ただし資本主義が人間の生活を豊かにし様々な意味で我々庶民に夢を見させて呉れたこともまた確かなことなのである。
そりゃ物が少ない状態であるよりも物が有り余る程にあった方が其処で色々と選択出来るのだし無論のこと其れは食べ物や飲み物にしたって全くそうなのだ。
逆に物が少ない方が精神の方が磨かれるという側面はどうしてもあることだろう。
またたらふく食べられるから幸せかと云うと其れもどうもそうではない。
ところが戦前生まれの世代の方々は兎に角まず腹一杯に食えることが大事でまず其処に大きな価値を置いて居られるようだ。
其れは実際に食うや食わずの生活と爆弾の落ちて来る戦争の悲惨さを体験して居るからなのであろう。
然し我々戦後世代にはどうもそうした部分がピンと来ない。
尚私の場合世代によって苦しみの多寡があろう筈だなどとは実はまるで考えて居ない。
何故なら我々の世代は我々の世代で戦争を経験した世代とは別の苦しみを背負わされて来て居る。
また我々は幼い頃から変なものー所謂インスタント食品の類ーを一杯食べて来て居るから本質的には体がボロボロで七十代、八十代よりも体が弱 い位だ。
我々の後の世代はもっと変性し複雑化した悩みー社会的な意味でのーを抱えて居りだからこそ決して生活するのは楽ではない。
そうかと言って封建時代や縄文時代に遡っても人間の生活は決して楽ではない。
未来永劫、人間存在の生活は楽ではない。
即ち知性力により楽に暮らせるようにならなければならない筈なのに何故かそうはならずむしろ苦であることの方が多い。
近代主義経済学とは、例の、周辺を収奪して中心だけが肥え太るという一方通行的な利潤追求の流れのことを云うのだろう。
基本的に偏った形で富というものを生み出して来て居る為、其の収奪のバランスが崩れると収拾がつかなくなり易い。
今後何が起こるかと言えばおそらくは利潤というもの自体がもう何処からも生み出されなくなり資本主義の掲げる所謂経済成長は全面的にストップしむしろマイナス成長していかざるを得なくなることだろう。
そして現実的には今後頻繁化していくことだろう異常気象と連動する形で資本主義という近代に於ける豊かさの神話にピリオドが打たれるだろう筈である。
すると、これからはむしろ近代的な製品よりも原料である資源の方が高くついて仕舞うといった事態も考えられぬ訳ではない。
其の傾向が進めば将来はきれいな水であるとか、或はきれいな空気であるとか、そうした昔はタダで手に入ったものが世界最高の高値でもって取引されるようにならないとも限らない。
つまり我々先進国のこの豊かな生活はすでに過剰なものへと突入して来て居り其れ以上を求めようとする渇望の力にそも欠けて仕舞って居るからなのである。
すると新興国同志での争いや或は日本と其の周辺の国家に於ける親類同士での争い、そうした骨肉の争いのようなものが起きないとは限らないのですが其の種のものも結局は限定的な争いに終始することだろう。
21世紀の人類にとってもっと深刻な問題とは、其処にもっともっと人間にとっての根源的かつ本質的な問題を突き付けられて来るだろう可能性が高い。
其れは異常気象や気候変動による農産物の収量の大幅な低下で人類の何割かが飢えるようになるといった極めて深刻な問題である。
いつの間にか人間という存在が良いものとされて来て仕舞い、もはやとめどなく増えていくしか我々に能がないからなのである。
つまりはこれも一種の全体主義なのである。
21世紀とはこのように全体主義の時代である。
全体主義という思想は結構滅びる時が華々しくて、まるでかの独逸第三帝国の如しにパッと終わって仕舞う筈ではあろうがでも今度の奴は世界中がやって居る全体主義なので矢張りそう簡単には滅亡したりしないのだろうな、ゆえに結構長引いて苦しむのだぞよ、きっと。
尚、言論の自由、思想の自由は勿論大事ですが21世紀の人類にとっての思想や自由は20世紀に於けるか如きに何でもあり、ということにはなり得ないのではなかろうかと逆に私は見て居る。
否応なく様々な外的圧迫に人権も健康も平和でさえも圧迫されて来ることだろう時代なのである。
つまり人類はより非文化的で非人道的なまさに餓鬼道、畜生道、地獄の絵巻のさ中へと入っていくこととなろう。
即ち其処では力の強い者が勝つ。
其の三つだけで当面の間人類は生きることなる。
そんな世の中にしない為にもインテリの連中は今を真面目に考え抜いておく必要がある。
1.資本主義は今後長きに亘ってはもたない。
2.戦争の心配をする以上に気候変動の心配をしておくべき。
3.一般的にインテリが多い左翼は腕力に欠けるので是非武道でもして腕力を鍛えておくべき。
4.其れに加えて近代全体主義に負けないだけの個の思想力、理論構築力を是非鍛えておくべき。
其れではわたくしは明日から山へ行って参ります。