目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

俺たちは宙ぶらりん



これなども実にひどい話です。


実際今社会が悪い為に自殺に追い込まれている人々が少なからず居られるようです。


そうです、今、社会は本当に悪いのです。


それでやって居ることが兎に角アンバランスですね。


または宙ぶらりんの世界です。



大昔にーわたくしが五歳位の頃だったか何かの番組でー宙ぶらりんという歌がTVで放送されて居て幼心にも其れが兎に角怖くて仕方が無かった覚えがあります。




宙ぶらりん宙ぶらりん
 

俺たちは宙ぶらりん
 

生きるでもなく死ぬでもなく
 

どちらでもなく宙ぶらりん




現代社会はこうした悪趣の世界に嵌り込んでいませんでしょうか?


生きて居ると言えば確かに生きて居るのではありましょうが何だか其処に未来があるとは思えないのですね。


未来が無いと感ぜられるような今だけを生きることしか出来ないといったところでしょうか。



第一公園で子供が遊んで居りませんね。


それに今やキャッチボールすら出来ないー球技は禁止ー公園ばかりで健全な子供の発育すら妨げられて居ります。


ということは今の子は何か変なものになる為育てられかつ教育されやがて迎えざるを得ない滅亡の時をドロドロになって体験していかざるを得ない。


こんなバカ社会、こんなサイテーの文明を築きし我々の責任はもはや明らかなことでしょう。



其の馬鹿というのは、東大の何とかサークルが女を手籠めにしたという類での馬鹿さ加減なのでしょう。
つまり根は理性的である筈なのにやらかしていることは常に理性がぶっ壊れたところの馬鹿である。



第一、企業、これが兎に角馬鹿が多いですね。


利益が出て兎に角自分が偉くなり高級スーツに身を包み美人を侍らせスーパーカーに乗って颯爽と走って居る我を常に夢見ながら温情を切り捨て血も涙もないやうな儲けに走る。


そしてエグゼクティヴ何とかという訳の分からない役職を考えだし俺は偉いとばかりに末期の資本主義に貢献し人類を滅亡させようとさえして居ります。


一体其れのどこがエグゼクティヴなんじゃろうか。



或は自分の妻子の幸福ばかりを乞い願い兎に角必死こいて働きたとへば23時に家に帰りまた翌日の7時には会社へ出て来る。


そうして攫んだ小市民的な幸せにしがみつき地球の未来など微塵も考えない。


こういう所謂家庭を大事にする仕事人間も矢張りバカですねー。



尤もわたくしも馬鹿なのかもしれませんですねー。


要するに文明をおちょくって生きて居る訳ですからこれはもう究極のアウトサイダーですね。



つまるところ今人類は総おバカ状態にあり、しかも其の馬鹿の様が自身では絶対に見えないようなところに入り込んで仕舞って居ります。



こうして宙ぶらりんの文明は色んな良きものを圧殺しながら歩んでいくことでしょう。



たとえばこの自殺した子は良い子だったそうです。


なので資本謂わば主義に殺されたんでしょうね、この子は。



資本主義は周りにモノを溢れさせては呉れますがどうも何か大事なものを次々と殺して仕舞うきらいがあります。


ところが豊かにはしていく訳です、あくまで虚の豊かさを構築していきます。


其の虚の豊かさとは世の多くの女共の願うところのものでもありまして、つまるところ末期の資本主義とは女共の乞い願うパラダイスのこと。



だから今は女共が皆生き生きとしておりますねー。


スーパーへ行ってもどこへ行っても元気でまさにフェロモンが吹き出しっぱなしといったところでしょうか。



でも女はヤッパリバカですねー。


謂わば生への俯瞰力が無いので自己矛盾的な文明を阻止する力など元より其処に無い。



自己矛盾的な文明を阻止する力はどこにあるのかなと思い探してみたところ其れはもはや現代にはなくたとへば夏目 漱石の考えて居たことにあったり致します。


其れで夏目 漱石のことを学ぼうと思い立ち、今色々と本を読んで居るところです。


折角の岩波の全集本を持って居るのではありますが、時間がないとこれはなかなか読めないのでとりあえずは文庫本を買って参りました。





漱石の思いで」というのは漱石の奥様だった鏡子氏が書かれたものですので非常に面白そうです。


漱石神経症で気難しかったことで有名ですのでさぞや奥さんは苦労されたことだったでしょう。



尚、この性質は、特に漱石ほどのインテリではなくとも発現することがありわたくしなどもどちらかと言えば、いや、可成に或は大いにそうした心理的性質を宿して居ります。


つまりは癇癪の起こることが多い。



其れも此の平成の御世に於いて、即ち万事が平板かつ平等で怒って居る人などもはや何処にも居ないやうな時代に於いて何故かわたくし独りばかりがあちらこちらで癇癪を起して居ります。



が、わたくしの場合は常に気難しい訳では無くまずは腹が膨れ趣味のものに囲まれ其れで遊んで居る間は至極大人しい人格を有して居るのであります。


つまり癇癪を起す性質とは基本子供であると言える事かと思われます。



謂わば子供である位に純粋なので常に真理を見つめているわけですね、真理を。


然し往々にして其の内面の高尚さと現実上のバカバカしさとの間に甚だしい乖離が生じましょうから其処でつひ爆発して仕舞うのが常です。



そんな訳でわたくしにとり本質として一番近しい間柄で最も理解し易い作家とは実は漱石だったのです。


作家に限らず詩人などもひと通りは多くのものを読んで来たわたくしですが、其の中で一番身近な存在とはこの大文豪のことだったのです。


夏目漱石乗り越える言葉100 (英和MOOK)




こちらなども本屋で立ち読みして来ましたが漱石は実に文明嫌いで其れに付ききっぱりと否定的見解を述べて居ります。


其れでどうも今この漱石に関して書かれた本が多く出版されていたりもするようです。



文明の曲がり角と言うか、現代の文明が行き詰って居るか滅びの方向へ舵を切りつつあることに対する危惧乃至は危機感がどこかにあるのやもしれません。





こちらは第二話まで視ましたが大変面白く色々と勉強になりました。


漱石の癇癪の様が余すところなく表現されて居てまさに真実が描かれているように感じられました。


どだい藝術家なんていうのは、当たり前の価値観でははかり知れない部分を多々持って居るものなのです。



謂わば藝術家は変わって居て当たり前なのであり、皆と同じことを言ったり描いたりしていれば其れは藝術家とは言えず単なる大衆のうちの一人であるに過ぎない。



ただ、わたくしの場合は自分の中のそうした要素と現実とのすり合わせの部分で非常に苦しんだと申しますか、其のバランスの設定に苦労し続けて来たということがあります。


なので月並みな願いではありますが、嗚呼、もし宝くじでもあたればなあ。


さすれば心置きなく詩人になれ、其れもこんなふしだらな都会になど住まず空気の良い、全てが清しい山の中に居を定めることだろう。


無論のこと其処でノーベル文学賞級の詩を書くことも出来ようが、ただ詩人は牢屋の中でも良い詩が書けるんだとつい先日言い放った手前、矢張り此のグダグダの生活、庶民としての虚の生活のさ中から燦然と輝く永遠の詩を、其の至高の言葉としての建設を必ずや為してみせよう。


謂わば泥のさ中で詩を書く。


泥のさ中でこそ真理を悟る。



あらゆる淫靡な妄想と現実とのギャップ、或は二元のアンバランスと其れに連なる地球の滅亡につき書く。



ま、其れはともあれ最近この世の中は一体どうなって仕舞ったのでしょうね。


結局は欲望を追い求めすぎる余りに人間を追い詰めて来て居る謂わば自滅の方向へ動き出していると云うほかはないのでしょう。



だからそういうのは反省し治していく必要があります。


だから其処でまず近代の意味を問い直す意味で啓蒙思想、特にカントの哲學を学び直す必要がありましょう。


次に法による規定には限界があり、それだからといって過分な合理的欲求に対しては結局法的な規制により対抗するしかないということを知るべきです。


さらに本能と理性の上での闘いが今後激しさを増していくことでしょうから理性の意味と本能の意味を今一度問い直し是非其れ等を分離して仕舞わないようにしなければならない。



平たく言えば、どこぞの公園ではボールで遊べないことに対して小学生の女の子たちが陳情し一応は遊べるようにしたとのことですが、結局今度は大人たちがうるさいとか何とか言い始め其れが長続きしないようなのです。


そして合理的には彼等はボール遊びなどせずにスマフォを覗いていれば良いということとなります。


でもそんなことをしていれば人間が破壊されましょうね、其れもおそらくは半世紀ほどで。


ですので合理主義というのは基本的に人間を破壊するものであると何よりまず其の原理を知る必要がありましょう。



で、其の破壊を齎すのはボールで遊びたい子供達では無く世のしがらみに雁字搦めにされかつ年寄りになり頭が固くしかも利己主義な我我なのですね。


だから馬鹿というのは其の我我のことです。


五十歳以上の年寄りのこと。


其の馬鹿がこういう腐った世の中をつくった訳なのでして、其れでとうとう世間が馬鹿だらけになり其れで困り詩人になろうとしたってそんなものは急になれる筈もなく第一なれるだけの才能も器量も無い。


そんな低級な奴等なのに何故か偉そうにして子供という子供からボール遊びを奪って仕舞うのです。



ということはむしろ被害者は五十歳以下の若者達のことなのです。


ボール遊びまで取り上げ、其の代わりにタップリエロ動画が混入したスマフォを持たされ、しかもジェンダーフリーセックス思想にてふしだら化され性病の蔓延を招きし誤った教育、其の教育に嫌気がさし相変わらず淫行花盛りの教師の面々、はたまた金がまた家族が全てとばかりに会社キチ○イ人間をつくりあげ特に大企業は変な物を次々につくり上げ逆に悪いものを地球に撒き散らすことで地球を病ませて仕舞った。


嗚呼、これではもはや如何ともし難い。


この日本の美しい風土と文化を存続させる前に日本人そのものが壊されて仕舞うではないか。



だから漱石を学び直す時が来たのである。


今まさに漱石を読み返し、人間としての人間らしい精神を取り戻そう。


人間は人間としてどうあるべきかという、其の根本のところを学び直すのだ。



漱石は西洋文明に対して否定的で、しかも常に怒って居る。


今の世の中、怒ることが悪いことだと思って居る人々が大多数であることだろう。


然し事の本質を問い其れが悪いものであれば其れは正義の怒りなのである。



女性化したー心理的にー社会の精神はもはやこのことを忘れて仕舞って居る。


このやうにお父さんは常に怒って居て恐いものでならなければならない。


癇癪を起しお前なんかもう離婚だーと妻に対しても横柄でなければならない。



でも其れをやってみたら即離婚されたがどうして呉れる?


そんなものはわしゃ知らん。


あくまでお前様の器量の問題だ。



兎に角子供をスマフォ漬けにしない方が良い。


それから女を余り威張らせるな。


そして宙ブラリンの世の中ほど恐い物は無いぞよ。