目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

🐗が大暴れ!

イノシシに襲われ5人けが、大分 ゴルフ場の客や従業員

此の際進歩すること自体を止めよ!ー「暴走する文明」より考へることー

さて元よりわたくしの文明批判は人文、社会科学の方から何とか其れが出来なひものかと思ひ始めたものである。 と言ふのも学生の頃わたくしは社会科と国語がとても良く出来たからだった。 尤も塾でもって社会科を教へたのは社会科の方が教へるのは簡単だから…

世代間の分断は七十代の持つ余った金でもって解決せよ

地球環境問題に於けるかのグレタさんの怒りは今後世代間の分断や価値観の断裂と云ふ問題へと連なっていくことだらう。 「OK ブーマー」ってどんな意味?ブーマーの特徴とは。 ブーマー即ち旧世代に於ひては価値観が固定化されており其の価値観を維持したひと…

「世界終末時計」に心配などする必要は無し

ー対立の激化、それにアメリカと北朝鮮の核・ミサイル問題についての交渉の停滞や宇宙やサイバースペースを舞台にした新たな軍拡競争の激化などで世界的に軍事的な緊張が高まっているためだとしています。 また気候変動に対する各国の関心が低く、効果的な対…

心の中での森林火災の鎮火の仕方

ー1月第2週の時点で、オーストラリアの歴史で最悪の状況となったこの森林火災は、10万平方kmの土地を焼き、27人の命を奪い、2000軒の住宅を焼失させた。動物は10億匹が死亡したとみられる。 オーストラリアの火災のほとんどは自然発火が原因だが、アマゾンな…

社会を案じ藝術に殉じた芥川 龍之介

常に我我人間は相対分別としての檻の中に住し其処でまさにあーでもなひこーでもなひとあれこれとやって来て居やう。 しかしながら脱俗した人間は其処である意味其の迷ひを吹っ切るのだ。 世間の価値観には背を向け其処でひとつの精神の領域を形成するのだ。 …

三島と加島の闘ひー誰が死んでも文學だけは死なぬー

さてかうして否応なく世界は劣化していくことであらう。 其の劣化とは文明の本質であり自然の本質でもまたある。 だが自然は破壊を生じず。 破壊を生ずるのは人間の営為によるもののみ。 いや、其れはおかしひ。 地球の歴史を學ぶと其れが破壊の歴史でもあっ…

抗議するに足る事実として社会は悪ひ

實は此の世の問題とは全てが矛盾に帰せられることだらう問題である。 言ふまでも無くわたくしは其のことをのみ此処に追求して来て居る。 矛盾は結局苦しみである状態を生み出さうから良くは無ひ。 だが矛盾を無くさうとすると此の世に於ける推進力を生み出す…

『一命』

『一命』予告編 一命 アマゾン 一命 『一命』は好きな映画だ。 武士には非ずとも我我の生活には常に命が賭されて居やう筈。 誰しも日々の幸せを守り抜く為に奮闘しかうして今を生きて居るのだ。 時にはたとへ死んでも守りぬかねばならぬことがある。 そんな…

芥川と天使、悪魔との問答―闇中問答に於ける芥川の心の闘ひー

尚芥川はかってこんな風に天使と会話して居たことさへもがあった。 一 或声 お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた。 僕 それは僕の責任ではない。 或声 しかしお前はその誤解にお前自身も協力してゐる。 僕 僕は一度も協力したことはない。 或声 しかしお…

佛教とキリスト教の相違

もしも宇宙から見詰めることが出来れば此の世の全ては人間の持つ独特の癖ー価値観ーに基づく巨大なる戯画のやうなものであるとさうも見へて来やう筈です。 さうした戯画は実際詩の方からは屡見詰められて居たりも致します。 賢治にせよリルケにせよまど みち…

芥川の文明批判に寄せてー「蜜柑」による虚無の放逐ー

さてさらなる大事件勃発だ! 大阪府北部で野生ザルの被害続出 「食べ物見ると襲ってくる」 参拝客、サルに襲われけが 伊勢神宮内宮の別宮・伊雑宮 市内の被害相次ぐ が兎に角かように暴れておる。 故ににはエサを与へぬやうに。 だが特に子は可愛くなどもま…

具象化せし未来を此の手に取り戻さうー其の為には我我はルンペンにだってなれるー

さて未来をどう築くか、どうこれからの時代を構築するか、と云ふことが我我にとって成し得る唯一の選択であり自由としての具体的内容なのでもある。 ところが未来を見る為にはまず過去を顧みなければならぬ。 過去に我我は何を為し何を求めて来たかと云ふこ…

井森 美幸への愛♡

本日民放にて建築家安藤 忠雄氏78歳の世界的な活動を描く番組を視た。 安藤 忠雄氏は大阪人でもって前向きな藝術家と目される故わたくしは元々余り好きでは無かった。 だが、其の安藤氏が、人類の知的レヴェルは下がって来て居る、とさう仰せである。 また金…

浄土宗が説く愛の仏法

賀正 2020年元旦 2020年と言へばもはや時代は未来に入って居る。 我々が今到達し生きるのはそんな未来としての世紀だ。 或いはそんな視点も必要なのやもしれぬ。 様々な古きものが死に絶へ又は淘汰され新しきものが生まれやうとして居るのかもしれぬ…