目覚めよ!

文明批判と心の探求と

行き過ぎた平等主義とは危ない全体主義のことだ


行き過ぎた平等



面白いです。現代社会を貫く矛盾の流れとはまず第一にこの行き過ぎということですね。


行き過ぎ即ち其処で抑制が効かないんです。


しかも全てに於いて其れが効かないんです。


自然を破壊することにつき然り、またフリーセックスを推進することにつき然り、其の抑制を自ずから含むことだろう宗教を変なものにして仕舞って居ることも然りで、兎に角何でもかんでも制御が効かずまさにまさに何でもありでの節操の無い様、歯止めの効かぬ様が現代を貫き流れる思考の流れでの特徴です。


きっと全てに余裕が無いのでしょう。


思考にすら余裕が無いのです。


だから結局極端ですね。



柔軟であるかそうではないかという観点から其の傾向を見つめていきますと、明らかに其れは柔軟では無い即ち多様性を滅する方向での画一的な考えに傾いていって仕舞う訳です。


だから柔軟=多様であって、硬直化=画一化なのでありますね。


全体主義化する現代の思考の流れは皆この硬直化=画一化の方向へ進んで居ります。



また其れは右だろうが左だろうが民主主義だろうが独裁体制だろうがすべからくこの思考の硬直化=画一化への流れを必然的に持たざるを得ないのである。


わたくしは現代とはそうした余裕の無い何かであると常日頃からそう考えて来て居ります。


自ら余裕を失って居る時代だと言えるのではないでしょうか。


其の余裕とは、様々な要素の均衡から生まれて来るものである筈です。


本能と理性、非合理性や合理性、自然の豊かさと厳しさ、保守と変革、というように二元的対立の要素が部分的には生じても其れ等の要素の追求が曖昧なままのうちはそうした対立自体が逆に均衡にも繋がるのだ。


然し欲望の追求が甚だしくなるとそうした二元的対立が上手く噛み合わなくなり全体としての均衡を崩していって仕舞うことでしょう。



つまるところ現代とはまさに均衡を欠いた時代だということになります。


第一平等と云ったって元々違うものが同じである筈などありません。


ところが近代の原理は其の平等をこそ社会的に追い求めて来たのです。


其の平等が機会の平等なのか本質的平等なのかという議論もまたありましょうが兎に角此の平等の推進とは近代が全体主義化しつつ成し遂げつつある至上の流れなのだ。



王様と乞食は元より違う→平等にして是非民主化すべきだ→すると衆愚化されし大衆の流れが生まれいつしか王様の意味も乞食の意味も同時に失われた


男女とも人間としては同じである→平等にして是非フリーセックス化すべきだ→すると世界中の女体といふ女体が汚れ男が女化し女が男化することで男の意味も女の意味も同時に失われた



ちなみに今差別されているのはむしろ男性諸氏の方でしょうな。


男は男で自分なりにこれだけ頑張って居るのになかなか金も地位も得られない。


勿論結婚も出来ないし生意気な女共にはエロースすら感じられない。


結果いつしかメス化する。


まあそれしかないことでしょう。


もはや男性が武士になる必要の無い時代が到来したのです。



ですのでもうこれからは女が戦闘を受け持ちましょう。


是非積極的に戦い、世界中のメス化した男共を救ってあげましょう。


最終的には男性は皆去勢され女共のドレイとされて仕舞うことでしょう。


何故なら近い将来に生殖は男性の仕事ではなくなるからなのです。


子孫を残すために貴方はもう必要ではありません。



そんなものは精子バンクやら何やらと結託したスーパーコンピューターが全部やって呉れることでしょう。


だから貴方はこれからがむしろ幸せである。


女などといふ腐れ縁の部分とは手が切れ、おまけに家族を養う重責からも解放され其処で好きなことを好きなだけやって生きていけるのです。


其処では純粋に趣味や宗教に生きることでさえ可能です。


だから女とはもう手を切れ。


どだいそんなものと繋がって居るばかりにこれまでどんなに苦しめられ生きて来たものだかしれない。




平等社会の行き着く先


此処にもありますように行き過ぎた民主主義、行き過ぎた人権思想ということに現代の思考の余裕の無さ、全体主義性が明らかに読み取れるのであります。


尚わたくしは今とある公的な病院が勤務地となって居り、実は其れでもって病気に罹り易いといったこともあるのです。


其処は障害者なども何かと集うことのあるところなのですが、彼等の多くが何故か高級車を乗り回し夜の十時位まで男女一緒になって遊んだりして居ります。


どう考えても障害者の方が自分より身分が上なので何だか自分が差別されて居るような気がしてなりませぬ。



其れでわたくしも何とか障害の認定を受けたいところなのですが元よりわたくしのレヴェルでは其れは無理というものです。



ですのでこれからは是非其の元気一杯で金もある障害者の方々にわたくしの出来なかった分の仕事や兵役などの分野で頑張って頂きたいものです。


たとえ健常者でもわたくしのように体の弱い詩人ーあの賢治や啄木のやうにーも居ますのでそんな人はとても夜遅くまで女を口説くほどの元気はないのであります。


其れから行き過ぎた平等主義の国である米国のように日本国もこれからは女が武器をとり戦う国でなくてはなりません。




いや、そんなことは間違って居るに決まって居るのだがそのようになりつつある近代全体主義をもう誰も止め様が無いといふことなのです。


だから兎に角戦争になったら敵国の女兵士と刺し違えて来い。


其れで良いと言うのなら平等や自由という考えを貫け。


然し其れが出来ないと言うのなら金輪際男と同じだなどとは言ってはならない。


其れが分かったら潔く家の中に閉じこもり日々掃除洗濯育児買い物に心を込めて勤しむのだ。



行き過ぎた平等思想は全体の均衡を壊す狂の世界観であり其の狂の世界観こそが余裕が無く俯瞰性を欠いた近代の思想の典型の流れでのことです。




さて「適材適所を考慮しない平等思想は、現代社会を破壊した共産主義の残滓である。そんな悪魔の囁きを拒否することを恐れず、真の平等を追及することこそが、本当の民主主義ではないか。」

とのことですが、果たして民主主義とはそんなに高邁な精神に培われたものなのでしょうか。

どだい民主主義というのは衆愚化しますので元々信用ならないものです。


然し左翼思想の誤りが硬直化した近代思想の急進的な展開にあるだろうことはまた確かなことです。
でも右翼思想の誤りでさえ其の硬直化した近代思想の急進的な展開にあるだろうこともまた確かなことです。

そして硬直化した近代思想というのは畢竟其れは合理主義ということに帰結するのかもしれません。


其の合理主義こそが多様性を、また余裕を奪い行き過ぎた何かを現代社会に蔓延させて居るのではなかろうか。





教育改革の動向

第1節  教育改革の基本的考え方
2  どのような視点で教育改革を進めているのか



ほーい、まさに其の通りで、全くエエ事を言って居りますな。


ただ、心の教育、是は難しいことなので今の忙し過ぎる教師にはてとも出来まへん。


所謂心の教育をやるには、昔のわたくしのように教え子と遊びにいくことこそが最も大事です。



かってわたくしがやりました如くに釣り、サイクリング、ゴルフの練習と何でも良いので兎に角共に遊び共に笑い共に泣きます。


さすれば其処で教師の馬鹿さ加減を曝け出すこととなるので逆に生徒さん方が同情して下さり自分は絶対にこんなバカな人間になってはいけない、其れだけは避けなければならぬとの強い気持ち、決意を彼等の心のうちに齎すことが出来よう筈。



すると、いつの間にか彼等は大人になって居たのである。


アホ教師が余りにもアホなので自分は絶対にこんなになってはいけないといふまさに反面教師としての教育が彼等をスッカリ逞しく成長させて居たのである。



ですので教師は教え子に手を出す代わりに教え子と共に過して醜態を曝け出す、これが人間教育として一番のことなのである。


然し女子とは共に長く時を過ごさないようにしよう。



何度も言っているやうに、もう女とはスッパリ手を切ろう。


教師やマニ屋はかの障害者の方々のように神なのではなくあくまで人間の身分しか与えられて居らぬのだよ。




尚、学校教育の行き過ぎた平等主義や画一性の問題ともありますが、其れは何も教育の場に限られることではなくそれこそ軍隊にせよ市場原理にせよ他の何にせよ全部が同じこととなって来て居る訳です。


たとえば開発途上国は皆先進国化していかねばならないなどと考えること自体も其の行き過ぎた平等主義や画一性の典型例です。


ですので其れはそも余裕が無いからそうして一つの方向のみに動いていくしかないのであります。



ですが本来ならば世界はもっとずっと多様なものであり余裕ー多様性ーがあって然るべきものなのです。

ところで余裕=ゆとり、なのだろうか?



其れは少し難しい問題ですが、少なくとも余裕の無い社会が全体主義化し行ってはならない方向へと舵を切って仕舞うことはまず間違いないことです。


かってはそうして世界大戦の方向へ文明は向かった訳でしたが、今はむしろそうした外面でのことよりも内面的な破壊の方へ向かい舵が切られて居るのではなかろうか。



元々物理的時間的にも余裕が無いがいつしか道義心が失われ行き過ぎた平等主義が蔓延したことにより多大なストレスがかかり皆が犯罪ばかりを好んで繰り返す社会となってしもうたな。