目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

文明は今もまさにチュウチュウと搾取を重ねて来て居る


古来より社会つまり文明にとり最も大きな問題が搾取の問題である。

されど此の搾取過程は人類が余剰としての生産物即ち諸の蓄えを持つことが出来るようになった農耕文明以降の社会構造の根本を支え得るものでもあった。

だから貧富の差と云うか兎に角食うや食わずで人民が働かされることと国家の存続とは無関係ではない。

それどころか国家や組織にとり人民がコキ使われることはむしろ当たり前のことなのでありそれでこそ国家や組織が定常的に維持され得る。

というのが本当の意味での文明の搾取構造なのである。



然し近代はそうした意味での搾取構造に異を唱えることでもって初めて成立したのだとも言えよう。

確かに近代は個をそうした搾取からは解放しつつある。

だが其の一方では他の搾取構造がいつのまにか成立し個を圧迫し生活を破壊しつつもある。



従って現代の社会は楽な社会のように見えて実は全然楽な社会ではない。

むしろ社会規模での矛盾、破壊が集積する過酷な社会を其処に現出させて来ても居る。



だから其れがまさに矛盾なのである。

何故なら近代はむしろ人間自身の解放に向け動き出した時代の筈だったのだから。

また機械文明はそして情報社会は人間をして楽な生活をさせる為に考えだされたシステムだった筈だ。

されど今文明は逆に多忙を極め、のみならずあらゆる心理的余裕を奪うに至って居る。



まあ実際には運が悪ければそのやうにもなりかねないということではあるのだけれど、それにしても昔と比べるとそうした搾取や圧迫の度合いが高まって来て居るやうに思えなくもない。

だから其れが社会が悪いこと乃至は思想が悪いことの証左なのである。

其れも個々の頭の出来が悪いというよりは社会的自我即ち人類としての頭の出来が悪いのでそのやうな矛盾につひ捉えられて仕舞うのである。



実際其の人類としての頭の出来が悪いので時代が下るにつけ様々な難問が噴出しやがては立ち往生して仕舞う。

其処ではもはやどんな方策もみいだせずただなすがままに時を重ねていくばかりだ。学校の先生に夏休みはある?



しかも現代の苦悩というものは実は須らく余計な苦悩なのである。


花粉症でもって苦しい→山へ行かないー反自然ーからそうなる。我などは花粉などにはまるで反応しない体に鍛え上げて来ても居る。対して化学物質や感染症を引き起こすウイルスや細菌の類には頗る弱い。今も職場で変な病気をうつされて妙に喉が痛い。

スマフォ病に罹った→スマフォなんぞ要らないから兎に角三食キチンと食べ規則正しい生活を心がけるべき。本当はPCも要らない。最終的にはPCこそが人間の精神を破壊する。

甲斐性が無く家庭を持てない→其れはどうも御目出とう御座います。こんな腐った世界に家庭など持たない方が良いのだからむしろ幸運なこと、望ましいことだと思うべきである。

病気なので苦しんで居る→病気になるのはごく自然なこと。病気で死ぬる運命なら其の通りに死ねばよろしい。むしろさうして死んでみると初めて健康なこと、あの退屈にも見えた日常としての生の有難さが分かる。

性地獄に堕ちた→近代の腐敗した思想が性地獄に堕ちる人間の数をむしろ年々増やして来て居る。

薬、またはアルコール、タバコの中毒者である→社会が悪いのでそんなものでもやって居ないともう気が狂いそうである。

金が無い→金が無くとも心を常に美しく保つべし。たとへば金を借りて回り人様に迷惑などかけてはならない。



尚人に迷惑をかけるやうな輩は結局自己管理がなって居ない奴である。

迷惑をかけて生きていかざるを得ないやうな者はもう自決して仕舞うべきである。



さて現代に於ける心理的余裕など元より望むべくもないものなのかもしれない。

此の余裕の無さ、圧迫の複雑さが現代に於ける搾取構造の基本的性質である。


其処では結局多岐にわたる社会的な圧迫が人間を雁字搦めにし自滅の淵へと社会全体を引き摺り込んでいくのだ。




このやうに圧迫と、正しい負荷とはまるで違う。

たとへば根が不純な此の資本主義社会に於いても、かっての見識の高い経営者達は労働者を大切に扱っていた筈だ。週休3日制は定着するか?週休2日の歴史から考える

また江戸時代には町人や百姓はかえって大事にされて居たりもした。



其れは何故か?

何故なら人間性を無視した合理性の完遂が結局人間の破壊を齎しひいては幕府なり会社なりの運営を麻痺させついには組織の崩壊を齎すことを魂が利口な昔の人は分かって居たからなのである。



また貞操観念の大事さに就いても、同様に人間性を無視した合理性の完遂が結局人間の破壊を齎しひいては幕府や会社の運営を麻痺させついには組織の崩壊を齎すことを利口な昔の人は分かって居たからなのである。

云うまでもなく利益至上主義や性の合理化は其の人間性を無視した合理性の完遂に当たり、ということはそうした低級な思想につひ毒されて仕舞った現代社会は遠からず崩壊の道を辿ることだろう。



ちなみに正しい負荷とは、常に心を清く保ち掃除、洗濯、子育て、夫の世話などに勤しむこと、乃至は女遊びやギャンブルまたは深酒などには縁せずいつも真っ直ぐに帰宅し早寝早起きで良い人であることを心がけることを言う。

或は神仏を敬い此の罪深き人間としての業を常に自覚し世が滅んだ後はイエスス様乃至はお釈迦様に全てを委ね、即ち財産を全て寄付し尚且つ精神的に全てを宗教に捧げ尽くす。


是非其の位の気概がなくてはならない。



第一我我はもう本当に最低の動物なのであろうから本来ならば無一物で生き毎日お経を繰り返し唱える位でなくてはならぬ。

然し精神的に委ねられるのはあくまでさうした神仏の領域に限られるのである。

なんとなれば企業は、また社会は、即ち近代は決して我我の心の苦悩を察し其の心の地獄から救って呉れる訳ではないのだから。

逆に搾取に搾取を重ね我我の時間を奪い人格を奪い健康さえをも奪い全てをむしり取ることでこそ近代的な社会の上部構造は支えられて来て居る。



なのでそういうのはいけない。

いけないのだ。

思想上の右左には関係なくいけないのである。


言うまでもなく社会は個が集まりつくられるのである。

よって社会の利益は個の利益に通ずるものでなくてはならない。


また個の生活とは国家や組織にとっても大事なものである。

搾取が過ぎることで生活を圧迫し社会を破滅の淵に追い込むことなどあってよかろう筈は無い。



さすれば人間としての心理的余裕、人間としての心のゆとりを保つやうな社会を成り立たせる為に闘うべきことが此の世には多々あろう筈。
其れは今以上に便利で快適な社会をつくり上げていこうとする倒錯の思想を掲げる社会との対峙であり対決でもあろう筈。


ただし社会を否定はしない。

此の社会は矛盾に充ちた悪い社会なので其れに染まらないやうに自己の精神をつくり上げて居さえすれば良い。

そして余り真面目に考えて仕事などしているべきではない。



仕事をすればする程地球は壊され逆に人口は増え人類の滅亡が早まる筈なのでむしろ是非有休でも取って遊んで居るべきである。

だから遊べば遊ぶ程に、或は心理的に余裕を持てば持つ程に人間は利口になれるのである。

もうまるで哲學者や仙人並に心の平衡が達成されもはや下らないことに血道を上げ邁進するやうな文明の愚かさが手に取るやうに分かって来るのである。



真の利口とはそういうことなのであり、だから偏差値が高いとか一流大學を出て居るとかそうしたことではまるでない。

其の意味ではかのヘンリーフォードやかの松下幸之助は共に実に頭が良い。


対して合理主義の経営者には明らかに馬鹿が多いやうだ。



またいつも株で儲けて居るやうなあぶく銭の信奉者も其のバカの一種であり、第一自分の寿命が八十年位しかないのに何故そんな十億も二十億も儲けたがるのだろうか。

人間は金など無くとも立派な人は幾らでも居るのだし第一実存的な存在である人間の一人一人の価値はそれぞれにはかり知れない程に重い。

其の重さに対し不実であってはならない。



ただし自殺した作家や藝術家、また夭逝した作家や藝術家が其の不実さを抱え込んで居たという訳ではないのだ。

彼等はむしろ其の人間の実存的な重さに対して誠実過ぎたのである。

また救世主や仏陀に対し深い縁を保ちつつ今を生きる人々にしても全く其の通りなのである。


不実なのは、此の悪い世を悪い世とも思わず逆に楽しく独りで金儲けに走って居る輩のことなのであり、また自国の利益や組織、体制の維持にばかりかまけて他の迷惑、即ち個の迷惑や他の迷惑にはとても考えが及ばずつまりは頭の出来が極めて悪いことだろう為政者達のこと、其れから夫への誠意を忘れただただ快楽や快適を追求するやうな心根の腐った女共、さらに誤った教育を受け頭の中身が腐った卵のやうにドロドロになって仕舞って居る昨今の若者達、或は民主主義と自由主義という拝金主義、非伝統的な世界観に毒されて仕舞ったまさに頭の悪い學者共乃至は文化人の面々。


さうした不実で横着な様が積み重なり善良な人々の実存的価値を破壊していくのである。

まさにまさに此の宇宙にたった一輪だけ咲いた其の美しき一個人としての花を蹂躙しつまりは足蹴にしてそればかりかまさにチュウチュウと音を立てつつ其の生き血を吸うのである。

其のやうに社会は今もまさにチュウチュウと搾取を重ねて来て居るのだ。