目覚めよ!

文明批判と心の探求と

この世は夢かうつつか幻か


まださめぬ 此世の夢に夢を見て いやはかななる 身のゆくへかな


これはかの沢庵禅師の辞世の句だそうですが、何と申しますか何とも寂しげなものに感じられます。

が、ただ寂しいのではなく愚かさの生ずるエロスのようなものが其処に謳い込まれていないとも限らない。

目がさめぬ、愚かである人間こそがそれこそ身の行方も知らずに存在化されていって仕舞うことでしょう。


其れは良い悪いで云えば悪いことなのですが、悪いものだからこそのパワーのようなものが其処に無いとは言えないのです。





ところでこの世は夢、つまり実質のある世界ではないと捉えるのが真理領域での認識の世界のことです。


釈迦という人は何よりまずそうした生の捉え方をした人だったのですし、第一あのキリスト教にしたって結構屈折して居て此の世は神に似せて創られし人間にとっての楽園という訳ではなくだからこそ其処で救世主による救済がどうしても必要になって来るのです。


つまるところ、真理領域での話からすれば此の世は実体性の無い泡物語であり、まさに幻、あの影絵のような幻、夢うつつの世界に過ぎない訳なのでしょう。



尚そういうのを本能的?に嗅ぎ取る能力のある人は絶対に居ます。

たとえば私などはまさにそうした人間でした。

幼い頃からどうもこの世界の在り方に対しては価値と申しますか実感と申しますかそういうのが持て無かったのですね。


だから詩人であると自分でそう名乗って居ます。

其れから共感覚などという訳の分からない先祖返りみたいな部分が残って居てたとえば数字に色が着いて見えたりもする訳です。

それにこういうのはおそらく普通ではないのだろうな、ということがすでに幼い頃から自覚されて居ました。


ま、其処はひとまず置くとして、そうした本能的に?真理に対して敏感な部分と鈍感な部分があるものとして、果たして現代人は一体どちら側に寄って来て居るのだろうと言えば其れは明らかに鈍感な方へ振れて来て居るのだろうなとそう考えざるを得ないのであります。


然し現代人ってほんと、其の種のことに対して鈍感なんですねー。

何がって、物欲とか性欲とか金への執着とかそうしたことに関しては皆様全く敏感なものをお持ちなのでしょうが、真理とか真実とかそうした領域のことを考えていく力に関してはむしろマイナスの敏感さになって居るのではなかろうか。


勿論現代人に限っても凄い人は居られます。

現代の日本人に限ってもこの私でさえ逃げ出したくなる程の精神をお持ちの方が屡居られるのです。


ですが矢張り大部分が鈍感にされちゃってるのではないでしょうか。

謂わばそういう風に飼育されて来て居るのでしょう。



ですがこの感覚に拘泥しつつ成立する世界に於いてそんなことを言ってみたってはじまらない訳です。

だから多分多くの人々が疑問を持つことなくこの現象世界を実体として生き其れでやがては死んでいくことでしょう。


ところで私などはむしろそういう風に生きたかったのですがね。

感覚が普通でいいから死ぬまで幻想にまた夢に囲まれて居てまた死んでも其の幻想領域を貫きたかった程です。


だからそういうのこそが普通ではないものだと感じられても居る。




さて私の存在論では在るということは無いということに対し限定的なことなのです。

対して無いということはもっと全体的なことでありゆえに其れは現象化し切れないことなのです。


そして逆に現象化することであるからこそ在るのです。


現象化しない程に純粋なもの、大きいもの、本質的なものはこの世には無い。




然し其の在るということの本質は無いということです。

同時に無いということの本質は在るということです。


つまり現象界には真の意味での実在は無いということです。


真の意味での実在は非現象界にこそ在ります。


其れから時間の流れというものは現象界に付属する属性のことです。

現象化するからこそ其処には時の流れが生じます。



と云うことは非現象界には時間が流れて居ないと いうことになります。


其処に時間が流れることのない非現象的な存在こそが実在です。


そして事の本質的な要素は
非現象界にのみ顕現されていきます。

と言いますか、
非現象界では全てが本質的要素ですからあえて本質が示される必要などありません。


例えばこの餓鬼道、畜生道の存する現象界でのみ色々と問題が発生して参ります。

何故かと言えば元々離れて仕舞って居るからなのであります、真理領域の世界との乖離が其処に生じて仕舞って居ます。



そうした不純と云えば不純、無明と云えば無明、罪深いと云えば罪深い、そうした負債乃至は不具性を抱えたものがこの世の正体です。

いやー、そうか、そうなのか、自分でもそこのところがまさに良く分かりました。


そうか、まさに鏡、のようなものなのかもしれないね。

この現在を現実として生きざるを得ない世界とはまさに鏡のようなものだ。


其処には様々な人生の様、もしくは動物型生命、植物型生命の生き様がまさに今映し出されて居るではないか。


ギャオーン、ドロドロドローン、ピコピコパッコンビンビロゲー、チーキューチーキューメツボーメツボー、 グオングワンブリブリベッタラブオンベシッ。




実在ということに関しては、まさに色々な考えが成り立つことかとは思われますが、仏法の上では其のいずれもが現象を仮象として捉えて居るようです。


つまり
現象はあくまで仮のものであり従って其れは一時の夢幻のようなものであるに過ぎないという考え方のことです。



Wikipedia-中観派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE


この世のすべての事象・概念は、「陰と陽」「冷と温」「遅と速」「短と長」「軽と重」「止と動」「無と有」「従と主」「因と 果」「客体と主体」「機能・性質と実体・本体」のごとく、互いに対・差異となる事象・概念に依存し、相互に限定し合う格好で相対的・差異的に成り立っており、どちらか一方が欠けると、もう一方も成り立たなくなる。このように、あらゆる事象・概念は、それ自体として自立的・実体的・ 固定的に存在・成立しているわけではなく、全ては「無自性」(無我・) であり、「仮名(けみょう)」「仮説仮設(けせつ)」に過ぎない。こうした事象的・概念的な「相互依存性(相依性)・相互限定性・相対性」に焦点を当てた発想が、ナーガールジュナに始まる中観派が専ら主張するところの「縁起」である。ーWikipedia-中観派より抜粋して引用ー



こうした二元的対立、二項対立を引き起こす現象であること自体が「無自性」であり仮設であり仮象であることに過ぎない。


「無自性」ということは自立性の無い非実体であり非実在であるということである。

だから例えば、このわたくしという現象もまさに其の
自立性の無い非実体であり非実在であることにほかならない。



ー嘘こくな!この蒸し暑い夜にわざわざこんなややこしい話をあえて好んでして居るお前の頭の中身こそがウソコキであり
非実体だ。

第一俺などは今こんな風にピンピンして居るのだしおまけにスケベだし金は欲しいしで何かと生の意欲に充ち溢れて居るだろう!


だのにお前などはお友達がこんな中観派だと抜かしやがる。                                             

まさにお友達が
其のチューカン派しか居ない。

ザマーみやがれ、この半病人の半死人めが。ー



ウソなんかじゃないわい。

このクソ暑いのに何も好き好んで嘘などばらまくものか。


そうじゃなく真理のことばをばらまいて居るのだ、真理を。


スケベで金欲しい病のおまえさん方に教えを説いて居るのだよ。

だからお前さんの其の
スケベと金欲しい病はもう スッカリ幻だと説いて居るのだ。

そればかりではない、本当はあらゆることが幻なんだ。


たとへば君の感覚も君の理想も君の愛も君の主義も全部幻だ。


真理に対しては幻だから幻なのだよ。




ーホエー、偉そうにまたコキやがったな、この宗教フェチ野郎めが。


ではひとつだけ質問させて頂く が其の真理に対する幻とは実は現実上の真相であり真実となることなのではないかいな。

だから俺はこの立場をこそ貫くぞよ。


今俺の目に映って居る現象、つまりは現在こそが全てであり真実である。

だからコレは夢なんかではない。

これこそが俺の現実であり全てである。



からして女こそはすべて、金こそはすべて、俺こそはすべて、だよねー。ー




まあ其処まで達観するのであれば確かにアンタも偉い。


然し多分其れでは限界が来る。

其の考えは真理じゃないから早晩限界が来て仕舞うんだ。


第一其の考えでは生も老も病も死も超えられない筈だ。




でもあえて言えば其の考えは一種の分別智のようなものではあるのかもしれない。


いえ、勿論真の意味での
仏法上の分別智ということではないのですが、先にも申しましたように現代人はもはや真理へと至る思考すら放棄 して来て仕舞って居り実はこの現在に於いてほとんど何も考えて居ないのでありましょう。


で、貴方様も確かに全然考えては居ないのですがまさにあのニーチェの超人の如くに
仮象の幻のさ中其の価値の無い虚無の世の中を強く雄々しく生きて行こうとされていることにだけはわたくしも感銘を受けるのです。


だから貴方様の思想はたとへば
現代に於ける分別智 の一種であると考えられない訳でもない。




其れも早晩限界は来るものと思われますが、然し考えてみればこの現代文明などもいつ限界が来るものか知れたものではなく、 其の意味では逆に貴方様の其の本能力、下品の力、生きる底力のようなものにこそ現実を推し進める無頼な推進力があるのやもしれない。



然しわたくしは貴方様の仰る如くにすでに半分病人であり半分死人ですのであくまで真理領域に拘泥しこの観念と刺し違えることとしてみます。


そうです、其の無分別智の方にこそ生き多分どこかで野垂れ死にをするのだろう。