目覚めよ!

文明批判と心の探求と

生の始めに暗く死の終りに冥し


三界の狂人は狂せることを知らず
  

四生の盲者は盲なることを識らず
  

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
  

死に死に死に死んで死の終りに冥し


ー 秘蔵宝鑰 序 沙門遍照金剛撰 ー


秘蔵宝鑰



三界狂人不知狂
四生盲者不識盲
生生生生暗生始
死死死死冥死終

 三界の狂人は狂を知らず。
 四生の盲者は盲を識らず。
 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
 死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
         弘法大師空海『秘蔵宝鑰』





たとへば生を認識する立場もまた二辺に分かたれます。


即ち其れが良いものであるかそうではないか=悪いものである、との立場の違いが生ずるのです。



文明に限らず、人間といふものは例外なく前者の立場を取りたがるものです。



第一誰が此の世界が悪いものだなんて考えられるというのでしょうか。



生命の維持、或は体制、組織の維持にとっては此の前者の立場こそが支柱となる。


どだい悪いものであるならば、即去りたい世界が今ということになるのですから、そも其処で世界の存続が否定され成り立っていかないことになりましょう。



ところが、実はそちらの方こそが真理です。


残念ながら、此の世は良いところではありません。



いや、此の世が悪いのではなく、此の悪い世に自らを縛りつけておく他ない自分が悪いのです。


其の悪だけが増長していく過程が生の過程としての実相です。



別の言葉で言えば自己矛盾性の拡大と云うことです。




ゆえに生とは本来否定されてしかるべきものなのです。


ですが生を否定し即自殺したとすれば、其処に救いはありません。


自殺したとしても根本の問題が解決されないからです。



ではどうすれば良いのかと云えば、唯一の行為として生きているうちに心のあり方を変えることが可能とされているだけである。


つまるところ、我我には本質としての死が訪れることはない。


何故なら死ねない心だからなのです。


迷える不毛の心、根本の無知の心の持ち主なので本質として死ねないー往生など出来ないーのであります。



死ぬというのは、さほどになかなか大変なことです。


誰もが死ねる訳では実は無い。


つまりどうあがいても我我は死ねない。



なのでまた此の世に生まれ直して参ります。


即ち「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。」なのです。




さほどに何かとても冥いものが人間の本性である。
兎に角暗いので生まれることに対してひどく無防備です。



かつ不感症であり、無策でしょう。


そう、我我は皆無策だ。


永久にそして刹那に無策である。



其の無策の果てに生の光がある。


生の光はさほどに暗いひとつの電灯である。


嗚呼、暗い、冥い、昏い。



黄泉の国の如くに其れはくらい。


こんなくらい日々ならば、もう無い方がずっとマシだ。


明るい星々の光が、我我を常に照らすかのようであるにしても。


其れは全部が錯覚で、


本当の照明は我我自身の心の中に灯る、真っ暗くらの、


此の裸電球ひとつであるに過ぎない。




ゆえに、




三界の狂人は狂を知らず。
四生の盲者は盲を識らず。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終わりに冥し。



なのである。



ー輪廻を繰り返す者たちは、自分たちが正しい考え方ができないでいることを知らないでいる。
この世に生まれてくるすべてのものは、自分たちが何が真理かをわかっていないことを知らないでいる。
何度も生まれてくるのだが、生まれてくるときにすでに何が真理であるかを知らないで生まれてくる。
何度も死んでいくのだが、死ぬまでに、真理に目覚めることがないまま死んでいく。ー





死ねない何かである、其の負債であり瑕疵である我我の心はさうして何処までも迷い求め続ける。


何を?


生を。



刹那の夢を、快楽を貪る為に生を成り立たせて仕舞う。


其の構築の心こそが迷いである。


此の建設が、そして成就が、全て矛盾化し、


自己と自己以外のものを檻の中に閉じ込める。



そして愛が。


おお、ついに愛が。


此の愛こそが己を罪人と化す。



愛の輝きの全てが、


其の幻の輝きが、


あらゆる血肉を牢獄と化し、


自らを縛りつける。




何処へ?


此の世界へ。


二辺に分かたれし此の腐敗の世界へ。




でも腐敗こそが芳香で、


芳香こそが腐敗。



波立つ感覚が芳香を選り分け、其処へと没入する。


嗚呼、何たるかぐわしき香り!



実は腐敗なのだとも知らずに、


我我は其の芳香にこそ酔う。



左様生は腐敗である。


其れも芳香に充ちし腐敗である。



生まれることの穢れは即美と化し、


言葉ー論理ーは即矛盾化する。



即ち嘘ばかりを述べ立てることとなる。


概念がウソであるゆえそうなる。


そうならざるを得ない。



あらゆる看板としての虚構、あらゆる名辞としての虚構、



虚構、其の美名の元に構築されし嘘が、


我我の骨を常に貫き流れて居る。



そんな嘘のエロスが動植物の骨の髄にまで流れ込んで居て此の世界を腐敗させて居る。


ただし腐敗が即芳香で、あらゆる嘘が本当で、其の本当こそがウソ。


また男は女で、女は男。



エロスは禁欲で、


神仏こそが便所に等しい。



猫は犬で、


莫迦は利口。



即ち佛はキリストで、また神こそは佛。


また良いものは良いやうに悪く、


悪いものは悪いやうに良い。




かようにあらゆる二辺は真の目覚めを妨げる。


だがあくまで此の世界では其れは目覚めて居る。


むしろこんなにはっきりと目覚め、


あらゆる芳香を嗅ぎまくって来た。



エロスはそんな風に類稀なる芳香である。


だが本当は腐敗臭である。



本当の本当は芳香であり腐敗臭でもある嘘ー錯誤ーである。

そう其れは生命を育むあらゆる嘘の上塗りのことにほかならない。