひしてみる。

するとうまいことに快諾して下さった。

説法を拝聴したのちに徐にお布施をお渡しする。

其処には汝が死に物狂ひで稼いで来し十萬もの金が包まれて居る。



まさに坊主丸儲けとはこのことである。

しかしながら金輪際其処で薬師寺の件を話として持ち出さぬやうに。

決して僧侶の不倫の話など持ち出さぬやうに。


其れからお布施の額が十萬以下では如何にも少ない。

即ち今や坊主も金次第じゃ。

十萬あれば高級ホステスと一度は酒が飲める。

然し高級ホステスのパンツだけは絶対に捲らないやうに。



兎に角ダメなものはダメ。

元々利口である筈の日本人はつひ空気の力に負けて仕舞ひ易い。

だから其の圧力に屈してはならない、謂わば同じであらうとする力に。


其の同じである力=和の力こそが今日本国を窮地に立たせて居やう。