ショウペンハウエルによる女性への批判
「女性は精神的近視である
女たちには、ある事物についての純客観的な関心をもつ能力が欠けている
女性の狡猾さは、本能的といってもよく、 その嘘つきの傾向を全然なくしてしまうことは出来ない
女性の性格には、根本的欠陥として、 『不正』ということが見出される。 この欠陥は、理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずる。」
まあ確かに仰る通りで、女性には真理にすり寄って行く能力が元々欠けて居るんじゃないかとわたくしなども屡思います。
でも、コレではいかにも酷いです。
余りにも眞正直過ぎるのではなかろうか。
少なくとももう少しだけレデーファーストにしておくべきなのではなかろうか。
それにつけても嘘つきだの、 『不正』だのと凄い言い回しですなあ。
確かに元々清濁併せ持つ人間の中でも女性は濁の要素が多分に感ぜられる存在です。
汚れてるーひどい言葉だーと云うか分かって居ないと云うか兎に角まともに世界の本質が見えて居ない。
ただし、人間を産みつまり生産し育む力を持って居るのは元来女性だけなのです。
そしてとどのつまりは其の面に関しては至極誠実かつ眞正直な母であり其れはまるでかの聖母様の如くに慈愛に満ちた存在です。
だから其の母ちゃんを、世界でたった一人の母ちゃんを嘘つきだの不正だのと罵ってみたってはじまらない訳です。
母ちゃんはあくまで母ちゃんなので言語以前の段階で世界で最も大事な存在でもある筈です。
逆に云えばわたくしは其の部分にこそメス的なものの持つ最大の価値を見出して居る訳です。
たとえ其れが根の方に元々大きな虚栄と利己心を抱え込むものであるにせよ、兎に角其れは此の矛盾としての存在の人間の母である。
そうです、此の矛盾に満ちた悪い世界の母とは彼女達以外に居ないのです。
我我男性は、元来ならば実はやり逃げするだけです。
子育てなんてそんなもの興味がある訳ないだろう。
ガキなんぞそんなもの、その辺にほったらかしとけば自然に育つものだわ。
男はそんなものにはまるで興味はなくただ尻がでかくおっぱいの大きい女をただひたすらに探し求め兎に角もうやり逃げしたいだけなのさ。
ですから、其れが男の本能であり本懐と云う事です。
男の本能は不倫ではなくズバリやり逃げすることである。
不倫とかそうした精神的要素はまるでなくただ肉体としての女が好きなだけなのである。
だから観念的には女性に期待するものはほとんどない。
男性は観念的に自らを規定し得るので其の領域に於いて女性の助けを必要として居る訳ではない。
ただし、表面上精神的には兎に角甘えたいです。
このやうに男性は、常に女性に包んで貰いたいのです。
ところがこの甘えこそが、実は女性には分かりません。
つまるところ是非第二の母ちゃんになって欲しいのですが、其の願望はただ女性にとって気持ち悪いだけでむしろ捨て置いておきたい部分なのです。
君が第二の母ちゃんになって呉れればわたくしは此の悲惨な生と和解出来るのだ。
だからサア、たった今から君はボクのマドンナだ。
ボクの心と体を永遠に優しく包んでお呉れよ。
キャアー、このマザコン男が!何言うとんじゃ、このハゲ~。
早う、早う、今すぐ此処にカネと力をもって来い。
さすれば即刻呉れてやらぬでもない。
此の高貴な心と躰を汝に呉れてやらぬでもない。
このやうに女性は本能的に安定を希求します。
然し其の安定はあくまで無限の可能性に於いて成立することだろう生のあり方です。
限定され、有限化された物質的世界では元々矛盾を生じて仕舞う生き方なのです。
其の生き方こそを本能領域と云い、其の本能領域に誠実かつ眞正直に生きるのが本来の女性の立場です。
然し女性が要らぬ観念化を致しますと、此の本能領域が逆に狭められ見たところでも一見理窟っぽい女が増えて参ります。
されど其れはほんたうに観念武装して居る訳ではなく、あくまで観念武装したと思い込んで居るだけなのでことあるごとに化けの皮が剥げつまるところは高学歴であるにも関わらずつひこのハゲ~と叫んで仕舞い地金が出る訳です、其の地の方が。
此の世で安定を求めることが実は最大の矛盾であることに気付いて居ないのも女性に於ける典型的な勘の悪さです。
いや、それでも女は生きる上での現実的な要素に対しては常に鋭く感覚を張り巡らせ其処からしてもむしろ勘が良いのであります。
ところがそうした哲學的な問いに対しては矢張りどうしても向いて居ないと云うべきか弱い。
多分デカくはないんでしょうな、其の視野の方が。
だからこその「精神的近視」なんです。
「自然は、獅子には爪と歯とを、象には長い牙を、 猪には短い牙を、牛には角を、烏賊には水を濁らす墨汁を与えたように、女性に対しては、自己防衛のために、「いつわる力」を与えて、武装させたのだ
女たちの虚栄心は、たとえ、それが男たちの虚栄心より大きくない場合でも、全く物質的な事物、すなわち、自分を美しく飾ることとか、ついでは、浮華・贅沢、壮麗といった面に熱中する悪癖がある
わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、 女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、 いわば、一生、大きな子供であるからである」
曰く、「いつわる力」があると。
ただ、コレは何となく分かりますね。
殿方の多くが或は納得出来るのではないでせうか。
まあ武装と云うか偽装と云うか、女には常にそうした部分が感ぜられない訳でもない。
そして虚栄心、こちらの方はもっと良く分かる筈です。
外面を気にすると云うか体裁をかまうと云うか兎に角そんな外側ばかりで勝負したがる傾向がありますね。
ただし、次に出て来た女性子供説に対しては大いに反論してみたいところです。
わたくしは逆に男性こそが永遠に子供なのだろうとそう思いますのです。
人間を育て教え込む即ち躾けるのはあくまで大人でなくてはなりませんから、それぞまさに女性の適役なのではないかと思います。
ただし其の事は大人と云う言葉の定義如何にもよります。
大人とは取り繕うことである、事の本質よりも現実を見定める力であると云う立場に立てば確かに女性は明らかな大人です。
対してより純粋に本質を希求してやまぬ男性の心の性質は真っ正直過ぎて子供と云えなくもありません。
女の本質はかように低級ですが、其の低級な何かから我我は産み落とされ此の濁世を生き抜いていかねばなりません。
結局其れは良いか悪いかと云うことで言えば悪い事なのですが、其の悪を恙なく履行していくと云う意味で女の腹即ち子宮の力は底知れぬものを常に持ち続けて居ます。
此の力は、男共の一発力よりもずっと深くドロドロとして、嗚呼、何やら腐った沼の如くにドロドロとして基本的に理解不能です。
また女は海っぽくもあり、基本的に其れは生もので生臭い部分が多くあるとも申せましょう。
ですので良い子の皆さんは女になど近づいてはいけない。
手を繋ぐな、また匂いも嗅いではなりません。
ただし母ちゃんには甘えてもよろしい。
そうこうするうちに冬彦ちゃんになって仕舞うのですが、女を須らく母と云う役割で縛ることは実は健全な、極めて潔癖な女性への接し方です。
何故なら女はそのままでは悪魔そのものなのですから、其処を母と云う役割に縛り付けることで魔から聖への転換を図っていくと云うことなのです。
事実其の方法でもって前近代の世界は女を魔物であることから人間の母であることへと転換せしめ、其処でもってして初めて底知れぬ女の欲望を抑え、揺るぎない社会を、父ちゃんを大事にし子供達を確りと育てる健全な社会を維持して来ていたのであります。
ゆえに女の不倫などはもってのほかです。
よって不倫した芸能人や議員は即刻死罪にせよ!
では男の不倫はどうなのでしょうか。
ですから、其れは、あくまでやり逃げです。
男は本来やり逃げして姿をくらますばかりです。
近代以降の、優しい旦那様、子育てもする物わかりの良い父ちゃん、なんてのはもうまるで幻想です。
其れは女性原理の願望に従い構築された幻想です。
従ってここまで男性が女性の家畜化され、おまけに社会のドレイにされて仕舞って居るともう直に男が破壊され全く役に立たない男ばかりになりましょう。
さてそんな役立たずの男性を貴女はお好きですか。
其れがもしイヤなのであれば、自ら三歩下がって男性を立て毎晩すき焼きで肉を食わせ精力をつけさせるのだ。
しかも、男性を家に縛り付けたりしてはいけない。
そうだ、猫のオス、コレを兎に角良く観察せよ。
猫のオス、犬のオス、これらは人間のオスの原初的な姿である。
では男性の不倫は認められるのですか?
いや、認められはせぬ。
金輪際認めてはいけない。
男は一人の女を骨になるまで愛して愛して愛し抜け。
矢張り其の位の愛がなくてはならない。
ただし不倫の一発位は認められて居る。
だから其れは、そもそも体の構造が違うのだ、兎に角。
然し女は死んでも不倫などして居てはいけない。
いや不倫などしたいのならもう死ね。
心中せよ。
其処まで行くのであれば一応は認められる。
そう云えばかの太宰もさうして心中による死を遂げたのでしたな。