目覚めよ!

文明批判と心の探求と

快楽は精神でもってこそ求めていく


前回人間の生活がこんなに豊かになったのは近代という打ち上げ花火を操る花火師の方々、其れも優秀な方々が一生懸命に其の花火の打ち方、或は打ち上げる花火の球のことを懸命に考え抜いた結果である、というようなことを申しました。

そしてそういうのが分析知の効力であるということです。


対して綜合知、全体知の流れではそうしたことは成らなかった訳であります。


でも逆に云えば其処で分析的思考と綜合的思考は釣り合いを保ちかっての人類の営みの上で共存して居た訳です。


分析的思考は何も近代に於いて初めて発現した訳ではなく、それこそギリシャ文明の頃からずっと存在していたことでしょう。

或は他の古代文明に於いてもそうした力がすでに備わって居た筈です。


ただし其れが増殖し部分肥大していったのが近代という時代の特徴でもあったことでしょう。


ゆえに人間というものは特に近代に至って大きく進歩して居るようで実は其れは左程驚くようなことでもない、第一人間はいまだに本能領域に縛られたままで実際上の生活を成り立たせて来て居る。


こと本能領域に強く縛られて居るという意味では非常に原始的ですねえ。

むしろあの釈迦が修行をして居た当時の印度の森なんかの方が余程其の本能の制御に挑み或は其れを抑え或は其れを克服するといったように物凄く先進的な思想的闘争が行われて居たりした訳です。


だから現代とはむしろ思想の退歩の時代でもあるんです。

第一近代に洗脳されし大衆はそうした部分には全然興味が無いではありませんか。



ですから、今我々は科学技術や経済的な豊かさを得たこととは裏腹にひどく退化して来て居るのではないでしょうか。

何がって其れは精神がということです。




さて皆様は最近どうお感じなのでしょうか。

最近は本当に変な事件が多いようです。

理解出来ないような事件が本当に多いですね。


でも其れは氷山の一角です。

現代の文明世界の抱える悩み、一番の問題点とはこの精神の危機の部分にこそあります。


現代人は自分は自分で精神が至ってまともである、何より俺は憲法上人権を付与された人間様である、そこらに居る野良猫とは元より違い偉い。       


偉いからまともだ。

       
    
などと兎に角偉いという言葉が其処に必ず入って来るのでありますが、はて、果たして人間とはそんなに偉い者だったのでしょうか。


私などは元々生まれつきの詩人で人とは少し考え方が違って居りますので自分が人間だから偉いなどとは全く思えないので御座います。

逆に人間としての自信が無さ過ぎていつも道で犬に吠えられるわ、ハチには屡攻撃されるわ、ゴキブリにはなめられて良く飛んで向かって来られるわでもう一人歩きが怖くて怖くて仕方がないのです。


という訳でどうも私は其れ等が怖い。

でももっと怖いのはお化けでしょうか。

いや、お化けではなく現代人こそが一番怖い。

君たち、いや、我々こそが一番怖い。



ところであの江戸川 乱歩先生は離人症のようなところがありいつも人間は嫌いだと云っていたようですがまあ確かに私も其れに近い部分があるのやもしれない。

今手元に一億円あったらすぐにでもこの人のウジャウジャ居る都会を離れ北海道かどこかで隠遁生活に入るつもりですが、でもそういうのが皆さまに理解されるものとはなかなか思われない。

ーただし寒いのが苦手で暑い夏が大好きだから北海道はなにぶんまずい。まあ三河か岐阜の山奥位が一番良い、何せ近いので。-



其の人類の思想の退歩につき屡わたくしは考えて居ります。

おそらくは唯物論的世界観が其れに大いに関わって来て居るだろう筈です。


第一資本主義にせよ共産主義にせよ其の根は
唯物論的世界観に基づき構築されて来て居ります。
 
Wikipedia-唯物論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E8%AB%96

尚私は共同体主義者であって所謂マルクス唯物史観を奉ずる者ではありません。だから左翼のようなことを云う割には左翼ではない。

また右翼のようなことを云う場合もあるが右翼でもない。


結局私はこの唯物論とは逆の立場を信奉して居るのでしょう。

要するに精神と物質の、其のどちらの方によりウェイトを置いて考えていきますかということです。

人間存在に於ける精神的な側面と物質的な側面のどちらをより重視していきますかという視点です。


ちなみに私の場合は矢張り精神です。

と言っても日頃からまさに物欲まみれ、煩悩まみれのわたくしでは御座いますが其れでも矢張り精神の方をより重視する立場を貫いて居たい。


と言うのも、物質的な充足は精神的なものによる充足には如かないものである。

たとえどんなに汚くとも愛する人が呉れたハンケチなどはこれはもう大事な宝物であろう。


そういうのは矢張り精神の働きであるということです。

精神ということは、一面ではまさにそうしたことなのでありましょう。

対して物質の上での充足についてはこれはまさに食わせ者です。


物質上の充足が人間にとっての幸福の上で大きな役割を果たして居ることもまた否めないことです。

ですが近代に於ける
物質上の充足は明らかに度を越して居る部分もまたあろう筈です。

特に先進国の国民生活、つまりは我々日本人の生活に於いてはまさにそうです。


其れで、問題はこの精神と物質に於けるバランス、或は精神と物質の関係の上で何らかの因果関係が成り立って居るのか又は居ないのかと いった部分です。

もしも物質上の過度な充足が精神の在り方を歪めるか或は精神の働きを弱めていって仕舞うことが証明されて居るならば其れはもう本当に怖いことです。


其れはもうほとんど怪談だと云うことです。

まさに日本人にとっての怪談。

其処で豊か過ぎる国日本に住する我々日本人は次第次第に皆精神が貧しくされていくこととなる。


すると、必然的に其処では奇々怪々かつ凶悪な事件が増えるということにもなりましょう。

だから人間存在を規定する精神の意味を今一度考えてみる必要があります。

特に大学の先生方、貴方方のことです、まさに
貴方方のこと。

どうか真面目に考えられてみて下さい。


畢竟詩人の力ではこの辺りまでしか及びませんのでどうかお力をお貸し下さい。




尚、以下の抜粋した部分はなかなか面白いくだりです。


ー インドにおける唯物論とは一般にチャールヴァーカおよびローカーヤタ(順世)を指しており、彼らの著作としては8世紀後半の『タットヴァ・ウパプラヴァ・シンハ』が残るのみであるが、 他にバラモン哲学や仏教ジャイナ教の諸文献に、彼らの思想内容への言及やそれに対する批判が数多く残されている[2]。 それらの資料から推察するにそれは、真の実在は地・水・火・風の四元素のみだとし、身体や感覚器官なども四元素の集合に対して人為的に名称をつけたまでである、とし、知覚のみが唯一確かなpramana(認識手段)であるとし、人が目指し得る最高の目的は解脱でも天界でもなく、ただ現世における最大限の快楽に尽きる、との主張であった[2]

Wikipedia-唯物論 より引用ー


特に
、ー人が目指し得る最高の目的は解脱でも天界でもなく、ただ現世における最大限の快楽に尽きる、との主張ーという部分が非常に面白いですね。まるであのエピクロス派の唱える言説のようだ。

いずれにせよ唯物論と快楽主義とには明らかに因果関係がありそうだ。

現代社会の奉じる物質主義が
いつの間にか快楽主義に陥らないことを切に祈りたいところだ。
 


Wikipedia-エピクロス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9

ところが、私も数年前に調べてみて初めて分かったのですが
エピクロスの思想乃至はエピクロス主義の思想とは単なる快楽主義、物質中心主義とは全く異なるものだったのです。

エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。 

より詳しく彼の主張を追うと、彼は欲求を、自然で必要な欲求(たとえば友情健康食事、衣服、住居を求める欲求)、自然だが不必要な欲求(たとえば大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活)、自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)、の三つに分類し、このうち自然で必要な欲求だけを追求し、苦痛や恐怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求することが善だと規定した。

このようにエピクロスによる快楽主義は、自然で必要な欲望のみが満たされる生活を是とする思想であったが、しばしば欲望充足のみを追求するような放埒な生活を肯定する思想だと誤解されるようになった。しかしこうした生活については、エピクロス自身によって「メノイケウス宛の手紙」の中で、放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では快がもたらされないとして否定的な評価が与えられている。Wikipedia-エピクロスより抜粋して引用ー


其処では何と、名声、権力や大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活は皆要らない欲求としてむしろ退けられて居たので御座います。

そして其処では
自然で必要な欲求のみを是とし、最終的にはアタラクシアと呼ばれる平静な心に到達することが善であるとそう主張して居たのであります。


おお、何と素晴らしい思想であったことよ。

快楽主義どころか、逆にまるで仏教のように良く考えられ練られた思想ではございませんか。

そしてあくまでエピクロス自身は
精神的快楽の方を重視して居た訳ですね。


このように現代の常識と呼ばれるものの中には真逆の意味に取られて居るものが多々ありますので良い子の皆様は其処を良く ご承知置き下さり其の部分を確りとお勉強していく必要があろうかと思われます。




 
Wikipedia-エピクロス主義
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9


 なる程ね、さもありなん。




Wikipedia-観念論
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96

其の物質主義的な唯物論的世界観と対峙する立場がこの観念論の世界です。


尚私は観念論のうちに数えられるバークリーやカントの影響を強く受けて来て居ります。

然し宗教的な精神性の世界の方により大きく影響されて来ても居ります。


宗教の提示する精神性とは一種独特のものがあり其れは美しいものでもあり得るとそう感じて来て居ます。


現代人に、現代に生きる日本の大衆に是非訴えかけておきたいのは、そうした精神性のある世界というものに対して不感症に陥り心の根っこの無い侭にこの強欲な物質主義文明を生き続けて居ることがそんなに楽しいことでしょうか、果たして其れはあなた方の心の中の空洞を埋めて呉れるのでしょうか?といった問いの部分でもあるのです。

先に申しましたように、確かにわたくしも物欲の強い人間の一人であるに過ぎない部分もあります。

然しわたくしは変わる時は変わります。

いや、実はもう随分前から変わって仕舞って居るのです。


でも逆に大金が無いと田舎へ引っ込めないので仕方がなくこうして大都会に住み詩人だとか何とか勝手に名乗って居ります。

其れと虫、これはもうまさに田舎と申しますか昔私が通って居た叔父の別荘などではまさに虫だらけでした。

でも私は虫に弱いのではなく、本当は犬に弱いだけなのです。


実は虫やトカゲ、ヤモリなどとは昔からのお友達で、だから勿論全然怖くはありませんのですし其れ等が部屋の中に居ても一向に気になりません。

それどころか、蛇、これも実は大丈夫で、嗚呼、蛇さんはとても綺麗だなあなどと屡思ったりするので御座います。


だから山の中での夏休みが大好きです。嗚呼、夏休み早く来ないかなあ。でも実は夏休みが
無いのですが。