目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

人文の知の為の物理学の学び方




「仕事や生活にも役立つ、数式・図表を用いない物理学の入門書」と此処にもあるように、此の本は文系の方々に是非おすすめしたい本です。


ちなみに此の本の中には数式がひとつも出て参りません。


其処が非常に良いところです。


ところが現代の物理学の沿革と現状は此の一冊から十分に学べます。


物理学は一体何をやって来たのか、また現在は何をしつつあるのかと云う点につき結構詳しく書かれて居ります。


要するに人文系一般の者にとっては入門書と云うより物理の世界を學ぶ為の決定版と言っていい本なのではないでしょうか。



勿論わたくしは非常に面白く此の本を読み終えました。


其れで現在はまた読み直して居るところです。


ちなみにわたくしは気に入った本ならば何度でも読み直します。



尚わたくしは物理学を全否定するものではない。

そうではなく、人間にとっての物理学による規定の範囲を適正な範囲に止めるべきだと云う考え方を述べて居るばかりです。

即ち自然科学より導かれる科学技術が齎す社会の変化自体を抑制しコントロールしていかなければ変化即ち進化は制御不可能な状態に陥るとそう申して居るのであります。



物理学の考え方は、或は数学に於ける考え方は至極面白く其れはある意味で観念的追求の極を指し示すものだ。

然し理系思考にありがちな視野の狭さと云うことはこの際充分に考慮しておく必要があることだろう。

さらに悩みがない即ち限定的になれないと云う部分も其の理系思考にありがちな思考としての短所の部分である。



そうした部分を踏まえた上でわたくしは自然科学の上での分析理論には興味が持てないと述べたのである。


考えてみれば人間にとっての日常の生活は物理学や数学の難解な理論になど導かれずともほぼ完全に成り立つ訳である。

ということは、物理学や数学の難解な理論即ち客観的真理は大き過ぎる部分と小さ過ぎる部分で人間にとっては元々不要の領域だ。



然し是非其れを見たいが為に、其れを客観的真理として規定したいが為に知的領域としての客観的な未開部分を近代がこじ開けることとなった。

ところが客観的真理を追い求める程にむしろ真理は主観化し、さらに知の上での未開を狭める程に其の真理は曖昧化しぼやけていって仕舞う。


謂わば観念上での数的還元に拘れば拘る程に真理は逃げていくのである。

そのやうに規定し得ない部分を抱えたままでうやむやになっていく。



よしんば自然科学が宇宙の開闢と終焉を完全に規定したとしても、それでも尚規定し得ないものの代表として実存の抱える苦、即ち悩みの事実が此の世界に積み重なって居る。


だから幾ら客観知でもってして全てを知り尽くしたとしても、人間存在の抱える不条理や気紛れなところーそれこそ不確定な非論理的行動の部分ーは何一つ分からないのだし理系思考では捉え切れない、そして規定することさえも出来ない。



わたくしにとり興味のある領域とはまさに其の不合理な部分、非論理的な要素のことであり、其れがまさに文學であり宗教であり藝術としての対象物なのだ。


論理と非論理的な世界との対立は言語の成立以降必然的に人類に突き付けられて来た二極化のことである。

然し非論理的な要素を孕む世界観は何せもう長きに亘り文化文明の世界で構築されて来ても居る。

事実として二千年、三千年と積み重ねられ保存されて来たことなのである。



無論のこと其処には所謂知恵の系譜のやうなものがしかと形作られて居る筈である。

其の知恵を反古にして仕舞ってはならない。



合理化と云う至上命題の為に其の知恵を陳腐化して仕舞ってはならない。

従って文系の我我が学ぶ物理法則とは其の知恵に反して進む進歩の為の進歩の理論では無く、其処で正しく人間の分を弁え要らない努力をしないやうにする為の抑制の為の知識である。


少なくとも分析知を至上の知とは認めない、そんな頑固な思考がまさに人文の知の世界に求められて居るやうな気がしてならない。


そうでなくば、合理化は無限化し人間は人間自身を合理化せざるを得なくなることだろう。

平たく言えば極限の合理化領域に於いて人間は種として自決せざるを得なくなるのだ。



なんとなれば其れが合理化による論理的帰結なのだから。

あくまで其れが理性的な帰着点である。



だから人文の知は今こそ声を荒げ叫んでいなければならない。

生身の人間には悩みがあり其の悩みを大事にしつつ生きて行くのがむしろバランスの取れた人間または文明のあり方だ。

其処でくれぐれも合理主義による分析知のみに傾いていてはならない。

破滅を回避する為に現代の常識を疑い文學へと戻ろう。


或は宗教の世界へ走ろう。

人間がAIに滅ぼされるよりは其の方が遥かにマシなのだから是非そうすべきである。