新ブログのご紹介
社会批判といふものは面白いのではありますが基本的に自らが苦痛を感じつつ其れを行って居たりするものです。
対してわたくしがほんたうにやりたいのは批判知を超えるもので謂わば散文詩のやうなものなのです。
散文詩乃至は詩といふものは具体的ではない心の揺らぎや生の神秘性のやうなものを表現する領域であり即ち其れが文學の話ということになろう。
文學といふものは批判よりも社会性には欠ける分より純粋に内面に没入出来逆に心に抱えるモヤモヤのやうなものをより具体的に抹消していくことも出来よう。
もう長いこと詩に対して不実過ぎて謂わば妙に人文系の知の方にばかり傾いた老人みたくなって居りましたが最近とみに詩の方へ戻りたくなり其れで散文詩みたいなものを書き連ねたい思いに抗し切れなくなりました。
尤も詩は真実かと云えば真実なのでしょうがあくまで其れは個の立場を表白する為の真実なのであり社会改革の為の真実の闘いとは異なり基本的にはよりストレートで楽なんです。
其れで逃げる訳ではないのですが誰しもより素顔の自分で居たいと思うのは当たり前のことで兎に角其の部分を何とかしておかないと寂しいと云うか辛い訳ですのでとりあえず其の種の表白の場を創ることにしたのです。
詩といふものがわたくしの精神を救うものであるのかどうかそんなことは元より分かりませんが今まで其れを反古にして来た分より詩に対する期待が大きくて其れと結局詩で勝負出来るやうにして置かないとわたくし自身が徐々に腐って行って仕舞う気さえしますからさうした正直な欲望の発露、変化の為の変化の為にわたくしの中の小さな夜の連なりを、或はわたくしの中の輝く陽の光を、もっともっとストレートな形で表現したくなっただけのことです。
尚此処の批判はまだまだ続けますが何せ此処は知り合いの方々には読んで貰えないところなので其処が少々寂しい。
いや、然し其の意味では此処での批判は意図的に徹底的なものでありまさに究極の批判としての場なのです。
おそらくは相当量の毒が振り撒かれて居るであろう場こそが此処だ。
其の毒は毒として残すにせよ、とりあえずは詩人としての自らを救い同時に知り合いの皆に読んで貰う為の何かを創りたく思ったのです。
ぶっちゃけた話をすればいつも顔を合わせて居るわたくしの彼女やK君にわたくしの書いたものを何ぞ読ませる、読ませてやらねばならず、そうだお前等は兎に角ワシの作品を何処までも読め、何処までも読んでワシのDNAにしかと染まって仕舞へ。
そうでなくば此の詩人と付き合ふことなど元よりかなわぬことである。
そうだお前等はもうワシ自身の読者だ、読者としてのドレイだ。
其れで良いのならば、是非此のワシの言葉を理解せよ。
其れもトコトン理解せよ。
其のキツい言葉の一撃でもって永遠に忘れられないやうにしてやるからよーく覚えて居ろ。
とのことで、要するに会社の人にも見せられるやうなブログをひとつ創ります、といふお話しでした。
とりあえずは一般向けのところですので、万年筆のことも書くつもりですが最初から可成に文學的になり或は文學ブログとなって仕舞うのかもしれない。
そうなるとまた万年筆の話は別のブログで?
また自称詩人のブログの方はどうするの?
とのことでネット上のことだけでも悩みが深いところがまた仕事の方で大問題が発生!
要するに入った人がすぐに辞めて仕舞うのです。
でもワシのせいでは金輪際ない、ないよ、ワシのせいではない。
あくまで会社のせいだ、ソレは。
兎に角また少し詩的になりつつあるわたくしです。
嗚呼、其れから宗教の方での知り合いの方々にも読んで貰えるブログにしていかないと。
何せ此処は宗教の関係者には決して読んで頂けないところなのだから、わっはっはー。