それにつけてもケーサツがこんな不倫などして居てはいかーーん。
まさにもってのほかである。
ここからしても人類は不倫の為滅ぶ。
あと三十年程で滅亡だ。
それでは其の間を皆様くれぐれも良い子でお過ごし下さい。
良い子は女遊びを致しません。
不倫は女の体の異常に煽情的なことがまず問題である。
よってまず之を黒い布で包み見えなくしておく必要があろう。
次に不倫は死罪として罪刑法定せねばなるまい。
不倫は死罪であり其れも宇宙を破壊する大罪である。
今不倫などして喜んで居る輩は、永劫の罪を其の身ひとつに引き受け、死んでから体を八つ裂きにされ、目玉はくり抜かれ爪は剥がされ舌は引き抜かれ、其の他ありとあらゆる苦痛に苛まれ、おまけに魂は腐った性犯罪者の壺の中に永遠に漬け込まれ、嗚呼何て苦しいのだ、こんなに苦しい思いをする位ならやるんじゃなかった。
署内での其の一発は物凄い快感だったことじゃろうが金輪際してはいけないことであった。
つまりは其の一発に対する認識がなっていない、兎に角甘ーーい。
お前達人間の認識は甘いしもうまるでなっていない。
元々生は地獄なので性も地獄じゃ。
性に乱された汝の心こそが地獄じゃ。
地獄から助かる為には、もう其処で宗教に頼るほかない。
仏法に救いを求め、或は教会へ出向き懺悔し、自らしでかした淫蕩な犯罪のすべてを告白するのだ。
日頃汝がどんなにHな妄想を抱き、そしてどんな風に其の過大なる性欲を吐き出して来たのか、其の事を大學ノートに逐一纏め、無論読み易いやうに箇条書きとし、そしてコレで私はHに嵌りましたと、そのやうに本心から真心から全てのエロを自白せよ。
ちなみにケーサツは結構Hである。
其れから公務員も結構Hである。
酒も飲むは、宴会で女の尻を触るわで実は滅茶苦茶である。
と云うのも、宴会で酒を飲み精神がふっ飛ぶことと女の尻を撫でること位は羽目を外す、其れも相互のコミュニケーションの上での羽目を外すことはかねてより日本の社会では是とされて来た経緯がある。
従って酒を飲まない、また女の尻は触らない程に武骨な御仁はむしろ嫌な奴として仲間に入れて貰えなかったのである。
そんな日本の社会を守る警察や役所が、Hでしかも酒飲みばかりなのはむしろ当たり前のことなのである。
また日本の仏教では、其のHであることと酒飲みであることが実は認められて居り事実僧侶であるにも関わらず酒飲みでしかも女好きである方が実は寺を運営していく為には何かと都合が良い。
第一妻が居て子が居ないと寺が存続していかない羽目に陥る。
だから寺を続ける為には一発。
其の一発は釈迦からすれば無論謗法で地獄へ堕ちる一発なれど、あくまで現実的には寺が残るが為の一発。
然し同じ一発でも署内での、また学校での、或は寺での、神社での、教会での一発などもってのほかだーー。
だから一発は大事にとっておけ、妻や子の為に大事にとっておくのだ。
そんな風に家族を大事にせよ、爺ちゃん婆ちゃんを良く労わりなさい。
そしてわたくしのやうに真面目な良い子でいよう。
故に其の一発は変態性欲に充たされたものであってはならない。
そして君は仏陀やキリストを常に思い描かなければならない。
其の署内での、或は学校での変態行為の前に是非心に思い描かなければならない。
そして、其の邪な欲をば撲滅せよ。
次に、ギャンブルかゴルフにでも凝ろう。
或は物のマニアとなり其の種の世界に引き籠ろう。
さすれば女遊びと云う、世界を破壊し地獄へ堕ちる最悪の業だけは積まずに死んでいける。
そして酒を飲むのならば、どうしても飲みたいと言うのであればもう死ぬまで飲め。
死ぬ程飲んで女を忘れよ。
飲めば飲むほど内臓をやられるので早く死ねるから其れも悪くはないのかもしれぬ。
くれぐれも女には走るな。
女に走り、のみならず盗撮、下着泥棒、暑内での一発、其の他諸の一発、などは金輪際していてはいけない。
それほどしたいのなら、むしろ尼さんかシスターを口説いてみてはどうか。
さすれば犯罪にはならず、いや、なるのやもしれぬが、兎に角仏または神に縁した上での一発と云うことになり、少しは罪障が、其のドロドロの罪の内容が減じられるのやもしれぬ。
いや、女には縁はあった。
現在も一人をどう口説こうか悩み中なのだが、いずれにせよ至って趣味が高尚な我ゆえ、いきなり部屋に連れ込んで云々などと云う事は考えては居らぬが、それでも石を視て貰う為にはどうしても部屋に連れ込まねばならず、然しどう考えても素直に部屋に連れ込まれるやうな女ではない。
しかも仏教が好きな女である。
ああ、それならばまさに似合いのカップルではなかろうか。
いいや、そうではない。
現実とはそれほどカンタンではないのだ。
いずれにせよ、下々の者共の顕わな性欲、下司な欲情に触発されあろうことか我も女を指向して居るのであるが、無論のこと其れは不倫などとは異なり清い愛の世界のことである。
左様わたくしの女への愛は生きることへの愛の証である。
其れも女が生きる為の愛なのではなくわたくしが生きるが為の愛なのである。
尤も仏教では愛欲は真っ先に否定される。
本来の仏教に於いてはそうだ。
然し人間は精神の次元に於いてだけ生きて居るものではない。
わたくしの生の非精神の部分での歴史を書き換える為に彼女は必要なのだ。
生きることとはむしろ性である。
ただし、性に負ける場合即ち不倫として成立する愛は肯定され得ない。
どんな場合にも肯定され得ないのが不倫と云う犯罪行為である。
生きる為の性は聖であり、欲の為の性は悪である。
畢竟生きることは悪だが、仏または神への機縁を、其の縁を継続させる為にあえて生きんと欲するが故の愛は或は性は結果的に聖である。
そんな訳で仏道修行に共に勤しみたいと願いあえて我は女を指向する。
然し君たちは女など決して志向してはならない。
なんとなれば女は難しいのだ。
生臭いのだ。
火傷もし易い。
そんな女とまた不倫だなんて、おお、全く何てふしだらな世の中なんだ。
しかもケーサツも不倫で、議員も不倫だ。
だからと云って君たちは決して不倫などして居てはいけない。
其れは不潔極まりないことだからなの。
尚、わたくしは仏道修行の上での一発を認めないものではない。
故にノーマルな性を否定するものではない。
其のノーマルとは、婚姻関係にあり、18時以降は同じ処に住み、夕ご飯を一緒に食べ、ひとつ屋根の下に寝ると云うパートナシップに基づく関係のことを云う。
然し、暑内や、体育館の裏や、暗い映画館や、駐めた車の中、山の中、竹藪の中や、そうした危険な場所での不倫は悪なのでそのやうな行いに手を染める輩は心身共に罪障にまみれ生きながらにして地獄へ堕ちると云うこと、兎に角其れだけをお伝えしたかったのである。