目覚めよ!

文明批判と心の探求と

日本での性表現が過激に過ぎること

 
 
何でもそうなのですがやり過ぎない方が物事の維持存続の為にはより良いことのようです。
ただしそうは言っても変化することこそがこの世界を貫く実相ですので変化する時には自ずと変化が生じます。
対しての恒久不変の世界と云うのは非存在性の支配する世界のことなので要するに其れは神や佛の世界のことであるに過ぎません。

存在するものには其のような変化という本質的性質が付与され其処では変化することを望まないのに変化せざるを得ないという矛盾的な性質も付与されるに至ります。
其のような矛盾性を歩むということこそが人生の実相であり存在の宿命なのであります。

然し其処で少し考えてみれば思い至るのですが存在には非生命型の物質というものもあり、こちらの方も矢張り変化していかざるを得ないのではありますが其の変化を苦と感じて居るかと言えば其れは感じて居ないのであります。
ゆえに物質の方が生命よりもより高等な存在であるという捉え方さえも観念的には可能かと思われます。
この考えは常識とは正反対の結論を導き出すものですが、もしバラバラにぶち壊されても何も感じない物質なんてのはある意味では有情の者にとって少し羨ましくもさえあるのです。

其れと似たような考え方をとると、たとえば植物、これなども感情があるにせよ動物よりもずっと弱い反応ーつまり顕在化して居ない領域、無意識的な領域ーで意識が推移していくのですから、これはもう余程に上品かつ高等な生命体だとみなすことも出来る。
そしてこちらの方も苦は動物に比べて弱くしか感じられて居ないことでしょうからーただし植物が苦に近い反応を示すことは科学上すでに分かって居ることですー、有情としてはより洗練されたより高等な生命であると考えられなくもない。
だからひょっとするとたとえば仏陀には届かなかったが阿羅漢クラスの心的修行を成し遂げた人などは其れ等単なる物や或は植物などに輪廻転生していって居るのかもしれません。

もしそうだとしたらまさにとんでもないことが此の世には起こって居るということになる。
 
さて存在、特に生命型の存在にとっては命の存続ということが大きな課題として背負わされて居ります。
どんな生命でも命の存続ということが生きる上での一大事のことです。
其の命の存続には生物学的に様々なタイプがあるようですが我々人間存在の場合には有性生殖という方法で其れを行なって来て居ます。

そして此の方法も結局は自然の必然、自然の因果関係の内側で必然として行われて来て居るものであることは間違いないことだ。

其のようにどうも人間の行なって来たことは自然の因果関係というものに著しく規定されて居たことであって、人間の自由な意思が其処に含まれて居るとは元々考えにくいことなのである。
ところが近代に至って人類は其の性の本質的意味をあれこれと加工し始めたと言えるのではないだろうか。

特に戦後は、生殖の意義を離れた快楽の上での性の追求が商品化されるに及んだ。
其れが商品化されたというところにこそ近代的な倒錯ー快楽の追求ーの特徴がいでて居る様に私には感じられます。
先にも述べたように元々男性の性は自由奔放なものでもあり、そして古代から性は性倒錯の世界をも含めて追求され尽くして来て居たのであった。

然しこのように著しく商品化されるに及んだ性は矢張り戦後の社会の特徴とされることなのだろう。

かって釈尊は当時の高級娼婦だった人に説法したりもして居り、男性の性のはけ出し口というのは大昔から職業として確立されて居たのである。
ただし現代では普通の女子高校生が金を稼ぐ為だけに春を鬻ぐというような実に節操のない、そして実に嘆かわしい風潮が生じるに及んだ。
そしてネット上に溢れて居る過激な無料エロ動画の数々。

私はこれではやり過ぎだと思って居るのである。
性を抑え付けるのは確かに宗教の役割なのだけれど、其の一方で性を商品化し過ぎると、或は性を追求し過ぎると文明は滅ぶものと相場は決まって居るものなのだ。

社会的退廃というものは音もなく忍び寄って来る滅びへの予兆である。
私はあるJK物の動画を見ながらまさにそうしたことを思ったのである。
そう言うとすぐに検索しようとするアナタ、いけません、絶対にそんなものを見ちゃ。

無論文化的退廃が表現に対して高い藝術的な洗練度を与えることさえある。
でもその類のものはもっとずっと香り高い退廃の表現であろう筈だ。
動画に於けるまるでローマ時代末期さながらの其の過激な性の追求表現。

一方で禁欲主義とは実はかなりに欲情を秘めた性表現なのでもある。
何故なら禁欲ということほど秘めたる欲情を高めることの出来る方法もない。

つまり、本当はチラリ、の方がずっとHであり様々に想像を掻き立てられるものなのである。
其れをそのものズバリでやって仕舞いしかも其れがより過激になっていくと次第に欲情が鈍麻していきまさにどうでもよいようなものに成り果てていく。

だから性というものは商品化すべきものではないのである。
尼僧の衣の下側を想像して楽しんで居るくらいが本当は一番いやらしくて素敵な性表現だ。

いや、白状すれば私は其の尼僧モノの類の愛好者です。
もう上級者ですよ、性の上級者。もはや普通の女には反応しないという性の達人だったのじゃ、実は。
ーこの罰当たりめが!ー