「未来惑星ザルドス」で描かれて居るのは理性の限界であり人間存在の意義そのものなのかもしれません。
ただし、其れはあくまで70年代の段階での思考であり問いかけだった。
今や人間と云うか文明の抱える問題点は其れとは質的に異なるものを突き付けられて居る。
謂わばもっと大きな規模での滅亡、または破壊の様を突き付けられて居る。
70年代はまだまだ世界の人口も少なくあらゆる点で余裕があった。
合理化の度合いも今よりはずっと低いものであった。
今は社会の電脳化が進み、其れと共に膨大な量の情報が渦巻く世界となった。
ところが其の合理化された仮想世界での理性としての達成度はむしろ低い。
少なくとも欲つまり本能による理性の制限がより拡大しつつある。
つまり利口な筈なのに欲は抑えられない。
社会の基準としてはあくまで利口なのに何故か欲望自体は強いものがある。
ですので本当は、理性化された世界では欲望は抑えられる筈であるのに逆に欲望が大きくなって居るのです。
逆にむしろ原始的な程に現代人の欲望が大きくなっていって居る。
だからこれはもう原始的退行現象が人間の心の中に生じて居るのだと申すほかはない。
理性だの何だのと言う割に非常に本能的でしかも感覚的な世界観をこそ今人間は生きて居る。
即ち利潤の追求や性的な逸脱に寄りかかかりさも其れが良いことのやうにさえ思って居る。
其れはいけないことだと云うのに価値基準が変わって仕舞ったことからむしろ許されることだと信じて居る始末です。
其のやうに真に理性的ではない世界はやがて心の面を圧迫し崩壊させていくことだろう。
やがては合理主義の齎す刹那の享楽の連なりの世界が人間の心を破壊し尽くす。
だから物理的に未来がないだけではなく精神的にも人間に未来はない。
人間にと云うよりも文明に未来はないのである、此の近代的文明の未来が。
他方でザルドスで描かれて居るのが生と死→性なしと不死かつ性と死の問題でした。
言うまでもなく不死を望むのは理性の常であることでしょう。
然し神人間の楽園としてのディストピアで不死が望まれた訳ではなかった。
何故なら不死なんて、其れは人間ではないもののことです。
不死の人間など人間ではない。
それから病気にならない人間など人間ではない。
また性のない人間など人間ではない。
ですが、往往にして理性による文明の推進即ち合理化からはそうした帰結を招きがちです。
では現に今文明が行って居る事とは何か。
1.社会のAI化による理性的領域の拡大
2.人間のサイボーグ化、または再生医療による人間の強靭化並びに最終的には不死化
3.地球の破壊による宇宙への移住計画
4.性の破壊
となります。
1.の場合AIはまともかどうか分かりませんので可成に危険です。
おそらくはまともではない可能性の方が高い。
近代的価値観の間違いとはこのやうに訳の分からぬまるで信用出来ぬものに大事な人間の生活、人生それ自体を委ねて仕舞うことに尽きている。
第一金、此の価値観こそが最高におかしい。
確かに封建時代にも金はあったが、今ほどカネが全てではなく金がなくても多分死ななくてもよかったことだろう。
まあ自然が豊かでもあったろうし、それこそ山の中で獣や木の実を食い生きて居る事さえ出来たのではないか。
でも今は金が無いと即死ぬぞ。
こんな拝金主義の何処が一体平等な世界観なのか。
平等なら働かずとも生活費を支給するべきだ。
生活保護の要件を大幅に緩和し誰でも生きていける世界に即刻せよ。
憲法第二十五条など何処吹く風でまるで其れが守られて居ないぞ、此の戦後民主制としての理念が。
其の生存権こそが大事だと云うのなら下らぬ利潤の追求に汲汲とせず生存の平等を是非与えるべきだ。
つまるところ働く、働かずに関わらずベーシックインカムの制度を早う行うべきだ。
また人間はサイボーグにしても良いのか。
無論誰もそんなこと望んでいないぞよ。
皆が望んで居るのは普通の生活だけである。
普通の生活とは、普通の額の給料を貰い普通の飯を食い普通の家に住み普通の嫁を貰い普通に子をなし普通に死んでいくことだ。
一体誰が此の憲法に保障されし個の生存の権利を奪い搾取に搾取を重ね威張り腐り儲け過ぎまるで酒池肉林の利己主義を、其の腹黒いイノチの強欲を何処までも何処までも燃やし続けて居るのか。
悪い奴、あくどい奴が憲法などクソくらえと、ヘッ、おまへらは人間以下の獣だから是非社会のドレイ、会社の奴隷になるべきだ。
そして戦争になったら一億総玉砕せよ。
サア特攻だ、敵艦に体当たりして粉微塵に爆裂せよ。
此のあくどい奴等は誰だ?
つまりは社会が皆あくどい。
会社も国家も皆あくどい。
おまけに左翼も右翼も皆あくどい。
だから人間など、一体何の為に生きて居るのだ?
元より搾取され早死にする為に生きて居るのではない。
それでは何故憲法第二十五条を完全に履行することが出来ないのか。
だから其れはあくどい奴等が腐った生を生きる為にそうして居るのだ。
だが憲法第二十五条を守れない人間は近代人ではないのでそんな文明は即刻滅ぶべきだ。
だから滅ばないやうにするのではなく滅べと言って居る、其れもなるべく早う滅べと。
再生医療と云ったってそんなものは考えてみればすぐに分かることながら絶対にやるべきではないことだ。
第一我我はプラナリアではない。
ましてや我我はナメクジでもなく、サンショウウオの類でもない。
我我は人間でありつまりはサルの高等な奴である。
だから元々サルなんだからサルでいい。
そんなサイボーグ化されてスーパーに生きたいとはまるで思って居ない。
また病気になれば病気で仕方がない、其れで良いと思って居る。
なのに一体誰がこんなSFじみたことを考え本気でキチ外をやろうとして居るのだ?
ところで科学とはキチ外なのか?
うーむ、矢張りキチ外である可能性が高い。
残念ながらどうもそうだ。
それに死にたくないなんて思って居る奴は居ない。
其の死にたいと云うのは、煎じ詰めれば皆社会が悪いから死にたいのだ。
勿論わたくしも君と同じ気持ちだよ。
なのに何故あえて要らないことばかりをやるのだ。
やり過ぎだけはもう要らないのだよ。
サア分かって居るのか居ないのか。
分かっていながらつひやって仕舞うのか。
宇宙への移住計画に就いては余りにもバカバカしくつまるところお話にならずで、こんなことを真面目に考えることの出来る非人文系の知性=合理主義がほんたうのキチ外であることを如実に示すことだろう好例である。
尚人間は宇宙人ではなく地球人であり其れもサルに毛の生えたサルであり決してプラナリアでもなく魚類でも鳥類でもなく哺乳類つまり母の乳を飲んで育つサル小僧であり元々大したものではなく普通なら60年位でポックリ死ぬものである。
性の破壊、コレが実はかなりにヤバい現実だ。
確かに神人間の楽園としてのディストピアでは性が復活することとなった。
性が復活することと生の意味化は同時進行する。
ゆえに生きる上では常に性は大事だ。
生きる上では人間はあくまで性を祀り上げる。
其処で性は人間の未来を築くことだろう大切な儀式だ。
だから前近代の段階までは性を玩具化してはならなかったのだし其れはあくまで聖なるもの=神と連なった領域のものであった。
ところが近代、特に現代はすでに性を快楽の道具と化すに及んだ。
其処に性を貶めたのだ。
さらに男性を女性化し女性を男性化するに及んで居る。
コレぞまさしく性の破壊である。
性を破壊すると実は人間の未来が閉ざされる。
閉ざされても良いのでこうして仕舞え、何故なら男女は平等であるべきだ、とのキチ外思想から全てはこうなって居るのである。
が、他の問題に比して少々ややこしいのが性の問題である。
何故なら実は性が抑制されないと80年後には人間が滅びることになって居る。
つまりあと一世紀もない。
兎に角時間がない。
だから性を中性化すればしないことよりはずっと良いと云う事となる。
だから今の状況はー先進国のー全然悪くはなくむしろ良いことなのだ。
人類滅亡を前提に据えた場合には日本国の少子化はむしろ良いことである。
ところがますます性が商品化されかつ貶められますます家庭を築かない日本人が増え性が合理化される=破壊されると云う虞が多分にあろう。
そんな人間ばかりになった2050年辺りの日本国はもうどうなって居るものやら知れたものではない。
個人的には矢張り家庭を築くことで諸の放逸から身を守ることを是非おススメしておきたい。
なんとなれば家庭を築くことは諸の悪魔の囁きから逃れていくことである。
こんな風にどうも雑談話になって仕舞うので次回もまたザルドスのことを取り上げます。