目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

善悪の彼岸

あのニーチェはかって善悪の彼岸という概念を提唱しキリスト教における善神勝利の一元論に即した善悪の二元論を批判したものとされて居る。 実際この世には善があれば悪がある。 善と悪とは表裏一体で存在する存在の癖としての何かである。 だから人間を善の…

悪の凡庸さーグローバル全体主義に就いて考える-Ⅱ

視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/191681.html ハンナ・アーレントは私が尊敬してやまない女性哲学者である。 ここにもあるように彼女は悪の意味を根源にまで遡って考えたのだろうと思う。 其の悪と…

グローバル全体主義に就いて考える-Ⅰ

幸か不幸か私は、色々と考えを巡らせることが出来る。 然しだからこそ苦しい。 其の苦しさは、一般的な意味での苦しさとは多分違う。 私は考えることが苦にはならないのだし、むしろそうして居ることの方が性には合って居る。 だから机上にお気に入りの文房…

究極の肯定とは何か-Ⅱ

究極の肯定とは単なる生の肯定ではなくむしろ生の否定から生ずることだろうある種回りくどい道ゆきでのことです。 単純に生きることが好きだ、仕事が好きだ、女房子供が好きだ、 レジャーが好きだ、などというのは実は生そのものの肯定ではないのです。 兎に…

究極の肯定とは何か-Ⅰ

釈尊の説かれた仏法というものは、其れは謂わば世界に対する究極の否定であり同時に世界に対する究極の肯定でもあり得る訳です。 生老病死の苦を乗り越える為には其のいずれの要素に対しても拘泥して居てはいけない。 ゆえに一度はそれぞれに対して全部否定…

想定外の体験こそが知恵に繋がるのではなかろうか

さてまさにとんぼ返りで山から戻って参りましたが今回山では物凄い雷雨に遭遇しまさに這う這うの体で逃げ帰るという珍しい体験をしつつ戻って参りました。 鳳来寺山自然科学博物館で買いそびれて居た館報を求めましたが、其の折に其の博物館の前を流れる川で…

グローバル化されし全体主義の時代

Wikipedia-吉本隆明 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E また2002年の『超戦争論』においては、先のことは分からないとしながらも、「21世紀の半ばくらいには、(・・・)「資本主義はこの先どうするんだ?」という(・・・…

文學や藝術の力は矢張り偉大だった。

実在または実体というものは、実は言葉による規定そのものを超越して仕舞って居る為概念では捉えようがない、つまり本質的には捉えようのないものなのではありましょうが、其れでも人間存在の性からすれば、実在そのものを捉えられないまでも其の属性位まで…

我々の未来が危ない!だからこそ山へ逃げます。

さて、今ここで取り上げる問題は、 重症化する子どもの便秘 http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/07/0731.html とのことである。 実際このゆとりの無い現代社会に於いては様々な歪が発生して来ることだろう。 かっては其れが自然を痛めつける公害であ…