目覚めよ!

文明批判と心の探求と

グローバル全体主義に就いて考える-Ⅰ


幸か不幸か私は、色々と考えを巡らせることが出来る。
然しだからこそ苦しい。
         

其の苦しさは、一般的な意味での苦しさとは多分違う。
私は考えることが苦にはならないのだし、むしろそうして居ることの方が性には合って居る。
         


だから机上にお気に入りの文房具など揃えつつそうして居ることこそがむしろ至上の幸福なのだ。

理想を云えば山の中の小屋にでもそうしたささやかな書斎を設え一日中そうして居たい程だ。


そうした隠遁気質の文人趣味がわたくしにはあり、だからなのかこのガサガサ、ゴソゴソと騒がしい世の中のことが大嫌いである。

然し現実に私が生きて居るのはそんな高級な文人墨客の世界ではなくこの半分は腐ったような娑婆世界なのである。


だからこそ、苦しい。

つまり其の騒がしいのが嫌なだけなのである。


そうした人間が会社にも行き買い物へも行き時には女にも魅力を感じてみたりとまことに忙しい。

だから正直言うとそういうので考えがまとまらないのが一番辛 い。


純粋に思惟の世界で生きられたらどんなに私にとっては楽かと思われるのですが勿論そうは問屋が卸しては呉れない。


第一そうしたゴチャゴチャの出来事の格闘からポコッと良い考えが出て来ることもあるのでそうそう現象界をバカにして居てはいけない。


兎に角そういう気質なので何かについて考えて居ることは大好きだ。


世の中のダメさを其のままに考えて居ることが好きなのである。

世の中がダメなのに、其れを誤魔化したり隠ぺいしたりはせずにストレートにダメなものはダメだと云うことが好きなのである。



私はそうした思考の世界に常に生きて居る者である。

頭の中には想念の流れのようなものが常にあり、其処では実人生上の様々な出来事と同じくして転機とか纏まった考えが持続する時期というものがある。


丁度結婚して子供が出来其の子が成人してというように実人生上の流れがあることかと思うが私の場合は私の頭の中でそうした想念の成長のようなものがはっきりと感じられて居るのである。

勿論誰にでもそうした精神上の流れ、道程というものがある筈だろうが其の流れが多分もっとハッキリして居るのではなかろうか。


私は観念人間で其の世界に生きて居る度合いが強いから其処では実際に観念の方がハッキリと成長したりもして居るのではないかしら。

さてもこの観念がどこまでいくのかということが自分でも全く楽しみである。



現代社会がどう結末を迎えるかということに関しては、むしろ最近はほったらかしておこうという考えである。

つまり身勝手ながら人類がどう滅ぼうが其れは私にとってはどう でも宜しいことなのであり、むしろ其のことにつき私がどう考えを示し何を訴えて居たかということが最も重要なことだ。


其れはひとつの仏教的な方向性でもある筈だと私は思う。

仏教は世界を批判せず自己のみを批判するが私の世界批判とは其の自己批判のことでもあるのだ。


あくまで最終的には自己と向き合うという意味での社会批判なのである。


だから最近知り合いの仏教徒の方にもう批判は止めて根本から修行し直すことを伝えて居たのだけれど、其処はまた少しばかり考えが変わって来たのである。


むしろこれまで以上に徹底して述べておくべきことだけは述べて置く。


そのことこそが私の内面の記録であり
自己批判でもまたあるのだ。




尚私が最近考えて居ることとは全体主義のことである。

近頃この二十一世紀とは全体主義そのもののことではないのだろ うかと思い当ったのでそのことにつきずっと考えて居るのである。


其れでグローバル資本主義を批判する本を読んで居たらこの現代の全体主義に関する著述の部分が出て来たのである。

其れを書かれたのは京都大学大学院の藤井 聡先生である。



トータリズム(全体主義)としてのグローバリズム Globalism as Totalitarianism 京都大学大学院教授京都大学 レジリエンス研究ユニット長内閣官房参与 藤井聡
Professor, Kyoto University
Director, Kyoto University Resilience Research Unit
Special Adviser to the Cabinet, Japan
Satoshi Fujii

http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/bgc/SatoshiFujii_bgc_2013.pdf#search='%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9+%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A'


こちらには其の藤井先生が唱えられたグローバリズム全体主義性が分かり易く箇条書きにして示されて居ます。

非常に分かり易く、しかもおそらくは真相をついて居るであろう優れた理論体系です。


尚、私が現代の全体主義に思い至ったのは理論的にではなく単に直観的にそう感じられただけのことです。

従ってまだ理論も何もなく、ただ社会科の教師として昔は塾で教えていたがゆえにこの全体主義性が現代社会に色濃く蔓延して居ることを黙って見て居る訳にはいかなかった。


其れで現代という時代そのものが全体主義の時代である、とそう考えてみたのでありました。
すると様々な時代の要素との辻褄が合って来る、其処に整合性が出て来ることに気が付いた。

其の事をこの藤井先生の理論が先取りする形で私に提示して呉れて居たのです。


グローバル資本主義については、否定派は矢張り少数派であり推進派がむしろ多数派とのことですが、私個人に限っては私の中の元教師の面と文人気質のどちらの面に於いてもまるで認められません、きっぱりと其れを否定して置きます。

と申しますか私の場合にはグローバルに展開される世界へと人類の活動を拡げていくこと自体が×なのです。


人類は共同体レヴェルで小さく生活を営んでいくべきであり其れこそがより長く繁栄を続ける秘訣でさえある。



さて其れではこの理論を具体的に見ていくことと致しましょう。


グローバル資本主義の最大の問題点は中間層を破壊し富裕層と貧困層の二極化を齎すことなのだと考えられる。

だから其れは圧倒的多数の人々の幸せを奪う。

そしてここにもありますように、経済が不安定化し、格差が固定化され、危機がグローバル化され、まさに金まみれの社会を生み出すこととなる。

ひいては人間の心的領域が狭められ、つまるところ真理や真実への探求の心が失われ、人の心がそれこそ損得勘定だけで生きる何か卑しいものに成り果てて仕舞う。


従って其処では精神性が失われ精神的なものへの希求の意志さえもはや生じて来ない。

だから宗教や哲学なんていう精神の上で大きい範囲のことをもはや扱えなくなって仕舞う。

其れ等に関心がそも無いのだから、扱いようがない。


またTVメディアをはじめとするマスメディアの低俗化が引き起こされる。ーあくまで全体的な意味ではー

さらに道徳や美徳、倫理性の欠如乃至は軽視が見られるようになる。



尚藤井先生がここに挙げられて居る国民国家の解体という項目には私の場合賛同致しません。

国民国家はむしろ現状に於いてより強力に推進されつつあり、グローバル資本主義が今後より進んだにせよ其のことは変わらない筈だとそう考えて居ります。

ただし真の意味での民主主義が実現し得ないという点に於いては確かに民主主義の衰弱と云っても良いのだろう。



全体主義とは、


【定義】〈個〉に対する〈全体〉の優位を徹底的に追求しようとする思想・運動・体制-改訂新版世界大百科事典(平凡社)より


とのことですので、其処では必然的に個の黙殺ということが引き起こされて参ります。


個の自由や人権が圧殺されて来るのです。

また個の才能や思考の自由も次第に奪われて来ることとなりましょう。

ただし其れは現代の全体主義に見合った自由であり権利であればむしろ其れを確りと保証して呉れるのではあります。

要するに体制に対して当たり障りのないことを言い、なおかつ其の様に行動して居ればご褒美として社会からは何かと認められるという、そういうこととなります。

でも其れはたとえば戦時中のあの個の抑圧の構造と何ら変わる処がない。


従って自由なようで居て極めて不自由、諸権利が保障されて居るようで居て極めて制限されて居る、そればかりか実は所得の面でも圧倒的多数の大衆は低賃金に喘ぎまさに生かさず殺さずのあの封建体制の頃とほとんど変わらない不自由さを押し付けられていく。

そういうのが、むしろ次第にひどくなっていくということです。


一部の富裕層だけがますます肥え太り、一般大衆はドンドン貧しくされおまけに現代の価値観には逆らえずそのうちに其れに対し物申すことも出来なくなるのではないか。


そうした傾向がすでに強力に推進されて来て居ることと思われます。

ですので其れはまさに新たに発生した現代の全体主義だと申すほか御座いません。


ところで何故大衆はこんなにひどい社会状況を睨んでこれは嫌だとか何とか意見を表明したり行動したりしないのでしょうか。

其れはそもまず考える力が弱いということもありますが、考える力のある人にしてもそりゃ怖いので何も言えなくなるといった部分は確かにあります。


おそらくはこうした傾向が次第次第に現実化して来ることでしょう。

第一、二十世紀こそがすでに其の全体主義の時代だったのです。

其れも戦後の民主化された時代にしろむしろそうだったのであります。


経済成長すなわち拝金主義の蔓延と宗教離れすなわち精神性の崩壊と刹那主義、享楽主義が発生し其れが加速していったことが二十世紀の社会の特徴です。

其れに反比例する形で科学技術への盲信振りはむしろ加速して推進されていきました。


従って我々はもはや回りくどいことに対しては我慢がなりません。

右の頬を打たれたら倍にしてやり返す、ただひたすらに現在化させた今をより得をする形で生きて行かざるを得ない。


だから其処にはより強固な自我が形成されて居るばかりです。

其処には損得勘定のみで動く、精神無き批判無き心の群れが蠢いているばかりなのです。