目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

四百年は持たない思想



人間存在とは其の様に自己矛盾性を最大に生きるであろう存在です。

よって人間の活動とは其れが物質レヴェルのものであれ、また精神レヴェルのものであれすべからく自己矛盾化されていくのです。


良い悪いで云えば悪い、明らかに悪い、これが人間存在の持つ本質的意義です。

其の点を勘違いしていてはいけません。


悪いものであるからこそ、其処に何ぞ正すものが必要となる訳であります。

わたくしは其れが宗教の役割であり存在意義であると述べて居るのです。


人間存在とは其の儘ではまさにどうにもならないものなのです。


たとえば世間ではノーベル賞受賞のことで何やら騒いで居たりも致しますがそんなものはまさに脳減る賞のことであるに過ぎません。

脳減って人類が進歩するお蔭で逆に絶滅が加速されていきましょう。


地球上の全生物と我々自身が今世紀末頃には多分絶滅することだろう手筈です。


こんな風に何が大事なことでかつ何が大事なことではないかということでさえもはや我々には分からなくなって来て居ます。


勉強ばかりして脳減る賞を取ることが大事なのではなく世の中の動きとは逆のことばかりを考え続け詩人や宗教家や仙人などになることの方が余程勉強になります。

長生きすることばかりを願いかつ金持ちになることだけを願いしかも女好きで酒好きでこの世の全てが大好きだー。




こうしたストレートな現実主義者はロクな死に方は出来ませんから注意が必要です。

ただし良い死に方とは本当の良い死に方のことではありませんので其処も十分考えておく必要があります。


詩人は確かに薄命ですが精神が屈折して居る分おそらくは最高の死に方が可能なことでしょう。

つまり団子より花の方で常に生きて居るので其れが壮絶かつ悲惨な死に方のように見えて実はそうではないのであります。



重要なことは、個々の人間存在にもそうした精神の在り方の履歴が刻まれていくということなのです。

精神の履歴書が此の世に残る、遺されるということなのです。


人間の本質的意義とはまさにそうしたことなのです。

食べたり子を成したり種として繁殖したり、ということは他の生命も皆やって来ていることであるに過ぎない。


然し人間は考える中間者なのですから、考えたことが大事になる比率が増えて来るのです。

勿論神だの仏だのの領域ではもっと純粋に観念領域が拡張されていくのです。


謂わば観念が本能を乗り越えた状態、本能的自己矛盾性を超克した状態こそが其の領域のことです。

中間者である人間存在も本来ならば其の部分を見つめていなくてはならない。

元々半分はそちらの方も分かるのですから、そちらの方にも是非親しんでおくべきである。




然し近代は人間存在を逆に非理性化、非観念化させていって居ります。

科学技術が優勢なこの世の中の筈なのに、また合理主義の筈の世の中なのに一体何故そんなことになって仕舞って居るのか?


其れは科学的理性がすべからく本能的欲望と結びついて仕舞って居るからなのだろう。

つまり科学的理性とはまさに名ばかりの理性の働きであり、其の実は剥き出しの欲望ー本能的欲望ーを実現する為の道具のことなのである。


ま、何においても事の真相、正体が見えにくい世の中となって居りますので其の辺りのことはよくよく吟味しつつ考えておく必要があります。

実際何においても真相や正体を見定める程難しいことは御座いません。



さて様々な「不可能」を突き付けられたまま現在を存続させていかねばならないのが現代社会の自己矛盾的状況なのでしょう。

1.温暖化を回避する為の脱炭素社会の実現

2.より豊かな社会を実現する為の経済成長の継続

3.より人間が繁栄する為の文明の存続


こうした要素は、実はもはや全て不可能なことです。

何故不可能と決めつけられるかと云うと、有限の場に無限の欲望を夢見たのが近代という時代の精神の流れだったからなのであります。

だから其の思想自体が誤りであり自己矛盾性の発現そのものなのです。


元々相反すること即ち矛盾領域での繁栄を目指したのが近代以降の人類であったと申すほか御座いません。


より細かいところでこの問題を論じますと、

1.温暖化の抑止の為の二酸化炭素排出量の削減が思うように進まない、むしろ其れが増えていくだろうことが予想されていること

2.資本主義の根本矛盾の為により経済格差は拡大しより人間性は抑圧されていくことが必至

3.温暖化による自然の猛威により地球上の生態系は破壊され人類は食糧危機に陥る


ですからすでにこれらの問題に対処する術を我々は持って居ないのです。

原発は危ないからダメ、再生可能エネルギーは色々と難しい部分を抱えて居る訳ですからこれはもうむしろ昔の如くにボウボウと石炭を焚いてやっていくほか御座いません。

すると常に空は真っ暗でしかも煤だらけなのでまともな空気も吸えないこととなり、そんな風では一体何の為に人間が生きて居るのかということさえも分からなくなり其れでも給料さえ出ればいいやと必死の思いで家族を養って居るうちに地球が壊れてもはや万事休すだ。


嗚呼、今日も御飯は食べられなかったが妻や子や友達も皆御飯が食べられなかったのだ。

第一御飯が無いのだ、しかも魚も皆居なくなって仕舞った。

それに妙に暑い、一体何だろうこの暑さと胸苦しさは。


そんな訳で人類の英知が築き上げた筈の文明はいとも簡単に滅び去っていくのであります。



だからそうはならないように是非個々人のレヴェルで観念化を致しましょうということをわたくしは提唱して来て居るのであります。

現在の文明のあり方に疑問を抱き自分の頭で考えることがこの自己矛盾性の檻から解き放たれることの第一歩なのです。




4.女性の社会進出の推進

少子化で超高齢化社会へ向かって居るというのに何でまたこんな逆向きのことを推進しようとして居るのでしょうか。

女性は家に居て朝から晩まで家事にいそしみ常に夫の帰りを待ち貞淑かつ正しく美しくあるべきだ。


5.行き過ぎた人権意識

人間は弱者として認定されれば全的に保護され得るということではない。

6.表現の自由

表現とは制限でもまたあるべき。特に特定の宗教、特定の国家、特定の思想などをバカにしたりしてはいけない。





ただし私の場合近代思想はヤバい、其れは誤りである、ということだけは述べておきたい。

其れは全体に対する誤謬を含む思想なのです。


けれど、この三百年を、より豊かに、より快適に生きる為の思想としては確かに成り立っているものだった。

ですが四百年は持たない思想でもまたあったのだ。


今世紀がもう持たないのです。

2050年辺りからは、この文明の様は次第に地獄化されていこう筈です。


それに今文明が「不可能」なことばかりを突き付けられて居るのは何故なのだろう。

私はその問いに対する私なりの回答を書き込んで来て居ります。


精神をないがしろにした文明は、弱いと申しますか危ないのです。

精神とは人間の欲望に対する枷であり規定なのです。


日本人は精神というとすぐに良くないこととして捉えて仕舞いがちですが、其れは別に精神的に不自由を強いるということではありません。

戦後民主主義がかっての日本の精神論を放逐仕舞したが、私の語って来て居る精神とはそんな低次元な精神性のことではありません。


それに分類するとすれば私の思想的立場は極左ですがむしろ最近は右翼のようなことばかり言って来て居ります。

もはや右とか左ではなしに、文明が自己矛盾性を最大限に発揮して自滅しようとして居る事だけが大問題なのです。



自滅とは我々にとっての最大の破壊であり、其れが本能領域に仕掛けられし最大の自己矛盾領域のことであることもまた自明のことです。

本能とは、つまるところ欲望の追求のことを云います。


現在の文明世界は、この欲望のせめぎ合いのみで動いて居ります。

大は国家から小は小学生のアノおもちゃが欲しい病まで、皆この欲望に基づき現代社会は動いて来て居ります。

いや、確かに其れは昔からそうである面も確かに御座いました。


昔から人間は欲ボケ、色ボケ、長生きもしたいボケでもうこれはロクな者では御座いません。

然しながら、現代の欲望は其れとはチト違う部分があるので御座います。


即ち現代の欲望は、其の規模と範囲が大き過ぎる。

欲望は小さいからこそ均衡が保たれようと云うのに、現代の欲望は其のすべからくが巨大です。


この巨大ということこそが問題なのです。

巨大な欲望が地球を壊して仕舞うこと位はもはや誰にだって感じられて居るのではないだろうか。


この巨大な欲望を小規模化させるには、人をして観念化させていく過程が是非必要となるのです。

近代の思想に洗脳されし現代の大衆、大衆に限らず知識人層までもが、其の真の意味での理性化、理知化の過程を敷衍していく必要が是非あるのです。



と云うのが私の提唱する精神性論の骨子の部分です。

其れはいやがおうにもやらなくてはならないことなのです。

どうしてもやらくてはならないことなのですから、其れは人間存在にとっての本質的規定です。


だから人間というものは本質的に自由な存在などではあり得ない訳です。

其処を自由化して仕舞ったのが近代に於ける思想の誤りなのです。


そして小規模化していくこと。


あらゆる活動の小規模化と行動の抑制、鎮静化が必要です。

其のことを行う必要があるのは、近代という時代がとても四百年は持たない思想に貫かれしものだったからなのです。